落平神社を訪ねて

落平神社を訪ねて

平家の隠れ里に行ってきました

随分お久し振りになってしまいました。

前回の記事からだいぶ間が空いてしまい、忘れ去られたブログになっているとは思いますが、自身の回顧録として残したいので記します。

暫しお付き合いください。

 

2022年7月

 

薩摩川内市立中央図書館にて、阿久根の平家の落ち人に関する書物がないか調べに行きました。

阿久根の資料館にも立ち寄りましたが特に記録は見つかりませんでした。

 

入館してすぐ横に、職員さんの集まるお部屋があったのでそこで

 

阿久根の落部落について調べたいです。資料や本など探せますか?」

 

と尋ねました。

データ化してあるのか、すぐに見つかったようで職員さんが取りに行かれました。

ロビーの机でそれを見せてもらったのでここに記します。

 

内容に気を取られ、表紙を記録することを忘れていました。

 

ネットの大海のなかでも阿久根の平家の落人の記録を探し出せたのはこのブログのみと思われます。

本当に落部落は平家の一門が逃げ延びた地なのか、今まで証拠なき言い伝えでしかなかったことが、この書物が確かな証拠となりました。

疑っていたわけではありませんが、落部落の落平神社跡地、並びに公民館内には証拠となるものは何一つ残っていなかったので、この本は本当に貴重な証拠となります。

 

今は失くなってしまった社殿の形も写真で残されていてとても貴重な資料です。

 

 

 

 

タイトル「阿久根の地名」

 

その一説、ほんの数ページに、それは記されていました。

 

以下、引用

 

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おとしすでによく知られている平家の落人が、住みついた土地であることから「落」といわれる。

 

平家の落人伝説は各地にあるが、わが莫祢にたどり着いたところは、折口の浜であったという。そのうち、この落の地に住みついた人数は七人で、上床山の麓に住居を定めたとはいえ、源氏の追手を恐れたことは十分にうなずける。その対策として、西の海が一望に見渡せる上床山に登っては、源氏に対する見張りを続けねばならなかった。

 

また、一説には、彼らは上床山の頂上で見張りを続けるため交替で山に登り、また山をくだった。

 

登りはつづらおりの細道をたどり、下りは柴馬と呼ぶ木の枝を束ねたものに乗って一気にすべり落ち、下ったのである。その道を「下」といったことから、この地を「落(おとし)」というようになったともいわれている。

 

また、この集落に「落平神社」があるが、名が示すように、平家の落人を祭神としていると伝えている。

 

平家ゆかりの人々であろうが、今日もときおり参拝者を見かけると、古老は語っている。

 

また平家の落人たちが、最初ここにたどりついたときは、同じ場所に住んでいたが、日が経つにつれ警戒心もうすれ、心の平静をとりもどすにしたがい、それぞれ水の湧出する住みやすいところを探して、散らばって住むようになった。その地名は「仮屋住まいごち」、「やっごち」、「榎の木迫ごち」、「くがらごち」、「中村ごち」、 「度敵ごち」、「猫石ごち」と呼ばれて伝わっている。

 

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著者「郷土史編さん委員会 編」

書名「阿久根の地名」

出版社「鹿児島県・阿久根市立図書館」

刊行年「昭60」