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都内不動産屋ときどき居酒屋下っ端スタッフのブログ

基本的には都内の不動産屋クン話をする予定。隠れキャラ的に居酒屋でお酒を作ったりもしてしまう、とある不動産屋代表のブログ

ある付き合いのある社長さんから

ある日、


「ハンコチュウシャさーん、トライアスロンやりましょうよー。」


と誘われた。


1ヶ月後に、八景島シーパラダイスであった

トライアスロンに参加した!



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トライアスロンを知らない方のために

簡単に説明しよう。


トライアスロンと一言で言っても

その距離によっていろいろ種類があるのだ。


主なもので言うと、


【スプリント・ディスタンス】

スイム750m×バイク20km×ラン5km


【オリンピック・ディスタンス】

スイム1500m×バイク40km×ラン10km


【ハーフアイアン】

スイム1900m×バイク90km×ラン約21.1km(要するにハーフマラソン)


【アイアンレース】

スイム3800m×バイク180km×ラン42.195km


ちなみに、僕が出たレースは一番短いスプリント・ディスタンスだ。

じゃなきゃ、いきなり出たりできないっす。



あ、ちなみに完走しました!ペタしてね




その後、

また、例の社長さんに


「ハンコチュウシャさーん、トライアスロンの駅伝に出てよ。」


と言われました。


駅伝?

トライアスロンの駅伝って何さ?


その1ヶ月後、静岡県の沼津であったトライアスロンの

駅伝チームで参加した!




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左から2番目がおいらです。


駅伝とは!

トライアスロンに詳しくない人のために説明しよう!


駅伝とは、一人目がスイム、二人目がバイク、三人目がランを

それぞれやって終わりである。






と思ったら大間違いなのだ!!!!!

(ちなみに、3種目を3人でやるってのは「リレー」という。)


あくまで第1走者がトライアスロン全種目やったら

第2走者にバトンタッチするのだ!

それを3人(つまり第三走者まで)でやるのだ!!


種類はスプリント・ディスタンスだが、3人全員終わったのは

4時間半もかかったのだ!

写真は第3走者がゴールするときのもの。

ちなみにおいらは第1走者だったので、終わった後3時間も

待っていたのだ。すっかり疲れも取れてリラックスしていたのだ。



すっかりトライアスロンの魅力に取りつかれたのだ。



その後、例の社長からまたメールが来た。


「ハンコチュウシャさーん、11月の台湾のレースで

一人欠員が出たんで、行きましょうよ!」


台湾のレースとは、種類はハーフアイアンである。


ハーフアイアン…。

いやいやいや。

いくらなんでも無理ですって。


まあ、百歩譲って1900mのスイムは泳げるでしょう。

もともと水泳得意だし。


でもさ、バイク90kmって何よ!

ラン21.1kmって何よ!


いや、そりゃね、それぞれ単体だったらクリアできる可能性はありますよ!


でもさ、スイム1.9km泳いだ後にバイク90kmやって、

挙句の果てにハーフマラソンって!

しかも常夏の台湾で!!!!


無理無理無理無理無理無理!!

むり!


と何度も断ったが、

その社長は三顧の礼を持って僕を台湾に誘うのであった。



結局僕はその11月3日の台湾レースに出ることを決めた。


出るからには!

制限時間内に完走するのだ!!

頑張って練習するのだ!!


おー!



ということで、勢い付いたおいら。


先々週、うちから九十九里までバイクで往復してみた。

(約80km)

1時間半かけて九十九里に到着し、浜で一息ついて

また1時間半かけて家まで帰った。


疲れた!!


先週はもっと頑張って家から銚子まで行ってみた。

(約90km)

さすがに帰りは電車で帰った。

ところが、銚子駅から千葉行きの電車が1時間に

1本しかなく、乗ったら乗ったで銚子~千葉間で

2時間もかかった。


半日つぶれたわい!


んで、今週はトライアスロンやってるみんなと

葛飾は柴又から宇都宮まで140kmの行程を

ライドするのだ。


頑張るのだ!!




俺はいったいどこに向かっているのだろう…。


‐完‐


ペタしてね

今日は広島の原爆の日ですね。

この内容は去年も一昨年も載せましたが、

毎年このときに載せていこうと思っています。


こんな20歳の女性がいた、ということを知ってもらうために。
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僕の祖母は終戦前後、千葉の柏近辺に住んでいました。
東京大空襲も柏の空から眺めていたそうです。
「空が真っ赤ですごかった。」と言っていました。

そんな祖母は、戦争が終わってから実家に帰ることにしました。
祖母の実家は広島の市内にありました。

皆さんご存じの通り、広島市は原爆で跡形もなくなってましたので、
「自分の家族はどうなってるんだろう?」
というのが知りたくて、帰ったわけです。
もちろん、その頃広島の家族と連絡を取る手段などありませんでしたから
人知れず祖母は心配をしていたわけです。

