「ニューリーダー」2018年4月号より。

 

ーーーー
~一部省略~

 

陰謀論者が「國體勢力」を見誤ったのは、「強欲史観」に捉われたため、ということである。この誤りは、マルクス経済学および近代経済学が、経済行動の主体として「資本家」ないし「ホモ・エコノミクス」という人間像を登場させたのと同類の誤りといわねばならない。
歴史事象の解釈において、登場人物の人間像ないし人間集団の行動基準を、「あくなき物欲」に支配された「物欲史観」や、「生存」にとことんこだわる「延命史観」、あるいは、「地位ないし権力」にしがみつく「権力史観」とみることがもっぱらで、これらを統合して「強欲史観」と呼ぶが、こんなものを基準とする限り、國體資力の存在を感知することなど到底できず、歴史の真相は永久に見えないのである。
國體とは本来、それぞれの地域社会のあるべき姿のことで、これを保持せんとする社会集団が古来人類社会に存在するので、これを國體勢力というが、集団の構成はおおむね、キミ(國體天皇)、オミ(國體参謀)、タミ(國體奉公衆)の三段階からなる。
國體勢力の行動基準は、マルクスやアダム・スミスが説く「物質的欲望」ではなく、「國體の保持」である。

 

~一部省略~

 

國體奉公衆は、自らと家族を維持するに足る給養を國體天皇から保障されているため人民と争って財貨を求める必要がなく、超越的な知識と能力を秘めているので俗吏のごとき権力もいらず、國體奉公に満足しているため位階勲等など俗世の名誉も念頭にないのである。ようするに、國體奉公衆の行動基準は物欲ではなく、國體任務そのものにあり、その完遂をもって欲望は基本的に充足されるのである。

 

~一部省略~

 

國體奉公衆は太古メソポタミアに発祥したウバイド勢力の末裔で、私が「修験サエキ」と呼ぶものである。

 

~以降省略~

 

ーーーー

これを読むと、落合莞爾氏が「マニ思想」をウバイド思想と言っていることも分かってくるように思えます。

 

経済理論が常に仮説どまりで、現実世界で完全に再現されない理由も、上記のような心性の人々が一定数いることの証左に思えます。

 

ウバイドは見方によっては控えめで、「わたしが、わたしが」、「わたしは、わたしは」というような強い我欲や顕示欲もないように思えます。

 

「マニ思想」という思想に触れ、仏教が説く「四諦」・「八正道」という概念に触れ、マニ思想と仏教が隣り合わせであるように思えました。
(ゾロアスター教が小乗仏教に交じってインド大乗仏教が形成され、マニ思想が入り北伝仏教になったとのことです。さらには密教にも。)

皆がウバイドのような精神性であれば、日々の生活や政治も経済もおだやかなのでしょうね、きっと。



 

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「ニューリーダー」2018年3月号より。

ーーーー
第二次大戦の後に成立した国際連合の本質は米ソ両極体制であった。創設の目的は、端的に言えば、西洋帝国主義から解放されたアジア諸国の安定的発展を軌道に乗せることである。
この体制を支えるために考案されたのが日本国憲法の第九条で、米ソ両極体制を保障するために、日本はいずれの側にも軍事加担しないことを宣言したのである。

~一部省略~

ところが、東西対立が一層激化するなかで、国連体制によって干戈を交えることのできない米ソ両極は代理戦争体制に入ったのである。朝鮮半島で南北問題が生じるのを織り込み済みの日本は、朝鮮半島に戦雲が迫れば、たちどころに非武装条項が意義を失い、憲法の改正が要求されると踏んでいたが、現実はそうならなかったのが歴史の皮肉である。

国連に常任理事国を設けて、米・ソ・英・仏・中(国民党)の五ヵ国に拒否権を与えたのは、日本が非武装条項を改正しても米ソ両極体制が維持されるための装置であった。これを世界戦争に対する歯止めとして、日本は講和条約とともに憲法改正に踏み切る手はずであった。
ところが、アメリカ民主党(実質は在米共産主義者)の世界戦略に迎合し、これを体した占領米軍の横田幕府(海兵隊)の圧力に屈した吉田政権が憲法改正に進まなかったので、昭和天皇とマッカーサーは愕然としたという。

