ロバートメープルソープ展を見てきました。




花に囲まれた幸せな時間だった。


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笑い声が聞こえた。
泣き声も聞こえた。

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何も発せず、存在することに徹しているものもそうゆう声をだしていた。

存在すること。
存在したこと。
それを存在させ得たこと。
存在する前の空白のこと。

色々なことを考えた。

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一枚一枚が叫びのような花たちの姿態。




彼はもう物理的に今を撮れないけど、

彼が写した

「その時は今だったものたち」が

花の形をとって空間を満たしていた。

彼の眼差しというのは、
まだまだ一つの揺るぎない、
基準でありえた。

少なくとも僕の目にはそう写った。
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花をあんな風に存在させ得たことについて、

僕は言葉を尽くせない。



存在というのはただそこにあるもので、
端から何か言って分かった気になるなんてできやしないんだよね。



今回の場合は見るしかない。
存在は体験するしかない。

彼が見ていた、そして見たかった世界のことを
僕は知らないけれど、
彼が作った世界を見て、自分の世界も形を変える。

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身近なものでも、ありふれたものでも、
そこに違う可能性があることを提示する。

身近なものでも、ありふれたものでも、
そこに違う可能性があることを提示して、
その先に進んで、また同じものから違う可能性を提示する。


それは過去の作品が持つ、
そのときは今だった世界の続きだったり、
過去に見つけた世界の否定だったり様々だ。

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それをやりつづけるのが、演出家の仕事であり、
作家の仕事であると僕は思う。

人間のプロとして、
それに捧げると決めた人間にしか到達できない場所に行って、
それを作品という形で花開かせる。
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生きることをサボらなければ誰だって作家になれる。

生きることをサボらないという意味が掴めていれば。

そこは多分に狂気を孕む。
生きることにしかできないものを試すのだから、
それをサボらないというのは生半可なことではない。

生きることができること。
生きることでできること。
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例えば、一つの百合をみたときに、
どんな世界を僕は作ることができるだろうか。

逆にどんな世界から百合を想像させることができるだろうか。

違う。
どんなスケールを持った人間になったら、
百合から違う可能性が引き出せるだろうか。
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答えは自分の内側に広がる荒野の中にある。

始まりはいつも想うことから。
強く想うことから始まる。
そうしたいと強く想うことから始まる。

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さて、本番まで二週間切ったしゃべる女も、
たくさんの花が咲いています。

ある一定の意図を持ってデザインされることによって、
身近な花たちが、見たことない顔して咲いていたり、
暴力的なまでに同じ花を見つめることでしか
見つけることができないような存在の仕方をしていたり。


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今をウツス様々な花。

どうか劇場に、花を愛でに来て下さい。

ありったけの情熱を持って,
上演時間のすべてを使って、
空間が一人一人を抱擁いたします。

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花に彩られた空間で、
まだ見ぬ時間を思いながら、私は今日も前をみる。


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久世孝臣


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