千葉県の館山城へ行ってきました~
「日本100名城」にも「続日本100名城」にも指定されていないお城ですが
私はとっても気になっていたお城。
館山城を居城としていた里見家は
戦国時代に関東で一大勢力を誇っていた小田原北条家から
房総の地で独立を保ち続けていたんです。
1587年の勢力地図です。
(画像はお借りしました)
この地図を見ると里見家は房総の端っこ。
こんな小国の大名がどうやって北条から独立を保てたのか
その外交手腕、気になりませんか
現在の館山城です。
残念ながら1614年に里見家は鳥取の倉吉に移封となり
そのときに館山城は廃城・破却されました。
この天守は模擬天守です。
お城の中は「八犬伝博物館」となっており
里見八犬伝にまつわる様々な資料が展示されています。
私はあまり「里見八犬伝」には興味がないので
横目でササッと見てすぐに天守最上階へ。
展望台からの眺めです。
天気が良かったので房総の素晴らしい景色が拝めます。
館山城はこのくらいにして
館山城から徒歩3分
館山市立博物館本館へ
ここで里見家の歴史が解説してありました。
やはり戦国時代、小田原北条氏は幾度となく里見家を攻めてきたようです。
里見家は越後の上杉・常総の佐竹と手を結ぶことによって
このピンチを切り抜けます。
北条の北にいる上杉と佐竹と手を結ぶことによって
房総に攻め込まれたときには北から攻撃を仕掛けてもらう
そうすることで北条は里見家討伐に集中できなくなるんです。
そういう手法で独立を保ったのですね。
そしてその北条氏とは1577年に和睦。
それからの里見家は
1590年の秀吉の小田原(北条)征伐の際は豊臣方につきますが
自国の領土拡大を優先したため参陣が遅れます。
これにより秀吉の怒りを買い、上総・下総の領地が没収されます。
時代は変わり関ヶ原の戦いでは東軍についた里見家。
その功績から3万石を加増され安房12万石の大名となりますが
東京湾入口にいる外様大名に徳川家は不安を感じ
1614年里見家に鳥取の倉吉へ転封を命じます。
倉吉の地で当主である里見忠義が病死し里見家は改易となります。
ざっくりと里見家の歴史が分かったところで
ちょっと話は変わります。
金谷港から車で館山城まで移動しましたが
そこで見たものは台風15号の爪痕
台風から2ヶ月以上もたっているのに
まだ屋根や壁がブルーシートに覆われている家々が多くあるんです。
館山城からの写真です。
見にくいかもしれませんが
ブルーシートに覆われている屋根や壁が
至る所にあるのが分かってもらえるかしら
館山城の一部もこの状況です。
「被災地へ観光に行くのも復興支援になりますよ」と
テレビで言っていたことと
そして館山城へ行きたいと思っていたことが
今回「千葉へ行こうか・・」ということになったのですが
実際、自分の目で惨状を見て
まだまだ現状復帰がほど遠い段階あることが分かりました。
1日も早く元の生活に戻れますように。