~一部省略~

ソ連の自壊による米ソ両極体制の崩壊はすなわち国連体制の崩壊であり、これにより日本が世界から憲法九条の撤廃を求められているが、爾来三十年余、この自明の理を悟らずして日夜、改憲の是非を論戦してきたのが、わが国会・言論界である。すでに意義が消滅した日本国憲法「軍備放棄中立条項」の存続の是非を争う改憲論争は、世界史的にも奇怪至極な現象というしかないが、後世の史家がこれにいかなる評価を下すか、多少の長生きすればこの目で見ることができることができると思うから、楽しみである。

~以降省略~

ーーーー
政治家、メディア、識者、国民の皆が上記の話を理解していれば、日本の政治はもっと質の高いものとなっていると思います。

識者によっては、敗戦後の対米従属について言及して本を出されている人もいますが、日本が対米従属している意識がない人たちはそのような本も読みません。

対米従属に関する情報が広まるのを抑えようとする圧力もあるのでしょうか。

 

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2018/4/17に落合先生の新刊が発売予定ですが、今回の本は周恩来がフィーチャーされる予定です。

 

周恩来、呉達閣、王希天という天津南開中学の三羽烏で、日本に大きな影響を与えたようですが、その中で今回は周恩来とのことです。

 

周恩来について驚きの姿が明かされていると思うのですが、周恩来に絡んで興味深い施設を知りましたので、参考までに書かせて頂きます。

 

■ 撫順戦犯管理所

 

シベリア抑留をされていた人々のうちハバロフスク監獄にいた969人が、1950年の中ソ友好同盟相互援助条約締結の際にスターリンからの提案で引き渡され、この撫順戦犯管理所に収容されました。

 

戦犯政策の総指揮をとったのが周恩来らしいですが、この管理所については、手厚い対応を行い、十分な食事が与えられ、強制労働もなかったとのことです。

日本人捕虜が贅沢な食事をとることに反感を抱いたシナ人職員の多くが転出を希望するほどであったとのこと。

また、シナ人管理所員は礼儀正しく、日本人を殴ったり叱ることはなく、丁寧に諭したとのことです。

 

この管理所で改造教育、思想改造が行われはしたようですが、これは世界の視線を考えると仕方ないことと思います。

 

周恩来の本領が発揮されたと思ったのは以下です。

1955年9月に、裁判が行われ、155名が起訴され、死刑求刑7名、執行猶予付き死刑求刑3名を検察院は求めたものの、周恩来の減刑指示により同11月に死刑求刑は却下されたとのことです。

ここに、周恩来が負っていたものを感じました。

 

また、1956年6月に45 名が瀋陽の最高人民法院特別軍事法廷で起訴され、被告全員が罪を認め謝罪したとのことですが、起訴免除者は即日釈放となって1956年7月に帰国、実刑判決を受けた者も満期前に釈放され、1964年3月までの間に日本人戦犯は帰国したとのことです。

 

なお、満洲関係者も監禁されていたのですが、その中には愛新覚羅溥儀、愛新覚羅溥傑もいました。

 

どのような選定基準で監禁される人々が選ばれたのかわりかせんが、この施設に絡んだ周恩来の対応は興味深いと思いました。

 

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■ 「インペリアル・アイズ」 メルマガ(無料版) 2017/4/28号

 

ーーー

この号のハイライトは、クーデンホーフ・カレルギー家の素性に対する落合氏の洞察と、「陰謀論」界隈で悪者にされている「黒い貴族」の素性が明かされている点だと思い、以下を抜粋しています。

ーーー

★ 2017年4月時点の情報で、落合莞爾氏が欧州大塔宮の他にハプスブルク家も皇統という情報更新がなされる前です。

  クーデンホーフ・カレルギー家はハプスブルク家の家臣筋のため、文中の欧州大塔宮はハプスブルク家と読み替える必要があります。

 

