オダギリユウスケ的 
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英詞考5 「Piledriver Waltz」


standing


「趣味は?」と聞かれた時に、「Arctic Monkeysの歌詞の翻訳です!」と答えられるようになるまでに後どれくらいかかるかを考えると、「3年に一度天女が羽衣で岩をなで、その岩が摩擦でなくなるまで」という仏教時間の概念の話を思い出す。


まあ、いいや。


今回はPiledriver Waltz。

どこかノスタルジックで眩いようなサウンドにアレックスの囁き声が語りかける美しい曲。

Arctic Monkeys名義以外にアレックス・ターナーの個人プロジェクトであるSubmarineのアルバムにも別バージョンが入っている。

作った側としても思い入れの深い曲なのではないだろうか。


歌詞


動画


で、僕の訳;

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雨粒の向こうにあるストップウォッチの永続性に

砂時計的な区切りをつけよう
不幸せな結末の話を聞いたよ
きみが去っていくとかなんとか
杭打用の重機が奏でるワルツを聞いたよ
今朝はそいつで目が覚めたんだ

きみはまるで「ハートブレイクホテル」で朝食を取ってきたみたいだね
しかも「喪失の手引き」なんてパンフレットやらチラシやらが置いてある一角に座ってさ
貧乏くさいウェイトレスに食事
水の上を歩くような無理をするっていうなら、せめて履き慣れた靴で行くんだね

未知なるものは点滅する黄信号
回答を見つければ青に変わる
でも質問票の残りは赤のまま
未来永劫変わりはしない

きみは大砲をぶっ放すみたいに僕を捨てるそうじゃないか
パイルドライバーの円舞曲、今朝はそいつで目が覚めたよ

きみはまるで「ハートブレイクホテル」で朝食を取ってきたみたいだね
しかも「喪失の手引き」なんてパンフレットやらチラシやらが置いてある一角に座ってさ
貧乏くさいウェイトレスに食事
水の上を歩くような無理をするっていうなら、せめて履き慣れた靴で行くんだね

-----------------------------------------------------------------


さて、いくつか翻訳のポイント。


1)

I etched a face of a stopwatch
On the back of a raindrop
And did a swap for the sand in an hourglass


始めのこの部分は結構大胆に意訳した。

なかなか意味が掴めずに悶々としていたのだけれど(少なくとも自分にとって言葉の羅列に納得の行くストーリーが見えないと、こんな風に個人で勝手に翻訳する意味はないと思っている)、songmeanings.comのフォーラムにあった意見がヒントになり訳にこぎつけた。

ポイントはストップウォッチは放っておけばずっと続いていくもの、それに対して砂時計は自分でひっくり返さないと新しい時を刻まない、という対比。

そして永続性の象徴にこの歌詞は悲しみを付与しているように思える。

雨粒の湿度と砂の乾燥。

この辺がキーだろう。


2)

I heard the piledriver waltz
It woke me up this morning


そもそもパイルドライバーとはなんぞや、という話なわけだが、ぱっと思いつくのはプロレス技だ(と言っても詳しくないから実際にどんな技なのかはよくわからんが)。

しかし、もともとはパイルドライバーとは杭打ち機という工事に使う重機とのこと(そうわかるとプロレス技の方も想像がつく。痛そうである)。

重機の方にしてもプロレスの方にしても、粗野で無骨な、ちょっとダーティで汗や錆の匂いを感じさせる単語だ。

ここに「ワルツ」という上品な単語を組み合わせるのがひねくれ好きのArctic Monkeysらしい。

ただしどうやらこのタイトルの背景にはカナダの民謡であるLog Driver's Waltzという曲があるようだ。

ログドライバーとは丸太を川に浮かべて運ぶ際に丸太の上に乗り、足で転がすように「運転」する昔の物流従事者のことだ。

Log Driver's Waltzは、丸太の上の足の動きからステップを覚えた労働者とワルツを踊るのが好きなお嬢さんのことを歌った陽気な民謡だ(親がすすめる医者やら弁護士よりログドライバーが好き!と明言。個人というより職業なのか、と疑問に思わないでもないが……)。

