ふくい桜マラソンに行くまでの
葛藤などの話です。
決して楽しい話ではありませんのでご了承ください
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父が末期がんであることがわかったのは
2025年の12月16日のことでした。
父は以前から「癌であること」も「余命宣告」も聞きたくないと何度も言っていましたから、余命について私も先生に聞きませんでした。
ですが病院からの「とにかく急いでホスピスを探してください」という言葉と、既に肺癌が肝臓に転移していると聞いたとき
恐らく春まではもたないのではないかと思いました。
関東地方に住む姉に連絡し来れるようになった日が、あの記録的な大雪の日でした。
そして父は月1回の受診を続けていましたが、3月21日にサ高住から救急搬送されて入院になりました。
この時点で早ければ1週間くらいだと・・・
マラソンに行くかずいぶん悩みましたが
姉が付き添うから行っておいで、と言ってくれました。
一緒に行くEちゃんにはいつ、なんて言おう?
言えば気を使わせてしまって旅が楽しめなくなるかも。
そう思っていたのが顔に出ていたのか
前日の食事では美味しいごはんのほとんどを残してしまいEちゃんに心配をかけさせてしまいました。
だからちゃんと
走りきりたかったんです![]()
お見舞いも行かずに練習したんだから。
付き添いもしないで福井まできたんだから。
そんなプレッシャーを勝手に自分にかけて
その結果、ぜんぜん走れなくて。
何やってんだ私、という気持ちが
ゴール前に溢れてきて。
初めてフルマラソンを完走したときとは
ぜんぜん違う負の感情の涙![]()
父のことはEちゃんには走ったあとに言おうと決めていたんだけど、その時にはもう身体中が痛くて動けなくて食事の約束をキャンセルさせてもらいました。
Eちゃんからの返信は
食事のキャンセル自体は快くOKというものだったけど
それに続く文章は
その日、膝の手術後初めて5kmに挑戦したEちゃんが「もう再び走ることを諦める」と書いてあってショック。
すぐにRUNを再開する気持ちに
なれなかったです![]()
