では、2月17日、旅行最終日

まずはホテルをあとにして。
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まず向かったのは大雁塔

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大雁塔は、慈恩寺内にあり、652年 に唐 の高僧玄奘三蔵 がインドから持ち帰った経典 や仏像などを保存するために、高宗 に申し出て建立した塔。

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2002年造られた三蔵法師像は、南(インド)の方角を向いている。

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慈恩寺のシンボルタワーが大雁塔で、高さ64m、7層で、四角形。柱を使わず黄土を餅米で突き固め、外側をレンガの壁で覆った分厚い構造で、最上階まで250段の階段がある。上まで登るとシルクロードが一望できるようです。
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次に西安碑林博物館へ。
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西安碑林博物館は、唐代の石碑を収蔵するため、1087年(北宋時代)に孔子廟跡に建てられました。周代から明代までの石刻や石碑などの文化財3000点以上が展示されているほか、秦から清にいたるまでの1000個以上の碑が収集されています。

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石台孝経。 玄宗自筆の隷書「孝経」の解説。
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781年作成の大秦景教流行中国碑。
中国で広まったネストリウス派キリスト教の碑。
この亀の台座は唐の時代に流行したそうです。

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たくさんの石碑の中で、探しました。

ドレミさんの「音」、発見ラブラブ
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石碑を手作業で印刷、販売もしてました。
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お昼は火鍋ナイフとフォーク

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昼食後は西安城壁へ。
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周囲の長さ約13kmの西安の城壁は唐・隋の時代のものをもとに明代の1378年に造られました。現在中国で完全に残る唯一の城壁で、東西南北に城門が設けられています。

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こちらは西門(安定門)

西安の城壁で最大の西門。この門はシルクロードの発着点ともなりました。
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そして、空港へ行く前にお買い物タイムビックリマーク
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たくさんの人で、年末のアメ横的な賑わいでした。。

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そして、夕方の飛行機で上海に戻ってきました!!


あっというまの3日間でしたが、また中国を満喫できましたクラッカー

次は、どこへ旅するのかな!?

さてさて、昨日はバイトから帰ってきたらあせる

熱が38.5℃もあったyoumeiですカゼ汗

これだけ熱があれば1日立ちっぱなしでふらついてたのもわかりますビックリマーク

ひたすら寝たのでぐぅぐぅ今日は元気になりました!!

どうやら、ドレミさんも胃腸炎に罹ったようでダウン心配です。

明日からのアテンド、大丈夫でしょうか!?


旅行の続き、秦始皇陵をあとにして、

昼食をはさみ、次に向かったのはこちらココ
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秦の時代から現在まで約3000年続く温泉の名所の
華清池です。


747年玄宗皇帝により冬の離宮として華清宮を建て、寵愛する楊貴妃との時間を過ごしました。
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どこかのおじさんが満面の笑みで写っちゃってますが・・・

こちらが楊貴妃さんです。

楊貴妃さんは意外とぽっちゃり系でした。
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海棠湯、こちらが楊貴妃のお風呂。案外コンパクトです。
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蓮花湯、こちらは玄宗皇帝のお風呂。
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日本語の説明も書かれてました~。ちょっと字体がおかしいです。

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その後、いったんホテルに戻り夕食後に、

楊貴妃も見て楽しんだという西安舞踊の鑑賞をしました音譜

京劇、上海雑技と並ぶ、中国の三大舞踊・・・だそうですが、歴史は浅く、30年ほど前にできたそうです。
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最終日へと旅行は続きます。


週末は久々にうちのママンとお買い物音譜

きっとあるであろう・・春からの新生活に向けて準備好

キッチン用品とか見てるだけでウキウキ~ラブラブ

いつから活躍するかは謎ですが、少しずつ揃えなさいとビックリマーク

あー、お鍋欲しい・・。


旅行の続き(先日途中まで書いたのに全部消えちゃって書く気失ったけど)


2月16日

この日の午前中はこちらへ行きましたひらめき電球
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秦始皇帝兵馬俑博物館
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1号坑からあし
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「20世紀最大の発見」といわれる兵馬俑は、1974年に農夫が井戸掘りの作業中、偶然見つけました。秦始皇帝陵の東1.5kmに位置し、約2200年前始皇帝を永遠に守るために副葬されたものです。

東西約210m、南北約60mにズラリと整列する傭(殉死者のかわりに埋葬した人形)の軍隊。軍隊と平行に盛られた土の部分に丸太が渡され、その上に藁と土をかぶせ埋められていました。そのため木が腐るとかぶせていた土が落ちて、傭は粉々に壊れてしまいました。
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6000体以上の兵士や馬の傭が出土。兵や馬の表情や衣装はひとつひとつ異なっています。
現在も復元作業がおこなわれています。
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続いて、2号坑へあし
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外壁にも兵馬俑の顔がひらめき電球
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将軍傭。位は頭の冠を見ればわかるという。

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弓矢の部隊ひざ射ち兵士傭。

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騎兵傭と鞍馬傭もほぼ実物大。両者をつなぐ鎖も当時のものという。


そして、3号坑あし

3号坑は、右・左・中軍を指揮する司令部です。小規模ですが皇帝直轄の重要な部隊です。2号坑と3号坑は1976年に発見されました。

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4頭の馬と人が立つ場所には戦車がありました。
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馬の後ろに立つ1人の御者と3人の軍吏。
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向かい合っているのが作戦会議中!
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外壁の窓も兵馬俑~。こういうの好ききらきら!!
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このおじいさんが井戸掘りの際、兵馬俑を発見した人。

発見後は農業をやめて、兵馬俑の本を購入した人のみにサインするのがお仕事DASH!

もうだいぶお年を召しているから、いつもいるとは限らないみたいww


兵馬俑博物館の次は秦始皇陵へ。
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秦始皇陵は西安の北部、驪山にあり、始皇帝は即位後から、そこに陵墓用の工事を始め、天下統一語は70万人の労力を動員したと言われている。司馬遷の史記によると、秦始皇陵の地下宮殿は、銅を敷きつめ、棺をおさめられるようになっており、珍宝が墓室を満たし、盗掘を防ぐさまざまな仕掛けが設けられている。内部の秘密が漏れないよう、関係した工匠が陪葬され、子供を産んでない嬪妃も殉葬され、殉死者は千人に及んだと言われている。
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秦始皇陵の入り口。
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上り口、雪が凍って滑る中ひたすら登りましたガーン
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登ったはいいが、降りるのにみんな苦労してました汗

滑るから容易に降りれない・・。途中、シリモチつく人多し。


でも、ドレミさんは秦始皇陵にいってからピラミッド見に行きたくなったみたいひらめき電球

新婚旅行はエジプトか!?


旅行はまだ続きます~