実際この歌がPiledriver Waltzの下敷きにあるのだとすれば、「If you're gonna try and walk on water
make sure you wear your comfortable shoes」という詞にも掛かっていることになる。


いずれにせよ、歌詞の主人公はガンガンと不快なリズムを刻む重機のような失恋に伴う痛みで目が覚めたわけである。

その痛みが物理的なものなのか、精神的なものなのかはともかく、悪夢と覚醒の間のまどろみに苦しむうちに、ふとその中に三拍子を見出してそれをワルツと呼ぶアイロニックな視点、実にブリティッシュである。

この曲が入っているアルバム「Suck it and see」のタイトル曲にも通じる「痛みの中の美」がここでも見て取れる(Suck it and seeの訳はコチラ )。


3)

You look like you've been for breakfast
At the Heartbreak Hotel
And sat in the back booth
By the pamphlets and the literature
On how to lose


サビである。

ワルツらしく拍子が変わる。

エルビスのHeartbreak Hotelの引用もよいのだが、ここで秀逸なのは「sat in the back booth by the pamphlets and the literature」という箇所であるように思う。

去りゆく恋人に「きみは惨めだ」と言って聞かせる(あるいはそういった妄想をする)場面である。

実際に彼女が惨めなのかどうかはわからない。

負け惜しみかもしれないし、おそらくそうであろう。

漂う安ホテルの雰囲気。

しかも朝食を食べる場所がレストランから追いやられた、パンフレットが積まれた一角。

俳句のように限られた単語の羅列で情景を浮き上がらせている(ように感じるのは僕だけかしら)。



鳴り響く杭打重機のリズムの隙間を動揺と悲哀と思い出のフラッシュバックが埋めていき、やがて混沌の中に曲が浮かび上がってくる。

そんな想像をしながらこの曲を聞いていると、歌詞に対して少し長めのエンディングは、そうして主人公の頭の中に完成したワルツなのではないか、と思えてはこないだろうか(いいや、思えてくる)。


<画:スタンディング>

英詞考4


拳木


もう何も言うまい。

Arctic Monkeysの歌詞を研究するコーナーです、はいはい(言っている)。


もっと英語を素直に聞き取ることができれば話は早いのだけど、様々な角度から様々なツールを使って攻めていかないと、自分である程度納得の行く解釈に行き着かなくて苦労する。

そんな相変わらずの苦労を経て、今回は2ndアルバムより「Fluorescent adolescent」。


まず歌詞;

http://www.azlyrics.com/lyrics/arcticmonkeys/fluorescentadolescent.html


で、動画;

https://www.youtube.com/watch?v=ma9I9VBKPiw


そして僕の訳;

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あの頃、ベッドの中では網タイツだったきみも、今じゃすっかりパジャマ姿

破天荒な夜の生活と引き換えに落ち着いた暮らしを手に入れた結果、ありふれた瑣末な問題に頭を悩ませる日々

ブラックホールの底での生活はちゃんとしてはいるけど(「私のブラックホールもまだちゃんとしてる」だって?)

それは昔みたいにカワイイもんじゃないよ

まるでタバスコを入れないブラッディ・マリー

彼がいつだってやる気満々だった頃のこと、覚えてる?


まったくしょうもない男?

きみが人生で手に入れた最高のものは、単なる思い出と、かつての夢のかけらだよ

まあ、夢見てる間はそれもそんなに馬鹿げたものじゃないんだけどね


セックスのハウツー本をめくりながら、男たちが激しかった頃のことを思い出してるけど、最近激しいのは物忘れの方なんじゃない?


感傷的にならないように頑張ってすまし顔してるけど、本当は切ないんだよね

紳士は紳士的じゃない方が燃える、なんて、そいつは極太マジックか鉛筆程度か、実際のところどうだったの?


