戸越公園 薬医門と垣根いろいろ | お出かけ-ダックのブログ

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ようこそ!

日曜日に戸越公園を訪ねました。

現在は少なくなった竹垣の種類と説明が

立札に細かく書かれていました。

 

良かったら お付き合いください。

^^*

薬医門

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薬医門

寛文年間(1662)に隈本藩細川家の下屋敷の一部となっていた戸越屋敷は、

江戸滝の口の上屋敷及び芝白金の下屋敷とは性格が異なり、鷹狩りや

キジ狩り、あるいは茶会等を行う別荘風の邸宅であったとされています。

従って、この戸越屋敷に設けられていた武家屋敷門は、上屋敷あるいは

芝白金の下屋敷に構築されていたと推定される長屋門とは異なり薬医門

冠木(かぶき)門等の簡素なものが中心であったと考えられます。

以上の歴史的背景をふまえ簡素で質実剛健な様式であり、

この公園の正門にふさわしい点から平成4年4月にこの薬医門を、

平成3年3月には東門として冠木門を構築しました。

薬医門のいわれは、医師の門として使われたことから

こう呼ばれていたようです。  -ライオンズクラブ寄贈の立札より-

薬医門

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四ツ目垣

透かし垣の代表的な竹垣です。本来は胴縁を四段渡し、

“四つの目”ができることからこう呼ばれます。

簡単な構成の垣だからこそ、胴縁の段数や目大きさのバランスなど

様々なものがあり、変化に富んだ竹垣です。鎌倉時代の絵巻物なども、

その姿が描かれていて、古くから使われてきたものと考えられます。

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金閣寺垣

透かし垣の中でも足元垣の代表ともいえる竹垣です。

楼閣「金閣」で知られる京都の臨済宗鹿苑寺で最初に造られ、

この名で呼ばれてます。

胴縁を渡さず、立子を並べ、太い半割の押縁を渡し、玉縁を掛け

棕櫚縄(しゅろなわ)で飾り結びをします。

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ヒメツルソバ

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紅梅

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紅梅

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鉄砲垣

遮蔽垣の一種ではあるのですが、斜めから覗くと立子と立子の間から

内側を見通せる特殊な竹垣です。胴縁に丸竹を数本組にした立子を

表・裏交互に取り付け一本ずつ棕櫚縄で結束します。昔、戦場で

横木に鉄砲を立てかけた姿になぞらえこう呼ばれるそうです。

ここでは丸竹を組み合わせた意匠にしてあります。

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建仁寺垣(けんにんじがき)

遮蔽垣の代表的な竹垣です。竹を3~4cm幅に割ったもの(山割)を

隙間なく並べ、半割にした割竹を玉縁と押縁に遣い、

棕櫚縄(しゅろなわ)で化粧結びをします。

京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の本山建仁寺で

最初にこの形式が作られたといわれています。

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つつじ

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◇窓と窓のある風景◇

 

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今日もお出で頂き、ありがとうございました。
明日も、良い日でありますように。
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