1等米≠美味しさ
お米の検査は人が判断して決めるので、(今どきどうなのって感じもするけど)見る人によっては「うーん🤔」てこともあるんだよね。
でもそれは品質の事で美味しさとは違うんだ。
もちろん品質が良いモノと美味しさが合致することも多いけど必ずしもそうじゃないって事。
お米は粒が集まった状態全体の形質っていうのと、一粒一粒の状況(主に整粒、未熟粒、被害粒に分ける)を目視で判断して決めるんだけど、そのスキルを人が個々に身につけて検査するんだ。
機械化された世の中でちょっと時代錯誤な感じ。
品種名が最終の商品名になっているから検査の時に銘柄の検査も判断しないと難しい部分もある。けどもうちょっと簡素化されても良い気がする。
簡素化にならないのはきっと利権、既得権益や、変えて次なるものが上手く構築できないってことがあるんだよね。
お米には長ーい歴史や積み重ねられた事や思いがあり過ぎるので簡単じゃないけどね。
けどさー、普通にチョー美味え米喰いてえよなあー
なんて変な言葉も金田一先生から言わせると言葉も生き物だから時代で変わっていくって。
そう、なんでも時代と共に変わっていくんだよね、きっと。