ようこそ!
日曜日に、神奈川県大磯にある『旧吉田茂邸』を訪問しました。
今日はお庭の散策を紹介します。
旧吉田茂邸は、吉田茂の養父:吉田健三が明治17年に別荘として建築
したもので、その後増改築を重ね、茂が昭和19年頃から
その生涯を閉じる昭和42年、89歳までを過ごした邸宅でした。
豪壮で近代的な数寄屋造りの本邸は、建築家吉田五十八氏の
設計のもと、京都の宮大工により建築されました。
政界引退後も多くの政治家が『大磯詣』を行い、また、国内外の要人が
招かれるなど、近代政治の舞台ともなりました。
ではお庭を散策します。
良かったら お付き合いください。
^^*
内門(兜門)
軒先に曲線状の切り欠きがあり、兜の形に似ていることから「兜門」
と呼ばれます。また、サンフランシスコ講和条約締結を記念して建て
られたことから、別名「講和条約門」ともいわれています。
日本庭園
この日本庭園は、池を中心にその周囲を散策して自然の移り変わりを
愛でるもので、『池泉回遊式』と呼ばれています。
設計者である造園家中島健氏は、数寄屋建築の本邸との調和や花を
愛した茂の嗜好をふまえ、様々な草花はツツジ類、ウメなどを多く取り
入れ、色彩豊かな庭造りを行い、昭和36年頃に庭園が完成しました。
旧吉田茂帝の再建
平成21年3月、旧吉田茂帝は焼失してしまいましたが、
大磯町が再建し、平成29年4月より、一般公開されました。
大磯海岸
吉田茂銅像
大磯海岸の白波
七賢堂
明治36年、伊藤博文の自邸、大磯の「滄浪閣」に建立されたもの。
はじめ、明治維新の元勲のうち、4人が祀られた「四賢堂」でした。
その後伊藤博文が祀られ、昭和35年には吉田茂がこの地に移設し、
西園寺公望を合祀し、吉田茂本人も死後に合祀され、現在の
『七賢堂」となりました。正面の扁額「七賢堂」の文字は
佐藤栄作の揮毫によるものです。
火事で唯一焼け残ったサンルーム
◇窓と窓のある風景◇
今日もお出で頂き、ありがとうございました。
明日も、良い日でありますように。
Copyright(c) 2019~ Green Season All Rights Reserved.
☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