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日本高速フェリーの建造した元祖さんふらわあ五姉妹の末妹。昭和40年代・長距離フェリーブームの最後の華。
1974年、当時日本最大の豪華フェリーとして、航路(大阪南港-鹿児島谷山港)開設と同時にデビューしたものの、ちょうど石油ショックと重なる最悪のタイミングで、就航直後から既存航路の縮小・廃止、姉妹船(同型ではない)の係船・売却、そして親会社の倒産、という悲劇的な経緯はあまりにも有名。
姉の「さんふらわあ」や「さんふらわあ2」が所属・航路とも流転の一生だったのに比べると、航路は一貫して大阪-鹿児島~のちに志布志寄港・志布志以西は季節運航を経て廃止、という変化はあるにせよ~で、20年近く活躍できたのは、それなりに幸運だったのかも知れない(つぶしが利かなかっただけという気もする)が…。海外売船後約5年で事故沈没、というのはやはり悲運の船だなあ、と思わずにいられない。

前からの絵は1987MAR11・志布志港、後方からの絵は1985年・大阪港外で、別府航路客船こばると丸からの撮影。この鹿児島発着時代の大阪着は実に昼過ぎ。やはり大隅半島大回りは航路設定そのものに無理があった。桜島バックは確かに絵になったのだが。