先日兄から両親の十七回忌法要の日取りを連絡してきた。
両親が亡くなって16年も経つのだ。
親父の方が先に体調を崩して病院に入院。
親父の病院も入院3ヶ月が限度、その頃には週一の透析が必要になっていた。
透析が可能な大分市内の病院を紹介してもらい転院した。
歳も歳だし治る見込みも無く、実家に帰る度に母親と親父の葬儀の話までした。
県南の事業所に転勤になり、赴任したその夜に兄から電話があった。
母親も肺炎で入院したとのことだった。
翌日休暇をもらい病院に駆けつけたが、絶対安静が必要なほどの重症だった。
麻酔をかける必要があるとの医師の説明で、麻酔が覚めないまま亡くなる可能性もあるとのこと。
会わせたい人があれば呼ぶようにとまで言われた。
我家は神さんと2人の娘、親父や母親に近い縁続きの人たち、次々に身近の人間が見舞いに訪れる。
母親は自分の病状には気づかなかったようだが、やがて麻酔で眠りについた。
入院から1ヵ月、それから一度も目覚めることなく7月31日永遠の眠りについた。
兄と2人で母親の葬儀を済ませ、大分に帰って親父の元へ行ったが、混濁する意識の中で親父が一言、「母ちゃん死んだんか?」
母親が入院したことも伝えていないのに、死んだ母親が親父を迎えに来たのかも知れない。
この画像は以前、風こぞうさんが書いた記事を読んで私も書いたオーブ(玉響)記事の画像の1枚。
母親が大事にした実家を、兄が建て替えるため取り壊す直前に私が撮ったものだ。
座敷と奥座敷の間の欄間にかかる、母親の遺影の前後にも現れた。
母親はこんな形で現れ、親父にはこれが妻の姿に見えたのかも知れない。
母親の葬儀の後始末も済まないうちに、後を追うように親父も11日後に永眠した。