水戸黄門のおばあちゃん。
この方です
お万の方
上総勝浦城主・正木頼忠の娘として1577年に生まれます。
1590年秀吉の小田原征伐の際
正木家は北条側。
秀吉側の兵として徳川勢(本多忠勝隊)に攻め込まれ落城。
その時お万は14歳。
母と一緒に
40メートルある八幡岬の段壁に白い布をたらし
海に逃れました。
(お万の布さらし伝説)
母方縁者が住む伊豆に身を寄せたお万とその母。
流浪の身でありながら
行く先々でお万の美しさと聡明さが評判となり
その縁により徳川家康に見初められ側室となります。
この時家康52歳・お万の方17歳。
35歳差ありましたが
お万の方は2人の男児に恵まれます。
その二人がスゴかった。
一人が後の紀州藩主となる徳川頼宣
もう一人が後の水戸藩藩主となる徳川頼房
徳川の姓を名乗ることが許された
徳川御三家(尾張藩・水戸藩・紀州藩)のうち、
二つの藩祖の母。
そして「この紋所が目に入らぬか~」
テレビでお馴染み水戸黄門はお万の方の孫になるんですよ。
ちなみに家康側室・お万の方はもう一人
結城秀康の生母もいますが、その方とは別人です
ではお万の方が生まれた勝浦城を見ていきます。。
勝浦城は現在八幡岬公園となっています。
駐車場が三の郭のあった場所
入口です。
公園内の地図です。
歩いて行きます。
海を見ながらの散策はとっても気持ちいい
見えてきました。
子供の広場
二の郭があった場所です。
二の郭手前に勝浦城址の碑と階段がありますが
こちらは後回し。
まず二の郭へ
奥の階段を進み
展望広場となっている
一の郭へ
お万の方の銅像と展望台。
展望台から海の景色
この崖がお万の布さらし伝説の場所。
14歳で白布だけで崖下へ下りて行く勇気。
いやぁ~並みの方ではないわ~と感心。
では二の郭へもどり
後回しにしていた勝浦城址の碑があった
階段へ行ってみます。
何があるのかなぁ~と
興味シンシンでしたが
神社でした
これで勝浦城見学は終了。
海の景色を楽しみながら
ここがお方の方の生まれた城だ~と
歴史にも思いを馳せた攻城でした。