旧帝大の九大でも同様ですが、九大卒の教授よりも東大卒の教授の方が重宝がられる傾向があるようだ。

 

私が参加していたゼミは九大卒の教授でしたが、いつも博士課程の学生と教授の討論というよりバトルがくりひろげられていた。

 

それに比べて量子論が専門の東大卒の助教授は尊敬されていたようだ。

 

鹿児島大学のような地方の大学には東大卒の教授や助教授は少なかったので、学生たちには目立つ存在だった。ただし、私が習った東大卒の先生たちは理系は一人もいなくて文系の先生ばかりだった。

 

その一人、必修科目の法学第一の羽田教授のことは今でもなぜか苗字も覚えていて、私は必修ではない法学第二まで受講した。話も真実味があふれていて重みがあり、聞くだけの価値があると当時思ったのだろう。

 

羽田教授のはなし

 

私の教室の教授はGHQのつくった新しい憲法の草案を一週間で日本語で表現するという、日本の法学者たちの最高責任者で、毎日帰ってくるたびに、「この国の押し付けられた憲法では日本がなくなる」と嘆いておられた。この先生はずいぶん抵抗したのだろうが、ことごとく拒否されていたらしい。

 

羽田教授はなぜかその教授の名前を明かされなかった。その教授のその後のことも何一つ言われなかった。ところが先日、長谷川幸洋、高橋洋一、石橋文登さんのYouTubeを見ていて、私の関心のなかった八月革命説の話に及んだとき全てがはっきりしたようだった。

 

これまで八月革命説については何度か本で読んだことはあったが残念ながら深く考えることはなかった。

 

羽田教授の学生時代の憲法学の教授は宮沢俊義教授で、GHQの憲法草案に毎日反論しておられたようだ。どれほど反論が通じたかはわからないが、GHQに睨まれたその教授は東大教授を辞めさせられることになった。教授にも生活が懸かっているだろうけど、それにもまして東大教授にしかない権威もあるはずだ。教授はポツダム宣言の無条件降伏をしたその日をもって、日本は民主主義革命がおこったのだと憲法学者の理論を展開して、東大教授の座を保ったのだろう。

 

羽田教授はそのことには一言も触れずに、GHQの押し付けた憲法は日本の憲法ではないと地方の大学で学生たちに教え続けたのだ。左翼の学生も多く同席していたが、誰一人羽田教授に抗議をする者はいなかった。それほど羽田教授の話は重みがあった。

 

八月革命を理論建てた東大の教授と地方の大学の教授を比べたときどちらが正しいか、高橋洋一さんたちに尋ねるまでもないと思う。