晃司です。


何でも「捉え方次第」っていいますね。

現実でも、夢でも、それは変わらんのでしょうか??

ちなみに、「夢」に関して言えば、
悪い夢ってのはないらしいです。


へ~、そうなんだ。って思ってた時に
丁度、見た夢の話を聞きました。弟から。


内容はこんな感じです。

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恐ろしい夢を見た。
暗闇の中、兄貴が俺に言う。
「早く逃げろ!いいから早く!」
俺は兄貴に従いその場から逃げようとする。

場面が切り替わる。

暗闇の向こうから誰かがやってくる。
それはボロボロになった身体を必死で動かし、歩くようなスピードで走ってくる兄貴だった。
後ろにはこの世のものとは思えない「何か」を引き連れながら。
そして俺に気付き、苦しみに歪んだ顔で言う。
「ナンデ、マダソコニイルノ・・・」
俺は何も出来ず、動くことも出来ずに立ち尽くしている。
兄貴は俺を助ける為に「何か」を引きつけてくれていたのか・・・。
そして目の前を兄貴と「何か」が通り過ぎていく。

場面が切り替わる。

次の瞬間、時が止まった。
目の前に映し出されたのは、ボロボロになった上に何本もの刃物で串刺しにされた兄貴だった。
俺は発狂するしかなかった。それしか出来ることがなかった。
まさにその瞬間、夢から覚めた。
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この話を聞いた数日後、私も見たんです。
ほぼ同じ内容の夢を。

違うのは、一緒に逃げていること。そして

「串刺し」ではなく、「散弾銃」で打ち抜かれるってこと。


「夢で死ぬ」=「生まれ変わる」

という意味があるそうですね。


なんだかスピリチュアルな話になってきました(笑)


この夢でいうならまず私が、次に弟も。
そして、一緒に生まれ変わる、ってことなのかな??


ふむ。
確かに、思い当たる節がある。
大いにある。


段階をふむってのは、きっとこういうことなんでしょう。


ホクホクですね、これは。

寛です。


以前、水の仕事に関わっていた時に面白い事を知ったのです。
今じゃ当たり前になりつつある水の神秘。

ペットボトルに水を入れ、「ありがとう」と書いた紙を張る。
ペットボトルに水を入れ、「むかつく」と書いた紙を張る。

二つのボトルに入った水を顕微鏡で覗いてみると、どうだろう?

「ありがとう」のボトルの中には、まるで宝石のような見事な結晶が映し出される。
「むかつく」のボトルの中には、形の崩れた、濁った結晶が映し出される。

同じ水でも言葉によって大きく変わってしまう。
言葉が、文字が、そしてイメージが、水を通して目に見える形で現れてしまう。

これが水の神秘。

では人間はどうだろう?
約70%は水でできているって言われているけど。

例えば「ありがとう」
例えば「むかつく」

心に与える影響は相当なものじゃないだろうか。

お水の仕事に関わっていた時、精神的に病んでいた時期があるんです。
超スピードで病んでいく自分をどうにかしてストップさせたい!
その為に無理矢理行った方法。

それは、1日に1つ、人のいいところを見つけること。
そして、他人のすごいところ、もしくは自分がしてもらって嬉しかった気持ちを一言でいいから直接伝えること。

「すごいね」とか「ありがとう」

0を1にすることはそれなりの決意が必要だったけど、やってみたら大したことじゃなかったんです。
そして行動したことの意味は、後から知ることができました。

良い言葉を貼り付けることで、水はきれいな結晶を形作る。
では、良い言葉を発することで、人はどう変わっていくんだろう?

そう考えた時に思ったんです。
良い言葉を発した自分、そして、自分だけではなく、きっと相手も変わっていけるんじゃないか、と。

相手に対して、
「ごめんなさい」「すみません」って素直には言えないかもしれないけど「ありがとう」っていうのは、きっとそんなに難しくないですよね。

だから、もし言霊っていうのがあるんだとしたら
思い切って乗せたいのです。伝えたい気持ちを。

そしてそれだけじゃなく、受けたものは返していかなくちゃいけませんよね。
入れたものを出していく。きっとそれが、心と体の関係そのものだと思うんです。

だからこそ、水を停滞させて濁すことのないように、流れを作っていこうと思う今日この頃です!

誰もが持っている結晶。
みなさんは、どんな結晶を作り出したいですか?

晃司です。


小さなことを積み重ねていくのです。

目標に向かって、夢に向かって、ただなんとなくでも、罪なんかも。


進むたんびに分岐点。


もう道はできてるってのに、悩むのは自分が未熟だからでしょうか。

そうだと「信じて」歩いてみたりもしたけれど
弱いんだよなぁ、これがまた。


「決意の足」で歩く。


レールがあって、その上を走る電車。

道は決まってるけど、激しい突風には耐えられない。


「覚悟の足」で歩く。


最初は親から、家族から、友人から支えられて
そして見つける。


「自分の道」を。


自分の足で歩く。自分の足で歩いていく。

僕らは今、自分の足で歩いています。



食事


寛です。


夜、みんなで食事をしていた時のことです。

「今日はどんな日だった?」

突然こう聞かれたんです。

一瞬答えに困ってしまいました。

「最近どう?」とか「仕事はどう?」って聞かれることは多いのですが、

「今日はどんな日だった?」

こんな風に聞かれることはほとんどないのです。

だから考えてしまいました。今日はどんな日だったろうって?
嬉しいこと、悲しいこと、楽しいこと、腹立たしいこと。

そして色んな話をしながら、しみじみ思ってしまうのです。
そんな些細な会話が嬉しいなぁ・・・と。

今思うと、以前はけっこう酷かったんです。

食事の時間は5分で結構!
その時間すらもったいない!
何かやりながらメシ食えばいいじゃん!

そんな風に思っていました。
仕事に追われ、ゆっくり会話をすることがなかったような気がします。

体に良いものを入れれば健康になるし、変なもの・悪いものを入れれば病気になりますよね。
そして体の中に溜め込んでしまっても良くはないですよね。


きっと心も同じだと思うんです。

だからこそ、今日一日を振り返って、

「今日はこんなことがあったよ」

と、心を開いて話ができる、優しい時間が大切だと思うんです。

食事の時間の落ち着いた会話こそ、お互いを知る大切な時間ですよね。
そしてその空間を楽しむことが、きっと癒しの場所になるはずだから。

だからみなさんにも聞いてみたいのです。

「今日はどんな日だった?」と。