まったくしょうもない男?

きみが人生で手に入れた最高のものは、単なる思い出と、かつての夢のかけらだよ

夢見る少女が言う分には、そんなに馬鹿げた話じゃないんだけどね


きみはどこに行ったの?

あの輝きはどこに行っちゃったんだよ?

ねえ


カラ元気の嘘笑いをしてるけど、きみは自らハンドルを切って、最後の「お楽しみ車線」を降りてしまったんだ

もうあの頃のきみは帰ってこない


あの頃、ベッドの中では網タイツだったきみは、今じゃすっかりパジャマ姿

破天荒な夜の生活と引き換えに落ち着いた暮らしを手に入れた結果、ありふれた瑣末な問題に頭を悩ませる日々

ブラックホールの底での生活はちゃんとしてはいるけど(「私のブラックホール」の話はもういいよ)

それは昔みたいにカワイイもんじゃないよ

今のきみは、まるでタバスコを入れないブラッディ・マリーみたいに刺激が足りてないんだ

きみがグっとくる女だった頃のこと、覚えてる?


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タイトルは「蛍光の思春期」という意味になるかと思うんだけど、当然「~scent」で韻を踏んでいる。

歌詞に直接は登場しないけれど、韻を踏んでいる。

そのままの訳だとアレかな、と思い、勝手に「サラバ思春期の光」と邦題を付けてみた。

もちろん無視してくれて構わない。


アレックスが21歳の時の曲だが、中年女性に(実際にはそこまで年を取っていないのかもしれない。ただイギリスの女性はわりと老け……おっと誰か来たようだ)、もてはやされて満足の行くセックスライフを送っていたあの頃はもうとっくに過ぎてしまったんだよ、と諭す内容となっている。

そう聞くだけでもかなり残酷な詞に感じられるわけだが、これが罵るのではなく、わりと冷静に言って聴かせる「年下による上から目線」的トーンを持っているのでさらにコントロバーシャルな雰囲気となっている。

気の弱い僕は、女性ナントカ人権ナンチャラ評議会みたいなところから怒られないかな、と無駄な心配をしてしまう。


訳していてポイントとなった点について少し書く。


1) Everything's order in a black hole

空虚な生活と女性のホールがかかっているんじゃないかな、と想像される。


2) Now when she tells she's gonna get it, I'm guessing that she'd rather just forget it

「get」と「forget」がライムでかかっていて訳しづらいのだが、前の歌詞のwhen the boys were all electricと繋げて考えて、「激しい男たち」と「激しい物忘れ」をかけてみた。


3) Was it a Mecca dauber or a betting pencil?

歌詞のサイトのスペルと違うが、おそらく「dauber」が正解。

この曲の翻訳をしている他のサイトでも書かれているが、ここの「Mecca」はイギリスによくあるビンゴ場の名前で、言われてみればイギリスでバスに乗っている時などにちょいちょい見かけたものだ。

「dauber」は塗りつぶしペンのことで、ビンゴで出た数字を塗りつぶしていくために使う(らしい。ビンゴに行ったことはないので)。

このペンがマジックのように太いので、同じギャンブルに使う鉛筆を引き合いに出して一物の大きさの話とかけているのだろう。

それにしてもビンゴというのがまたご老人のエンターテインメント、という印象が強く、ここでも冷静でありながら残酷な挑発をしていると思われる。


4) Oh Flo, where did you go

「Flo」はフローレンスやフローラなど女性の名前の略称であるので、呼びかけになっていると同時に、タイトルの「fluorescent」を意味しているとも取れる。

蛍光、あの眩い輝きはどこいったんだい、といった具合かな、と。


5) You took a left off last laugh lane

軽く調べてみたけれど出典がなさそうなのでオリジナルの表現かと思われる。

「left」「last」「laugh」「lane」ときれいにL始まりの単語で揃えている一文。

車のレーンの話だが、イギリスも日本と同じ左側通行の国なので、「took a left off」は幹線道路や高速道路から降りることを表す。

人生の道のりを車道とかけているわけだ。

当然車は自分で運転するものなので、きみは自分の意志で「お楽しみ人生」に終止符を打ったんだぜ、と揶揄している。


ここに至って、少し歌い手の拗ねている様子が垣間見える。

きっとこの女性が安定した大人になってしまったことが残念で、落ち着いた物言いを心がけつつも、どうせそのかわりに満ち足りてない部分があるんだろ、と焚きつけているのだ。


