さて、どう書いたらいいのだろう。。。


 心の中のモヤモヤも整理したいと思い、まとまらない内容です。

何がいいたいのか伝わらないと思います。長い独り言です。



 疲れたという言葉は日頃から使いたくないのですが、少しだけ

書きだし、肩の荷を下ろさせてもらいたいのです。


 子ども達のことでの様々な悩みといろんなことが重なって、

とどめは昨日の出来事でした。まあ、1つは、「おちょうのブログ」の

在り方についてなのですがね。


 おちょうは、性格上のこともあり、いつも全力投球のストレートな

表現、子ども達の顔は出し、ありのままのことを綴っています。


 おちょうや子ども達のことを支えてくれる一番の理解者であり

協力者である、パパの存在なしにはやっていけないので、いつも

感謝しています。


 めったに限定記事を書かないようにしているのは、アメブロの会員

でなくとも、アメンバー承認した方でなくとも、必要に応じ読みたいと

思ってくださった方々に読んでいただけたらと思っているからです。


 誰でも読めるということは、世間でいうネットならではのマイナス面

の報告等も目や耳にしたりもしていますが、我々にとっては、結果的

には、たくさんのプラスのことばかりがかえって来ました。



 こういった個性的な子どもたちを授かりつつも、前向きに楽しみ

ながら育てていられること、子どもたちがどんな段階を経て大人へ

育っていくのか、未知数の不安と期待があります。


 子どもたちの諸先輩の方々がどんな子ども時代を経て大人に

なっていったのかも知りたい。自分が知りたい情報があるのならば、

まずは自分たちのことを発信するべきでは?とも思ったり。


 個性的な子どもたちを授かった親たちは、どのように周りの方々

とのかかわりを持ちながら育てているかということは、おちょう自身も

他の方のブログを読みあさる中で、非常に参考になっていました。



 記事を書きながら、何気なくさらっと書いたことに、共感をいただい

たりすればするほど、読み手にも伝わるような文面となることを

心掛けて残してきた記録です。だから、おちょうのブログは、長い。


 限定記事だけにするのは簡単ですが、そうなると、せっかくの

チャンスを自分の手で狭めてしまうことになるのではと思ったりも。



 ぐるぐる渦巻いていますが、幼児期の顔は変わるということも

あり、顔をオープンにしての掲載は、学童期に入ったところまで

かなとは考えていました。


 普通のお子さんとは違って、入学できるところに辿りつけたという

ことは、本当に有難いことだと思っていたので。ノッティがたくさんの

方々に見守られ、こうして確実に大きくなっていっているということを、

ただ、発信したかった。ここまで来るには、いろんな方たちの助け

なしには来られなかったので。


 特に近くで支えてくださる方への感謝の気持ちと、我々の周りの

方々とも良好な関係でいられているという意味もあり、このブログを

書く上で割愛と言うわけにはいかないため、書いたつもりだった

のですが、そうとはとっていただけず。。。


 ノッティが生きている時に一緒にこういう思い出ができたということ

も、このブログの記録に残したかった、ただそれだけです。反省

すべきことは反省しているつもりでいますが、きっと伝わらない

だろうなしょぼん


 おちょうの気持ちとは反し、おちょうのブログの表現の仕方に、

深い不快感さえ抱かれていることを知りました。考え方の相違かな。

仕方がないですね。


 こうなってしまっては、今後どうブログを書いていいのやら、

わからなくなってきました。書くことによって、他の方はどうだったか

教えていただきたいこともあるのに。あぁ、書きたくても書けないよ。 




 我が家は個性的な子ども達ということで、壁にぶち当たっては、

我々なりにいろいろと調べて情報をもらったり、こちらのことを気に

かけてアドバイスをしてくださったり、応援してくださったり、協力

してくださる方に恵まれ、本当に感謝しています。


 ブログを続けているのは、我が子ども達の抱える病気をたくさん

の方に知ってほしいし、同じような仲間が欲しかったこと。そして、

大変な状況を乗り越え、こうして元気に過ごしていることを発信する

ことによって同じ状況下の方々への励みとなっていただきたいから

です。 


 先行く者の立場として、後から来る方々への道しるべ的な思いが

あります。


 乗り越えられたあとには救われた恩返しのつもりで、同じように

壁にぶち当たっている親御さんの少しはお役にたてればという思い

もあり、できるだけ詳しく子ども達の様子や、支えてくださる方々への

感謝の気持ちもあり、書いてきたつもりでした。



 最近、出先でも、子ども達の集まる場所でのお母さん方からも

よく言われる言葉があります。


「1人でも大変なのに3人も育てていて、尊敬しちゃいます」

「日本国のために、たくさん産んでくれてありがとう」

「子どもは宝だから、今が一番大変だと思うけれど、周りの人の

協力をもらいながら、無理せず頑張ってください」などなど。


 

 いつも思う。どんな親も大変な思いをするし、悩みのない子育て

だったっていう人にまだ出会ったことはない。真面目に向き合って

いるからこそ、大変な時こそ大変だということに気づく余裕さえも

ないんじゃないかなと。疲れているっていう感覚すらない。


 身体のバランスを崩しかけている時に、ふと疲れに気づき、

落ち込んだり悩んだりしてしまうのかもしれないな。


 

 「1人でも大変な子がいて、3人もちゃんと育てられるの?」


 そう言われたことが、落ち込んだり、壁にぶち当たった時に

フラッシュバックします。確かに子育てする環境をつくれていない、

ダメな母親であることは、認めています。


 障がい児を授かったら、その弟や妹を授かるべきではないという

ことをいいたかったのですか?って聞きたい位。


 ちゃんと育てていないと思っているから、そういうことを口に

されたんですよね。


 ちなみに、ちゃんと育てるって、どんな子育てなのでしょうか?



 なんだかちゃんとした子育てが出来ていないから、発達・発語の

遅れを取り戻せていないと責めたてられているような気がして、

苦しい気持ちに陥っています。


 しかしながら、子どもの可能性は無限で、引き出し方によっては

思った以上の方向に進んでくれると信じているからこそ、手探り

ながら子育てしているつもりですが、本当に難しい。



 胸の奥底のもやもやを、まとまりなく正直に書き過ぎって、叱られる

かな。気まずくもなるかな。言葉で話したところで、聞く耳をもたれな

いと思うので、書きだすことで少しは発散できるかもしれない。



 本記事は、しばらく公開の後、限定記事への移行、もしくは非公開と

するかもしれません。


 書くことは大事ですね。ストレスをためないことが大事。母はいつも

ニコニコでいないといけないですね。


 はぁ~。少し、心が軽くなったような気がします。



 どんなことがあっても、常に前に進むのが私。もう少し頑張ろう、私。