祖母はその頃、まだ20歳。今でいえば大学2年生です。
乳飲み子だった僕の母を抱えて行くわけです。

一言で「広島に帰る」といっても、
今みたいに新幹線があるわけでもなく、
ほぼ鈍行のみなわけで、
しかも、本数も少なく、切符もなかなか買えなかったそうです。

なんとか切符を手に入れ、乳飲み子だった僕の母を背負い、
列車に乗りました。

でも、列車は乗車率300%なんじゃねーの?位の勢いで
混んでいて、席に座るどころか、立って身動きすらできない
状態だったそうです。

戦後間もなくですから、乳飲み子抱えてるからなんていって
誰も席なんか譲っちゃくれません。

あり得ない話ですが、広島までずっと立って帰ったそうです。

あまりに混んでいるので、その場に座り込むこともできないんだそうです。


そんな大変な思いをして帰った広島は
見るも無残な状況だったそうです。

自分の実家に帰ってみると
廃墟と化していたそうです。
もちろん、実家の周り見渡す限り廃墟です。

「うちの家族は全員死んでしまったんだろうか?」
と不安になった祖母の目にふと、立て札が目に入りました。

その立て札には、
「丸田家(祖母の実家の名字)は全員無事。
親戚の○○町に引っ越している。」
と書かれていたそうです。

家族の無事がわかったものの、広島に到着したのが
夕方だったというのもあり、その日のうちに親戚の家に
行くことができませんでした。

仕方なく、その日は廃墟と化した実家で寝たそうです。
寝るといっても、屋根も壁も床もなく
その辺に落っこちていたトタン屋根を引っ張ってきて
屋根代わりにして寝たそうです。

廃墟の町と化した夜の広島で赤ちゃんと二人で寝るのは
それはそれは怖かったそうです。
街に灯りはなく真っ暗です。

次の日には無事親戚のうちに着くことができ、
家族に再会できました。

なんとも強運なことに家族全員あの原爆の影響を
受けずにいました。
ただ、祖母の弟さんだけが、こののち髪が全部抜けて
しまったくらいです。
(その弟さんは今でもご健在です。)

祖母は安心して、またあの激混みの列車に乗り
千葉に帰りました。

振り返って現在の日本。
大震災があったとはいえ、そんな思いをする
20歳の女の子は今はいないでしょう。

祖母は自分が被爆したわけでもなく、
ましてや家族全員無事だっただけでも
非常に幸運でした。

非常に幸運な20歳の女性でも
こういう経験をしたわけです。

そんな祖母は12年前に亡くなりました。
ひ孫にも看取られ、幸せな最期を送ったのでは
ないかと思います。

改めてこの幸せな日本に生きているという
ありがたさを実感します。
そして、このありがたさはちゃんと孫子の代に
伝えないといけませんね。

-完-

ペタしてね

大学時代、ダイビングクラブにいた。


そのクラブはシーズンに入ると、毎週日曜日に海洋練習がある。


海洋練習は、逗子でやる。


僕のうちは千葉だ。


しかも駅から4kmもある。

歩いたら40分くらいかかる。

チャリで10分くらい。

車でも10分くらい。

バスで20分くらい。


朝から逗子で練習をするので、自宅を

めっさ早く出ないといけない。


日曜日はバスの本数が少ない。
器材が重いので歩いてもチャリも無理。


結局、毎週うちの父親に車で送ってもらっていた。


昔は今と違って、サラリーマンは土曜も半日仕事だった。

休みは日曜だけだ。


その貴重な休みに

毎週毎週

朝早くたたき起こされ、

車で駅まで送ってくれていた。


記憶にはないが、土曜日に飲んで帰ってきたことも

あるはずだ。

日曜日の朝、なんなら二日酔いの時もあったかもしれない。


でも、そんなこと息子の僕にはおくびにも出さず、

毎週毎週

嫌とも言わず、送ってくれた。


帰りは遅い。

20時くらいだろうか。


駅について電話ボックスから連絡をすると

10分くらいで迎えに来てくれた。


毎週毎週だ。


この毎週毎週が、結局3年間ずっと続いた。

4年生は練習しなくていいので、1年から3年の間だった。

ありがたい話だ。




今、自分が子を持つ親になって
娘を送ることがある。


最近は受験勉強で行かなくなったが

美術教室に通っているので、

駅まで車で送るのだ。

帰りも迎えに行く。

毎週土曜日に送り迎えする。


別に器材は重くないが、

それでも娘を送り迎えする。


まあ、いろんな理由があるのだ。


送り迎えする立場になって思う。

正直面倒くさいときがあるなって。


でも、僕なんかうちの父親と違って

朝早かったり、夜遅かったりするわけじゃない。

休みは日曜だけってわけじゃない。


でもたまに面倒くさいな、って思うことがある。


うちの父親はどう思ってたんだろう。


実際の話、僕に用事があったりして

送り迎えできないこともある。


でも、うちの父親が送り迎えできなかったっていう

記憶がない。

つまり、常に送り迎えしてくれていた、という

記憶になっている。


実際は何回かは送り迎えできないこともあったのかな。


ありがたい話だ。


娘もいずれは子供を送り迎えするようになるのかな。

まあそう考えると、駅から家が遠いっていうのも

あながち悪いことでもないな。


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