江戸時代の小田原城をめぐって
二の丸へやってきました。
二の丸は広々とした空間で特筆すべきものは何もなし。
一昔前は小学校と高校が建っていたそうです。
江戸時代の二の丸はこうでした。
ここであれっ
小田原城では二の丸御殿とは言わず
二の丸御屋形と言われていたんです。
ここでも小田原城ならではの事情があります。
江戸時代の小田原城は小田原藩の政庁でありながら
将軍専用宿舎施設としての役割がありました。
普通の城なら本丸に藩庁・藩主の生活の場がありますが
小田原藩はそうはいきません。
本丸御殿は将軍のための宿舎。
したがって小田原藩の政庁や生活の場は二の丸。
それも本丸御殿と同じく二の丸御殿と呼ぶには恐れ多い。
へりくだって二の丸御屋形と呼んでいたんです。
では本丸に移動します。
常盤木橋→常盤木門をくぐり、本丸→天守
常磐木橋
常盤木門
ここで家紋に注目
赤枠をズームすると
葵の御紋
ここでpart1.2を振り返ります。
馬出門の鬼瓦は小田原藩主・大久保家の家紋
同じく銅門も大久保家の家紋
家紋・家紋とうるさいなあ~と思われたかも知れませんが
これを紹介したかった
二の丸に入場するまでは大久保家の家紋でしたが
本丸に入場する常盤木門からは全て徳川将軍家・葵の御紋。
これを見ても本丸は徳川将軍家の宿泊所であり
小田原城でありながら将軍に差し出した曲輪であることが分かります。
そして本丸到着
最後に天守展望台からの眺めです。
海と山が見えるステキな景色
将軍もこの景色を楽しんだのでしょうね
これで「知れば知るほど奥が深い小田原城」
終わります。
part1からpart3まで長々と読んでいただき
ありがとうございました。