学校2
 授業中、掃除箱📦に隠れて、美術の教員が「加藤は何処や」と慌てているのを、息を潜め、笑いを堪え、ほくそ笑む昭和的ガキんちょだった。映画鑑賞会ではゴムのゲジゲジを放って、金属音(高音)をあげるクラスメイトに、自分だとバレたくないので、一緒に驚くと言う悪ガキだった。その悪行の数々に天罰が降る日が来てしまう。

 飼育係だった小学4年生の冬、兎・鶏小屋の掃除を担当していた。藁を敷き詰め、水の補充を終えて振り返ると、仲良し学級の仲間が私を忘れ、鍵を施錠(せじょう)🔑。2学期最終日ゆえ、暫く学校に生徒は来ない日だった。

 てーーー、助けてくれーー🆘と絶叫。反応は無い。12月24日夕方、日が落ちるのも早いし、空腹だったので、「ごめんな」と言って、併設された🐓小屋の産みたて卵3つ、掃除用の洗い場で洗って呑む。元気も湧いたので、次は寒さ対策だ。寒いので子ウサギを腹周りに入れる。運動服のズボンが温かい(子ウサギ、もがく)。

 母うさぎは偉大だ。私の足元で膝を駆け上ろうとしている。必死な様子が窺える。ミューミュー、助けを求める子兎たちを心配している。しかし此処は譲れない。母うさぎには悪いが、手軽なカイロを手放すことは出来ない。時計も無く、用務員のおじさんの夜廻りを期待して、「翼をください」の合唱の宿題が出ていたので2音下の「この大空を翼、広げて、飛んで行きたいよぉぉお」の部分を身の上と重ねて練習。弟、真吾が「兄ちゃん、飼育係だった」と母に告げ、父と3人で私を見つけてくれた。19時40分脱出。母うさぎも安堵の表情を浮かべていた。