1月19日(木)

 ホンモノの時代が来ていると言われている。

 横浜国立大名誉教授である宮脇昭氏は、「ホンモノの森」を未来に残すべく、世界を奔走されている。

 我々が未来に残せるものは、「ホンモノの森」 つまり、土地本来のふるさとの樹種で構成された森をつくることであり、その森は、命を守り、環境を守る」と話す。

 宮脇氏は、東日本大震災発生後すぐに、津波の被害にあった宮城県や岩手県の被災地に入り、現地の植生調査を実施。根の浅い松や杉などは軒並みに流されたが、シイ、タブ、カシ類の常緑広葉樹が生い茂る神社の鎮守の森は、流されずに残っていた。

「ホンモノとは、厳しい環境に耐えて実力を発揮し、長生きするものです」

 宮脇氏は、被災地のがれきと土を混ぜ合わせて、埋め立ての丘をつくり、そこに土地本来の樹種を植えて、ホンモノの森による防潮林をつくることを提唱される。沿岸にのびる森は、緑の壁となって地盤を守り、火災の延焼や強風を防ぎ、津波を破砕して、威力を減退させるという。

 「木を植えることは、明日を植えること。9000年生きるホンモノの森をつくろう」 

 宮脇氏の熱い思いがここにある。

 大阪市において、君が代斉唱時に起立をしない教師に対しての処分について賛否両論がある。

 しかし、国旗、国歌に敬意を表しない教師たちが、どんな人間を未来の日本に残すのか? 

 その観点での、議論はない。子どもの未来ではなく、教師の身分保障に議論が終始していることが残念だ。

 「ホンモノの日本人を未来に残したい」という思いをもつ教師に自らの子を育てていただきたいと、私は思う。

 このことに、公立校ばなれがすすむ昨今、「ホンモノの教師」は、気づいている。

 「ホンモノとは、厳しい環境に耐えて、実力を発揮し、長生きするものです。」

 この言葉は、森だけではなく、すべての世界にあてはまる。

1月16日(月)
 昨日、エントモ野球講演会が大阪で開催された。
お一人3000円の参加費を払い、この冬のシーズンをどんな思いで過ごし、どんなことをすればよいのかを学ぶ会である。中学生、高校生を中心に、120名を超える方々が、参加された。
なかには、お年玉を会費にあてていた小学生もいた。頭が下がる思いである。
 森信三先生はおっしゃられた。「身銭を切らないと本物の学びはできない」
 部活動の顧問である教師が、各家庭の理解を得て、3000円を徴収し、勉強会に参加させるのは、価値観の多様化がすすむ今、実に難しい。それを、チームで参加させるのだ。そこに、指導者の信念、そして保護者との信頼感が見えてくる。保護者自身も身銭を切ることで、覚悟が決まる。指導者も、家庭に身銭を切らせることで、結果を求められる。
この緊張感、相互信頼の上で、子供たちを育むことが、チャンピオンへの近道となる。
 だから、部活動の経費や指導者自らのポケットマネーで生徒負担をかけずに、参加することは、簡単ではあるが、
生徒のためにはならない。それは、私の拙い経験からもいえる。
 野球部を勝たせたいと思い、ピッチングマシンを自腹で購入した。
 わが野球部は合計二台のマシンを使い、朝練習を始めた。選手にたくさん打たせて、勝ってもらいたいという一心だった。しかし、それが、親の批判を受けることとなった。
「朝、子供が起きないからやめてくれ」「母親の仕事に負担が生じた」など、抗議が殺到した。
「俺が金を出して、あなたの息子を打たせて、勝たせてやろうとしているのに・・・」 
保護者の無理解に、愕然とした経験があった。
 しかし、それは、今思うと「自腹でやってやっているのだから・・・感謝されて当然だ」という私のおごりが招いたミスであった。
 私が自腹を切ったからといって、保護者は甘くはならない。
 言いたいことは言うに決まっているのだ。
「身銭を切ることで、覚悟が決まる」 
 昨日参加された選手の顔を見てそう思った。と同時に、先生たちの影での、ご苦労が推察できた。
 やはり、生徒に身銭を切らせる先生たちは、自らも身銭を切り、学んでいる。
 「身銭を切る大切さ」を知っている。身銭を切って学ぶことが少ない教育現場にあって、このような教師に、日本の 教育の未来がかかっている。

1月9日(月)

 青山繁晴氏の新著「ぼくらの祖国」に、このような言葉があった。

 「きみは、人生で試験を受けることを重ねて、最後は良い大学を目指すのだろう。しかし、その良い大学を卒業したあとは、どうするのか。仕事をする。そのとおりだ。では、誰のために、なんのために仕事をするのか。

 ぼくも受験の時代、何のための進学なのか、苦しみ抜いた。ぼくの同級生を含めて、日本の多くの生徒は、あらかじめ受験することが決まっている。ぼくもそうだった。そして大学を受験するとき、小さな頃から決められたレールに乗って生きているだけという気がした。きみはしないだろうか。ぼくは、なぜ必ず受験するのかがわからず、

それでいて、違う生き方をティーンエイジャーで選ぶ勇気もなく、苦しみ抜いた。

 今でも忘れない。忘れなかったから、世界を歩いているとき、祖国に出逢ったのだ。

 私は、青山氏と違い、教師になるべく、大学を受験したため、そこに「なぜ受験するのか」という悩みは一切なかった。しかし、教師となって、長年にわたり、「レールにのった進路指導・生活指導」を行なっている自分に疑問を抱くようになった。 だから、28歳のとき、安定した地位を捨て、無謀な挑戦と言われながら、メジャーリーグで夢を実現した野茂英雄選手の生き様に心が震えた。そして、そのとき、自らの生きざまを見直した。夢を見つけた。

 夢が叶い、38歳で世界にでたとき、私も、青山氏のいうように、祖国日本に出逢った。

 なぜか? 今思えば、「自分の悩みについて、自分の頭で考え続けていたから」 と思う。

 青山氏の硫黄島でのレポートを見たある大学生は、自分の考え方が、一瞬にして変わったという。

「ただ自分の欲求、私利私欲だけを追求し続けて死にたくない。人のために生きたい。人のため、社会のため、公のために、生きたい。人のためになら、たった一度の人生を頑張れる。克己できる。そう思いました。」と。

 硫黄島は、第二次世界大戦末期、日本の長い歴史ではじめて、自国の領土を外国に完全に占領された島である。島を守るために、亡くなった2万人のなかで、たったひとりも、自分の利益のために、戦った人はいなかった。

 皆、祖国に残る、女性、子供を守るために戦った。私たちはその方々の次世代にあたる。

 この大学生が、公に生きる思いを抱くことになったのは、やはり「求め続けていたから」といえる。

 青山氏はこう問いかける。

「きみは、祖国を知っているか。あなたは、祖国を知っていますか。ぼくは、知らなかった。

なぜか。日本の学校では、教えないからだ。日本の大人も、語らないからだ。

きみも、あなたも、ぼくもみんな日本国民だ。だけど、日本をそこく、祖国として考えたこと、はっきりと祖国として意識したことが、どれほどあるだろうか。東日本大震災と福島原子力災害が起きてしまった後の日本でこそ、それを問い直したい。」と。

 二十歳を迎えた新成人に伝えるべきことは、奇をてらったパフォーマンスではなく、

私たちの生きる「祖国」のことと思う。