私の箱根駅伝は、故障で終わった。故障してから本番までの2~3週間の思いは、これまで~苦しい日々~に綴ってきたが、せめて「これからの生き方の糧」にしていこうという気持ちで締めくくったつもりだった。

 しかし、その気持ちが具体的にどうなっていくのか、根拠のない自らの「励まし」もしくは「慰め」だったのかもしれない。とにかく「感情」を押し殺すための一番の防御だったのかもしれない。

 あれから約40年を経た今、当時の自分を改めて振り返ってみると健気にも思えてくる。

 

 40年もたつと実に様々なことがあり、その都度いろんな思いをしてきた。箱根駅伝に走った記憶、最後に故障で走れなく終わった記憶。外に向けては前者は成功体験と後者を失敗体験といったりする。

 例えば「勝つ」と「負ける」は表裏一体。その場で出る答えは二つに一つ。

でも、それらは答えなのだろうか。

 成功することでその後の自信となったり、レベルアップしたりするのは確かだ。でもそれが足かせとなることも経験した。

 失敗することで確かに失うものはある。しかし、そのことをバネに成功につなげればきっと失敗が意味を持つ。

 今、そのことを実感する年齢になった。当時の場面でこういうものだといわれて頭ではわかっても実感がない。

 成功、失敗もしくは勝つ、負けるでは終わらないものがある。今でこそ言えばそこはスタートラインだと思える。

 そして、大事なのは当時の自分の気持ちとしっかりと向き合って心に刻み、大事に持っていれば良いのではないかと思う。そして、何かにつけてそのことがベースになっていることに今年齢を重ねて気づく。

 時間はかかるが、決して遅くない。だから人生はおもしろいものなのかもしれない。