そう考えると急にアレックスがかわいらしく見えてこないだろうか。

もしかすると最後のC#mでの「Ah」という溜息のような声に少し同情したくなるかもしれない。


とは言いつつも、ある程度そうした心情を客観視できないとこうもまとまった曲に仕上げることは難しいだろう。

21歳か……。

すごいな。


<画:拳木>





英詞考3 (プールキューの男と対決するの巻)


ring


もはや英国のロックバンドArctic Monkeysの歌詞ばかりを翻訳するコーナーとなったこの英詞考というシリーズ、そうなったのだから今回もArctic Monkeysだ!


今回はひねくれポップ色が強いファーストアルバムの中でも特にその傾向を感じさせ、なおかつノスタルジックな味付けがなされた佳曲、「A certain romance」を取り上げる。


Arctic Monkeysを始めに教えてくれたのは義弟であった。

彼は少年時代から青春時代をイギリスで過ごしているため、ごく自然に英詞が入ってくるのであろう。

この曲を車の中で一緒に聴いていた時、冒頭に出てくる「Tracky bottoms」という単語を懐かしがっていたのを覚えている。

「Track」は陸上競技のトラックであり、「Bottoms」はズボンのことである。

すなわちこれはジャージの下を意味する。

イギリスの労働者階級の子供たちが好んで(なのか結果的になのかはよくわからないが)身に付けるファッションを象徴するアイテムである。

いわゆるヒップホップ的なオシャレさには届いていないことが多いので、一般的にはあまりスマートとは言えないのだろうが、彼らの中には彼らなりの美学があり、それはある種の文化的文脈を形作っている(Oasisはあえてこうしたイギリスの労働者階級の身なりそのままにアイコンとなった。しかし彼らはそれを最終的にはきっちり商業ベースのファッションに昇華させている)。

僕はイギリスの中でも特に労働者階級の人々を身近に感じられる環境に身を置いていたため、その独特の感性については思い当たるところがある。

たしかに街のあちこちにそういう連中がいたものだ。

「A certain romance」の歌詞を読んでいると(「聴いていると」と書かないところが正直で好感が持てますネ)、路地裏、フィッシュスタンド(フィッシュ・アンド・チップスの店)、安パブ、バスの中など、アルコールとカナビスの匂いの中にいた彼らを思い出す。


とりあえず曲と歌詞はこちら。


曲;

https://www.youtube.com/watch?v=CUGzWETn1HQ


歌詞;

http://www.azlyrics.com/lyrics/arcticmonkeys/acertainromance.html



んで僕の訳;

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あいつら、イケてないリーボックかボロいコンバースを履いてたり
もしくはジャージの裾を靴下につっこんでいるかもしれない
でも問題はそこじゃない
問題は、あそこには「物語」がないってことなんだ


実際の話、連中は気づいていない
こんなことを言ったらぶん殴られそうだけど
でもやつらを見ればわかってもらえると思うよ
あそこにはロマンスがないってことがね


笑えるだろ?
お望みなら連中に言ってやったっていいんだ
全部ぶっちゃけようか?
ただしあいつら、聞く耳持たないだろうけどね
だってもう頭が凝り固まっちゃってるんだよ
まあ、そのまま突き進んでくれて俺は全然構わないんだけど


あそこは終わってる連中の溜まり場なんだ
音楽だって着メロのためだけにあるような場所だよ
わざわざシャーロック・ホームズを連れてこなくても
こことはちょっと違うってことはすぐわかる


