Holidaysのブログ


あけましておめでとうございます!!



久世です。



写真は久世ではありません。


空也上人像です。




Holidaysのブログ

嘘です。

マンショさんです。



今回は本を書いてみての話。



僕は基本好きに書くときは

不条理というジャンルを書いてしまいます。



意識しているわけではなく、

自分がやりたいことを書くと、

不条理というジャンルになってしまっています。



たぶん、舞台を現代にして、リアルに書いてしまうと、

社会とか、現代が、

限定的になりすぎちゃうからかなぁ。


その状況とそのことが分かる人にしか届かない本になってしまうから。

現代の状況を書くことに抵抗があったのでしょう。


不条理にすれば、人間の存在自体を描くことができる。

そう思います。

それを二時間程度で、どう伝えるか。

そのことばかり考えて今まで本を書いていた気がする。


僕が書きたい「人間の輪郭」ってのを書くには、

現代という要素が足かせになってしまうのです。



でも今回、久々に現代口語演劇(←死語だけど)を書いて思ったのは、

自分が思うより、できることは多いんだなってことですね。

深堀さん。ありがとう。



不条理で届けるのがなかなか難しい、
不条理では届かなかった部分

を届けることができます。


即物的なものとか、快楽と現状しか紡げないと思っていたのが、

きちんと即物的なもの+根源的なものが届けられるんだって思った。

限定的な範囲だけど。


でも、結局、不条理の方が限定的かもしれないからなぁ。

爆発的に普遍性を持つことはあるけど。

現代口語劇の普遍性よりも、普遍性をもつかもしれないけど。

きちん不条理と不確定性を弁えた人間が現代劇を書くと、

同じくらいの効力を持つ。

バランスですね。


現代は多様化が進みすぎていて、

それを舞台で表現するのが難しいから

不条理の殻で包もうと思っていたのだが、

往々にして、やっているほうのこだわりだけかもしれない。


もう、とっくに百年以上物語られている忠臣蔵って、

あの事件が起きた二週間後にはもう上演されていたんですってねぇ。



普遍性を取り込めたらなぁ。僕にも

出来ることがあるなぁ。

と思って今回書いたのでした。


フェリーニもダルデンヌ兄弟も、ゴダールもクストリッツア

伊丹も周防も熊切もそうだもんなぁ。



現代劇をやっていると、

役者のそれぞれの生きていた背景が気になります。

でも日本人である限り、そんなに特筆すべき

過去の持ち主はあまりいません。

僕の思ってる範囲を超えません。

平和でよかった。

でもこれからは分かりません。


そして、不条理をやっているとそこまで気にりません。

存在をそのまま舞台に乗せる手法を僕はとるから。

あなたの技術も経験も全て、

ただ、あなたが今の存在になるための一つの手法に

過ぎなかったのですから。


今回、テキストの思想と僕の思想と役者の思想の距離が気になります。

皆現代に生きているからね。

どういう風にその思想を衝突させずに舞台に乗せるのかって結構難しい。

だから、現代劇を嫌っていたこともあります。


不条理だと、その思想の距離を、今いきている肉体が

勝手にバランスとるからなぁ。いいんだよなぁ。


バレンボイムとサイードが作った楽団のような感覚。

マスターピース。

それを作っているときだけは、民俗からも、政治からも、思想からも解放されるという感覚。、


でもそれは、自分の思想を役者に伝えて、

演じて貰うということから逃げていたのかもしれません。




今回は逃げず、とことん、「わかりやすい現代」と向き合います。

劇場で待ってます。

めっちゃ見て欲しい。

30になって初めての舞台です。