「リスク回避」と「差別」
「差別」について考えてみました。日赤のホームページで「差別」の例として上がっていたのは「咳をしている。コロナじゃないか」「医療従事者の子は登園しないでほしい」「あの地区は、あの病院は、あぶないらしい」「マスクをしないなんてあり得ない」「◯◯人はあぶない」 という事例●日本赤十字『3つの感染症』http://www.jrc.or.jp/activity/saigai/news/200326_006124.html咳=コロナというほど短絡的ではないけれど満員電車とかだとやっぱりビクってなるなー。医療従事者の方もお子さんの卒園式に参列出来なかったという話が本当にあるらしい。それはあんまりだって思うけど…。不安に思う気持ちもわかる。市区町村別の感染者数だって気になるし感染者の多いエリアに行くのはやっぱりリスキーだって思っちゃうよ。マスクしてない人についはなんか、マスク買いそびれちゃいそうな人が多い気がしてしまうけど。見た目ね。無頓着なタイプ?近づかないようにはしちゃう。合理的にリスクを避けるための行動と、不安から闇雲に差別するということの境界線が自分自身にはわかりにくい?多分、本人は差別って思ってなくてリスク回避って思っちゃう。でも、場合によっては一度キャベツに青虫が入っていたからもう2度とキャベツは買わない!みたいな極論になってるかもってこと?(例えが変…)差別になってもおかしくない状況を「突破」した例を思い出しました。テレビで見た、愛知県の新設病院がクルーズ船の陽性患者を受け入れた話。その病院は開業準備がすっかり整っていてでも、まだ患者はひとりもいないっていう、まさにこのためにあるような状態で、病院関係者も「日本で今、この人達を受け入れる場所はウチしかないな」って思ってしまったそうで受け入れを承諾したそうです。感染症の専門医もいらしてゾーニングを完璧にして、導線の練習もして、万全の体制。ところが、近隣小学校から不安の声。で、病院の人や行政の人が親達の不安に丁寧に具体的に答えて了解してもらった。で、実際受け入れた後は商工会だったか、地元の信用金庫だかが取りまとめ役になって地元の物(果物、パン、スイーツ)を寄付したり、小学生が応援のメッセージカードをプレゼントしたり…。患者さん達も、病院の人も本当に喜んでた。千葉のホテル三日月でも最後、バスが住民の方に見送られてたのが印象的だった。不安をそのままにしたら差別になっていたと思う。不安を合理的に解消してくれたら安心して「いい人」の顔が出せる。差別してきゅうきゅうとしてるより、自分に出来ることをしてあげた方が何より自分が気持ちイイ。ハッピー利他主義♡ホテル三日月でバスを見送っていた人の手には「また、勝浦に来てね!」の紙がしっかり握られていて、全国ネットで何度もテレビに映ってたし!大事なのは、安心かな。説明されてもそれが安心に結びつかなければそもそも対策なりが不十分ってこと…。日々のあれこれに関しては自分自身で自分に説明しないと、か。で、安心できなかったら対策を変えて行く。でもね、不安なまま前線で働いてくれている方がいっぱいいる。最善は人と会わない。あと、通販も今はほどほどにと思う。通販に活路を見出している事業者の方もいらっしゃるだろうからあまりこういうこと言わない方がいいかもしれないけど…。今はとにかく自分は人と合わない自分のために他の人に動いてもらうのもよく考えた方がいいと強く思う。これしか出来ることないしでも、これが一番効果的!8割減で1カ月、7割減で2カ月以上6割減だと、ずーっと横ばいですって!!