誤解なきように言っておくと、バンドをやってるような奴らもいる
そしてビリヤードのキューで喧嘩するような奴らもね
もうビール二缶飲んだんだから馬鹿やったってふつうのことだろって
そんな風に考える人間の場所なんだよ


ウケるだろ?
お望みなら連中に言ってやったっていいんだ
全部ぶっちゃけようか?
ただしあいつら、聞く耳持たないだろうけどね
もう抜け出せないんだよ
まあ、そのまま突き進んでくれて一向に構わないんだけど


だけど、俺は違う!
あいつらに乗せらることなんてない
絶対にない
連中とはどこにも行かないって言ってんだよ
いやいや、ムリムリ


でもさ、あそこには友達もいるんだ
なんていうか、幼馴染なんだよ
あいつらもいつかは一線越えちゃうのかもしれないけど
他の連中に対するのと同じようにイラつくかっていうと
そういうことでもないんだよな
同じようには怒れないんだよな


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やんちゃんなアルバムの最後を飾るにふさわしい、ちょっと切なくなる実によい曲だ。

改めて聴いて確信した。

この曲を書いた時、ボーカルのアレックスは若干20歳。

冷静な客観性を感じさせつつも、ワルをやるには少し大人になりすぎた、この年齢でしか書けない等身大な内容であるように思う。

ただ、この年齢にしか書けないことを必ずしもこの年齢の人間がうまく書けるかというと、もちろんそうではない。


ここで語られる「連中」が実際には誰を指すのか、それははっきりとはわからない。

でも僕は「kids who like to scrap with pool cues in their hands (ビリヤードのキューで喧嘩するような奴ら)」と言う歌詞を聞いて、やはりそれはいわゆるイギリスの、ちょっと背伸びをしワルぶった、労働者階級の子供たち(もちろん労働者階級の子供たちが皆ワルなわけではない。誤解なきよう)のことを思ってしまう。

というのも、僕は実際にプールキューを持った「連中」と対峙したことがあるからだ。


イングランド中央部バーミンガムのホテルバーで働いていた時のことだ。

ホテルバーというと偉そうだが、高級ホテルなどではないので、地元の常連客も集まるいわゆるパブだ。

当時22歳くらいだった僕がのんびりとした土曜の昼のシフトをこなしていると、「連中」はやってきた。

3人くらいだったと思う。

まだあどけなさが残る顔々、当然Tracky bottomsでキメている。


彼らはカウンターに来て酒を注文したが、アンダーエイジ・ドリンキングに厳しい国なので、18には見えない彼らに酒をサーブすることはできなかった。

彼らは仕方なく、コンサバトリー(温室)エリアに置いてあったコイン式のイングリッシュ・プール(英国式のビリヤード。アメリカのものより小さく、赤と黄色のボールを落とすエイト・ボールに似たゲーム)で遊び始めた。

フロアに客はまばらだったので、僕はグラスの片付けをしながら、テレビでかかっていた衛星チャンネルの音楽番組を観ていた。

すると急に派手な音がコンサバトリーから響いてきた。


驚いて見てみると、「連中」がまさにプールキューを手に、客の一人であったスーツ姿の四十絡みの紳士を攻撃しているところだった。

バーで働いていたのは僕だけだったので、村上春樹風に言うと「やれやれ」と思いつつ(もう少し正確に言うと出川哲朗風に「ヤバイよヤバイよ……」と思いつつ)、しかたがないので彼らのもとに駆けつけた。


僕に気付いてキューを持ったやつ以外は一目散に逃げ出した。

しかし興奮しているキューの男は紳士の背中を滅多打ちにしている最中である。

キューがへし折れてもまだやめない。

僕は慌てて一応キューの男を止めるような雰囲気のポーズをとった(僕は大層弱いのである)。

その頃になってようやくマネージャーたちが駆けつけてきて、なんとかキューの男の攻撃は終わった。

結局何が原因だったのか、はっきりしたことはわからなかったが、おそらくホテルの宿泊客だった紳士が奔放な彼らの態度に苦言を呈し、諍いになったのだろう。

マネージャーは「警察を呼ぶからあの若者を見張っておけ」と僕に言い残してレセプションに向かった。

無茶を言うなあ、と思ったが、しかたなく見張る雰囲気を醸し出そうとしたところ、若者は脱兎のごとく外へ走り出した。
僕は「見張る」の意味を頭の中で整理しなおした。
まあ、しょうがない、逃げたものは。

