先日イニシエーションラブという小説を読んだのだ。
すでに文庫化されていて、というかもともと文庫だったのかも知らないが
なかなかの注目作品のようだった。
内容はさておき、そのなかにこういう一文があった。
「イニシエーション・・・通過儀礼ってこと?」
「そう。子供から大人になるための儀式。私たちの恋愛なんてそんなもんなんだよって、彼は別れ際に私にそう言ったの。初めて恋愛を経験したときには誰でも、この愛は絶対だって思い込む。絶対だって言葉をつかっちゃう。でも人間には-この世の中には、絶対なんてことはないんだよって、いつかわかるときがくる。それがわかるようになって初めて大人になるっていうのかな。それをわからせてくれる恋愛のことを、彼はイニシエーションって言葉で表現してたの。」
-以下略-
イニシエーションラブ、絶対なんかないってきづかせてくれる恋愛
本の中ではこういうことだった。
そして最近私の身に起こった恋愛から、私はイニシエーションだらけだと知った。
ひとつめ。
インターネットで知り合った高校生から数年「スキだ」といわれていた。
お前は都合のいい存在じゃなければ、スキではない。といってあげたらある日あっさり引いていった。
ふたつめ。
付き合っていた彼が、私のとち狂った部分を垣間見て逃げた。
みっつめ。
付き合っていた彼が、私のとち狂った部分を垣間見て逃げた。
ふたつめとみっつめは同じようで相手が違うから違うのだが・・・
この中に本当の恋愛なんてないと思われる。絶対などないのだよワトソン君。
いつでも私は破壊、と創生を繰り返している。といえばかっこいいが
お前は私がこんなきちがい行動してもなおすきと言えるんかーーーー!!
ってな常識を超えたことをやってしまうのである。ようするに寂しがりやなのだ
本当の愛が欲しいだけなのだよ
といっても、別に玄関を開けて捨て台詞を叫んだりだとか、三日三晩に渡って嫌味を言い続けるだとか
携帯を思いっきり相手の腹に投げつける打とか、
いきなり椅子をもって襲い掛かるだとか、手当たり次第食べ物がはいったままの食器を投げつけるとか
その程度だったんですけどね。悲しい。
絶対なんてないことを知りすぎているからこそ、絶対と思えることが欲しい。
イニシエーションとは真反対にいる自分のイニシエーション、通過儀礼とはなんなのだろうか。
それはいまだ、わからない。
むしろ絶対がまだあると信じている赤子のようなこの首を
誰かにいとも簡単にひねられたいだけなのかもしれないな。
終わりとともにはじまるイニシエーションがそこにはあるのだ。 字余り。
今日の格言:
大好きな人の誕生日をわすれたら
それがあなたのあらたなはじまり