Holidaysのブログ
1月15日。

しゃべる女、初めての通し稽古をしました。
通し稽古とは簡単に言うと、
シーンごとに止めたりせず、

最初から最後まで本番さながらに
上演しきるというものです。


僕が舞台を演出していて、最もエキサイティングだと感じる瞬間の一つに、

「自分の頭で思い描いていた世界が目の前に現れた瞬間」があります。


自分の頭の中にしかなかったものが、
今、目の前で繰り広げられているのです。

「それだ!!!」と思うし、
そりゃあ興奮します。


そして、僕のいうことを受け止めて
その状態に身体を持って来てくれた
役者に感謝します。



劇場ではそこに、照明と装置と音楽が入る。
ここでもまた世界を浮かび上がらせてくれる
音楽、照明、装置に感謝します。
びっくりします。
それらが入ることで、より、くっきりと世界が立ち現れるからです。



そして一つの虚構の世界が出来上がるわけですが、
劇場にある限りは、それは本当にそこにあるものなのですよね。



世界の中で劇場という場所だけで許されるリアルというものがあり、
その芝居でだけ許されるリアルというものがあります。

それはここにある。でも、ここにしかない。

それを見つけるのが楽しいです。


「この芝居のリアリティはここか」とそんな風にです。

今回のしゃべる女もしゃべる女だけに許された「リアル」
を手に入れつつあります。


さて、僕が演出していて最もエキサイティングだと感じる瞬間の一つに、

「自分が思っても居なかったことが起こって当初の予定が大きく変わる瞬間」があります。



自分の頭の中で考えていた無限の可能性を、
他人に「ひょい」と越えられてしまうのです。
思考の死角を貫かれるというのでしょうか。


「あっ!!!その角度からまったくものを考えてなかった!」
「えっ??そんな面白い解釈実現できるの?」
ってな具合です。


僕のイマジネーションは無限です。
そして、役者、照明、音楽、装置のイマジネーションも無限です。

無限と無限がせめぎあっているのです。


僕はは無限のイマジネーションを
例えば10人の役者が居れば10個に分けます。
役の重要度に従って大きさは違います。


無限なものを分けてもたぶん無限なわけですが、

同じ無限は無限でも大きさと力強さは違うのです。

役者は自分の役に自分の無限を全て注ぎ込めます。
だから僕の無限と彼らの無限では、彼らの無限が勝っていて
しかるべきだと思います。


僕の無限を誰かが越えたとき、
すぐそれに対応して、
更に面白くなる方向を見つけて
そこに向かって道筋を立てる。
その能力はその現場の中で一番高くなくてはいけませんね。
演出ですから。


照明や音楽や装置。
色んな角度や視点から
僕は台本を読むわけです。
演出でありますからある時点までは僕が理想を掲げて
リードしていても
途中からはそれぞれが僕の理想を越えて、活発に提案してくれるようになります。
そしてまたそれをどう発展させるかを
考える。

とても楽しい作業です。
もう全部楽しい。
楽しいことしかない。



今回のしゃべる女でも
僕の無限を僕以外の人の無限が越え始める瞬間が
何回かでてきました。


僕は演出をしていてこの瞬間がとても好きです。
なぜなら一人で本を書いているだけでは絶対に味わえない
瞬間だからです。


だから僕は、脚本やキャスティングに
必ず不確定な要素を入れるのでしょう。


全部クリアに完成が見えている舞台なんてやる意味が無いのです。
僕にとっては。


不確定で予想できないことは怖いからなるべくなくしたくはあるんだけど、
それが一つや二つは無いとつまらない。

予想つかないことでも最初から予想できないことが起こること
計算に入れて柔軟性を高めておくことは出来る。

そうするとさらに楽しめるようになりますね。



なにを?
いきることを。


いきることをサボらなければいい舞台はできるのです。


稽古もそれが問われる段階に入ってきました。

あー楽しい。


今後、役者から、ダンサーから、
そして僕や深堀から何が飛び出してくるのでしょう。


僕達がサボらずに今まで生きてきた結果が問われる日々です。

面白いことや、「あっ」と驚く表現やモノの見方を探す。


何が起きてもその芝居の成功というモノに対して、
自分の無限のイマジネーションから出てくるものに対して、
ロバストに対応していく所存であります。


「劇場に見に来てね」っと。
最後は軽く宣伝で終わっておきます。
よろしくねっと。




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