静かなるSOS
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両親とのわだかまり

8/21 本を出すにしたがって出版社側とやりとりをしていくうちに費用の話しに繋がっていった。

そうするとどう頑張ろうが5年はローンを組まなければいけない。

そのことをオトンに話せば「そんなに金がかかるとこやったら本なんか出すな!!」やら散々なことを言われ、俺の今までしてきたことを全否定する始末。

その為またオトンと一悶着。


俺はまたもや感情的になりカッターを持ち出し、手首にあてた。

が、そこでタトゥーを見、首筋を手で抑え、タトゥーを彫った時の気持ちを思い出し自傷は間一髪のところで抑えられた。


ここでまた自傷をしてしまえば俺はまた落ちてしまうやろう。

最悪、手が付けられなくなるような気がした。


しかし俺の頭の中はまだパニクっており、相談相手もいなかったため、久しぶりにオカンに無理矢理連絡取ってみた。

いつもはいくら電話をしても出てくれないオカンだったがこの日は連絡がつき、オカンにそのことを話した。


しかしオカンは一言「何も出来ん」と。

挙げ句の果てに「これ以上困らせんといて。もう責めんといてほしい」と。

俺は困らせてるつもりも無ければ責めても無い。


俺はショックを受けた。

実の親にさえ俺が何故本を出そうとしてるのか、何故本を出す意味があるのかさえ理解してもらえない。


これはもう、自宅療法してる場合やない。


俺一人の力で刊行されるまで頑張らなアカン。

俺の本が刊行されるのを楽しみにしてくれている人がいてる。
待ってくれている人もいてる。


また前みたいに荒れてた頃に戻る可能性が無いとは言えないが、首元、腕を隠して無理してでも働くしかない。



しかしこれも一つの転機が訪れるキッカケかもしれない。


理由はどうあれ、自宅療法をしてる間も社会にまた出るのが恐かった俺も働く意欲が出てきた。


思い

8/16(昼)誰かに会いたくても誰一人会う相手がおらず、気付けば「孤独感」や「寂しさ」がまだ俺の中にあることに気付いた。

この数週間打ち込むことがあり気を紛らわすことができてたが、やりきった後にフッと脱力し全ての力が抜けた瞬間にまた「空虚感」に襲われた。


とりあえずこの日は二日分の眠剤を飲んで次の日になるまで寝逃げをすることにした。


と言っても以前の診療内科で出されていた量よりはるかに少ないので俺の体質的にはODにはなってないはず。


これだけの量で次の日まで眠れたらいいけど……





その五時間後、早くも起きてしまった。


辛い。


何もかもが辛い。


何故か無性に辛くなってきた。


原因は分かってる。

それは、その数日前から前の彼女から連絡が来たのでメール越しに連絡をし合ってたせい。


人と言うのは良くも悪くも変わっていく。


冷たくもなっていく。

現実を耐えるのは辛い。

耐えなアカンものなのか?

耐えんでもいいものなのか?


けど現実をしっかりと受け止めないといけない。


俺の心の弱さをどうにかしないといけない。


俺がこうなり、心がかき乱される原因となるのは決まって前の彼女が大いに関係している。


それはお互いにそうやと思う。

じゃあ、何で連絡をやり合ってしまうかと言うと、それは特別な存在やったから……


できることなら彼氏、彼女関係抜きでこれからの人生の中でお互いの仕事になるようなパートナー的な関係になれたら、と思っていた。

俺もその子も。


でもそんなこと夢物語や。
虫が良すぎる。


だから俺は苦しんだ。

悩んだ。

辛かった。


このままやとお互いに足の引っ張り合いになるばかり。


そろそろいい加減断ち切らねば・・・


実行

8/15、タトゥーを彫ってきた。

通常大きさにもよるらしいが俺の彫ってもらったサイズの場合は4~5時間で出来上がった。

そして、血のうっ血が止まるまでその日の夜、シャワーを浴びる時までガーゼを貼っていた。


しかしシャワーをする為、ガーゼをはずしたら絵の一部の色が取れていた。
(ちなみに色は赤、黒、黄色、白の四色を入れた)

黒はくっきりと残ってるのに赤が……。


で、色が馴染んでカサブタも無くなりキレイな状態になる約一ヶ月後に手直しの為にまた行く予定になった。

しかしながら、彫る時首の肉の厚い所はまだ耐えられるが、肉の薄い所は激痛やった

リスカやアムカとはまた別の痛さがあった。

そして極めつけは鎖骨や。

今までにない痛さがあった。


そして家に帰り、オトンが俺の首を見るや否や「彫ったんか」と一言。

それの何が悪い?

オトンは「これで地獄に落ちた気分やわ」と。


その後オトンと言い合いになり「俺には俺の思いがあり彫りに言った」と言うも、年寄りの考えは頭が固すぎる。


オトンは「お前の親である限り俺の子であるのは変わらん。これからそんな首で生きにくくなるのが心配や」と。


俺は「これにはいろんな意味が詰まってて、自傷を無くすこと、この今までの苦しみを忘れんこと、自分への戒めでもあると言うこと、そしてこのタトゥーを見つめ直して俺の病を克服する最大限の刻印なんや」と説明したがオトンは理解に苦しんだ。


やはり戦時中生まれのオッサンには難しすぎる問題か。


しかし俺はこれを体に刻んでから「やっと一つ俺にも制御という名の形が出来た」と安心感が生まれた。


そしてタトゥーの件で今までオトンと言い争いをしていたのも自然と無くなり、オトンも俺のタトゥーのことで何も言ってこなくなった。


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