うん。


ここからが不思議なのだが、せっかく「しょうがない」と結論したのに、アドレナリンがその頃になって体を廻り始めたのか、どこかで「スターになりたい」と思ってしまったのか、気が付くと僕はキューの男を追いかけて走り出していた。
冷静に「まいったなあ、でも最近ジョギングをしているし、どこまで走れるかやってみよう」と考える自分、そして「うおおおおおおおおおおお!!!」と興奮している自分が脳内に同居していた。
とにかく僕は走りに走った。

若者が幹線道路をシティーと逆に向かって大爆走しているのが見えた。

全力疾走で追いかけてくる変な中国人バーテンダーを確認すると心底驚いたようで(ロンドンあたりだと日本人はすぐにレコグナイズされるが、バーミンガムは観光地ではない上、日本人に比べて中国人の数が圧倒的に多いので、彼は間違いなく僕を中国人だと認識していたと思う)、「Fuck off」を連発している。
やはり焦りの度合いが高い分彼の足は速い。


僕の体が乳酸を大量放出し始めたころ、奇跡が起こった。
偶然道路を車で走っていたバーの常連客である若いカップルが僕に気がつき、車を路肩につけたのだ。


「あいつだろ。まかせろ、乗れよ」


僕の人生において最も映画の主役っぽい瞬間であった。
彼のバックシートを指す親指に導かれ、僕は車に乗り込んだ。

やはり車は人よりも速い。
幹線道路から1本外れた道で、ついにキューの男を捕獲した。

その後、僕はカップルの車でキューの男と共にホテルに戻ったわけだが、結果から言うとキューの男には逃げられ、危険なことをしたかどで上の人間からひどく怒られた。

普段は草食動物に食まれる草のようにおとなしい僕にしては珍しい体験談である。


思わず長々と一エピソード書いてしまったが(実はこのことは昔書いたことがあり、その文章に加筆修正を加えたのであった)いずれにせよ、こうした経験から、「A certain romance」に描かれている世界を多少なりともリアルなものとして味わうことができるのである。


この歌詞のすばらしいところは、単に「連中」と自分の居場所を区別して嘲笑するだけでなく、長めの間奏に続くエピローグ的な箇所に、「結局自分も完全に連中と袂を分かつことはできないんだ」ということを少し恥ずかしそうに、困惑気味に告白するところである。

これによって歌詞に文学的とも呼べるような深みが生まれている。

そしてその内容は、例によって音や曲構成と正しいコルレスポンデンスを見せているのだ。


イギリスが階級社会ということはよく言われる。

ただ、当時の僕は不思議に思っていた。

今はまた制度が変わってしまったようだが、その頃のイギリスでは市民権を持っていれば高等教育はおろか、大学だろうと専門学校だろうと、収入が少ない家庭の人間はタダで行けたのである。

労働者階級の子だって本人の努力次第で中産階級を目指すことができる仕組みがあった。


でもそれはなかなか実現しないストーリーであったようだ。

制度があるから平等、というような単純な問題ではない、意識の壁が世代を越えた「連中」のコミュニティを形作ってしまっていたのだ。

歌詞の中の「there(あそこ)」とは、そうした目に見えない柵に囲まれた精神的なエリアのことを言っているのではないかな、と思う。

そのことを少しでも自分の目で見て感じたことがあると、この歌詞のメランコリーとアイロニーは一層染みる。


もう一度言うが、若干ハタチの作である。

うん、すごい。


<画:リング>

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