『忘れられた阿弥陀 法蔵菩薩(五劫思惟の阿弥陀如来)像の研究』
『忘れられた阿弥陀 法蔵菩薩(五劫思惟の阿弥陀如来)像の研究』発刊にあたり 1,はじめに2,法蔵菩薩石仏との出会いと広がり 法蔵菩薩の広がりと意図富山県内の広がり3,法蔵菩薩の造像された年代4,法蔵菩薩の肥満と憔悴像 肥後の「五劫思惟の阿弥陀如来」肥満・憔悴論東本願寺派の動き5,安芸門徒と法蔵菩薩① 広島市西区光西寺勧学・僧鎧の墓血の涙を流す五劫思惟像② 廿日市市蓮教寺③ 広島市佐伯区五日市品正寺④ 安芸高田市 圓光寺⑤ 山県郡北広島町大潮教信坊6,山口県下関市極楽寺の法蔵菩薩7,島根県美郷町吾郷覺法寺法蔵菩薩五劫思惟像の由来記8, 愛知県碧南市應仁寺常滑市奥条宝樹院9,大阪市堺市南通寺の法蔵菩薩10、四国の法蔵菩薩香川県坂出市五色台香川県庵治 香川県香川郡塩屋高松市屋島寺11、九州 薩摩かくれ念仏と法蔵菩薩 筑後八女市 南蛮仏12、岩手県奥州市丹沢のかくし念仏と法蔵菩薩13、滋賀県高月町の釈迦苦行像14、京都府龍谷大学図書館西雲院15,北陸の法蔵菩薩 福井県福井市三十八社町、同市佐野町路傍福井市清水杉谷町報郷隧道石川県石川県能美市稱佛寺鍋谷道場富山県 立山町米道立山町千垣祐教寺立山町末上野六地蔵坂立山町松倉如来寺跡富山市本宮(旧大山町)富山市亀谷高森宅横富山市牧坂本宅内富山市岡田山下家前富山市東小俣公民館横富山市瀬戸富山市大栗今村宅東富山市上滝大川寺公園口富山市中番高田宅前富山市花崎中央十字路富山市花崎の山道富山市市場森宅富山市大野辻家富山市月岡新交差点富山市蜷川最勝寺富山市八ケ山富山市婦中町下邑墓地富山市婦中町新町富山市水橋富山市山田柳川魚津市東城上市町大岩滑川市安田岩隆寺荻生黒部市荻生称名寺高岡市中田善興寺に保存される五劫思惟像の写真南砺市高宮 善念寺南砺市大窪大福寺砺波市増山浄土宗淨蓮寺(現在は廃寺)16,越中空華廬と法蔵菩薩17,安芸徹と法蔵菩薩三業惑乱の波紋18,やせ仏、五劫思惟の法蔵菩薩と節談説教19,庶民や門徒への普及と広がり 真宗の土着化と法蔵菩薩石仏の造立20,法蔵菩薩像のお姿について暁烏敏の法蔵菩薩像について 明治以降の状況22,私塾の衰退23,五劫思惟の阿弥陀如来(法蔵菩薩)像の教えを広がり① 三業惑乱以後の状況 学匠の篤信者 学匠の多く出たところに五劫思惟の法蔵菩薩② 節談説教での伝承 ③ 講のレクレーション化と歎異抄後序の教えの浸透④ 門徒の受容⑤ 近世と近代の断絶⑥ 学塾の不振と近代教学の発展⑦ 教えは教団側だけではない、門徒側の視点⑧ 民俗学からの真宗発刊にあたり 私が還暦を迎えたとき、桂書房から『とやまの石仏たち』を発刊した。序文に浄土真宗本願寺派寺院中田善興寺前住職・本派教学伝道センター顧問飛鳥寛栗氏、跋文の解説に大窪大福寺住職・となみ民藝協会会長太田浩史氏に執筆していただいた。全頁カラーにしていただいた桂書房代表の勝山敏一氏にも格段の協力と便宜をしていただいた。それなりに好評を得たと自負している。それから一七年を経たが、多くの人々は法蔵菩薩の名前を知っているが、その像容についてはほとんど周知されていなかったために、やせ仏のお像には驚きを持たれた。平成二九年に大正大学で第三十九回石仏公開講座「真宗と石仏―聖徳太子南無仏と法蔵菩薩の造像の意図についてー」を発表した時も、大きい関心を頂いた。 稲城選恵著『法蔵菩薩論とは』(平成八年・探究社刊)には「最近ある真宗学者が、法蔵菩薩は神話だ、お伽話だと云ったことがあります。それに対して東京の淳心学報から何か批判を書いてくれと言われたことがあります。それでまとめに書いたのがこの「法蔵菩薩について」であります。この内容はかつて昭和三十九年ごろに京都の「百華苑」書店より刊行した『法蔵菩薩論―その存在理由を中心にー』を圧縮してまとめたものであります。はじめにこれを書いた理由は当寺浄土真宗の内部の学者の中にも法蔵菩薩は神話だと平然という人もありました。そこで神話かどうか調べたのであります。そのおかげで、仏教というものは一体どういうものか、仏教の大事な特色が解り、仏教ならではという特色がはっきりしたのであります」と述べられている。私自身もいろんな真宗教学者の方々に問い合わせても、真宗大谷派、浄土真宗本願寺派の方がたは、阿弥陀如来の前身法蔵菩薩は神話で知る必要が無いとされた。 『法蔵菩薩論―その存在理由を中心にー』は、真宗教学の最たる世界で難解であるが、序文に桐渓順忍師が書かれている。桐渓順忍師は明治二十八年富山県に生まれる。大正十三年龍谷大学研究科卒。真宗学専攻。中央仏教学院講師。龍谷大学教授本願寺派勧学寮頭歴任、昭和六十年逝去された。富山別院開創百周年記念で出版された『学国越中』では「空華学轍の学説」を発表され、黒部市宇奈月町白雪山善巧寺ホームページでは、「空華学轍の思想」を記されている。杉﨑貴英帝塚山大学教授から教示を得た阿弥陀如来像の名品とバラエテについての基本文献である奈良国立博物館編『阿弥陀佛彫像』で執筆者の光森正士氏は「五劫思惟阿弥陀像」について、「五劫思惟の阿弥陀像は、まるで笠をかぶったような長大な螺髪をもつことに特徴がある。(略)髪が長大になっているのは、五劫という長い間、思惟三昧にふけり、理髪を行わなかったのでかかる姿になったことを示しており、(略)なお、五劫思惟の阿弥陀像と称するものの中で、身には腰部に小さな裂(裾)を纏うのみで、ほとんど裸形とし、非常に痩せ細った体躯をもち、片膝を立て、両手でこれを抱え込み、頭を前にうなだれて坐す像がある。しかしこれは実は苦行釈迦の像で、五劫思惟の阿弥陀像ではない」ときっぱりと憔悴像のやせ仏の五劫思惟の阿弥陀如来でないとされている。このように教学的や彫像学から等閑視されてきたやせ仏の法蔵菩薩(五劫思惟の阿弥陀如来像)を再認識することにより、庶民に支えられた真宗を見直したいと思い、この一冊を世に出し一石を投じたいと思ったしだいである。