<一部抜粋>ーーー

 

クーデンホーフ=カレルギー家

に関する落合先生の洞察です。

 

それでは、参りましょう。

 

クーデンホーフ=カレルギー家とは、

クーデンホーフ家とカレルギー家が

連携した伯爵一族です。

 

つまり、

クーデンホーフ家とカレルギー家を

分けて遡ればルーツがわかってきます。

 

まずは、クーデンホーフ家。

 

ブラバントに起源を持つ

ボヘミアおよびオーストリアの

フランス系貴族がルーツとのこと。

 

少々複雑ですね。

 

ここでのポイントは、

ブラバントとボヘミア。

 

ブラバントとは、

現在のベルギーとオランダが

またがる土地です。

 

つまり、

欧州大塔宮が入った土地です。

 

ボヘミアとは、

現在のポーランドとチェコに

またがる土地です。

 

ここには古代、

ケルト人が住んでいました。

 

これだけでも、クーデンホーフ家は、

ウバイドである可能性が高いです。

 

次に、カレルギー家。

 

もともとの呼称はカレルゲス家で、

ヴェネチアの黒い貴族がルーツとのこと。

 

ヴェネチアの黒い貴族といえば、

陰謀論の世界ではユダヤになって

いるようですが、

 

彼らのルーツは、

欧州大塔宮とカルタゴ族の子孫です。

 

つまり、

日本人でありウバイドである

ということになります。

 

ヴェネチアの黒い貴族に関する情報で、

異論、質問が多々あるかと思いますが、

無料版では受け付けませんので、

何卒、ご了承くださいませ。

 

無料でお渡しできる情報は

限られておりますので、

 

納得いかない点や質問がある方は、

インペリアル・アイズ会員専用サイトの

Q&Aコーナーをご利用くださいませ。

 

会員の皆様からは、

近日中に6月号分の質問受付を承ります。

 

通常は納得いかないはずです。

(その気持ちはよくわかります)

 

さて、

 

クーデンホーフ=カレルギー家

に関する落合先生の洞察で、

公開できる範囲はここまでです。

 

もっとも、落合莞爾塾で、

クーデンホーフ=カレルギー家が

登場した理由は、

 

山下奉文と関わりがあるからですが、

ここではやめておきます。

 

いずれにせよ、

ハインリッヒ・クーデンホーフ伯爵と

青山光子の結婚は「予定通り」だっと

とする落合先生の洞察からは、

 

必然的に欧州大塔宮が欧州連合をつくった

という洞察が導かれます。

 

ーーーーー

★掲載は許可を得ています。

 

 

 

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「奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新」より。

 

ーーーー

P230 ★忠光:中山忠光(中山忠能の七男)。偽装死。

渡鮮した忠光が、具体的にどのような工作をしたのかは未詳ですが、李氏朝鮮の両班を調べてその何人かを日本に迎えて日本人とし、朝鮮の戸籍を抹消したうえ、皇室の外戚になった公家の家系に入れたと聞きます。したがって公家華族には何人かの朝鮮人が入っているのです。

明治十八(一八八五)年に内閣が発足すると同時に、初代宮内大臣に就いた伊藤博文がこの工作に関わり、次いで明治二十(一八八七)年、後継の座を土方久元に譲ります。次の田中光顕と併せて二十二年も宮内大臣を勤めたのは、実の渡鮮政策で中山忠光を支援しなければならなかったからです。

土方と田中は土佐藩士で、薩長から等距離のため、使い勝手が良かったのです。俗に田中を「日本の本当の黒幕」と囃す向きもありますが、田中の役割は、背後にいる本当の黒幕を覆い隠すだけの繊維製品であって、人を背後で操縦する意味での黒幕ではありません。

 

P247

坂本龍馬は慶応三年十一月十五日夜、河原町四条上ルに所在する醤油屋兼旅籠の近江屋井口心助方で、同志の陸援隊長中岡慎太郎と会談中、何者かに襲われて凶刃に倒れます。殺害犯人は、事件当初から新選組見廻組隊士とされています。

ーーーー

中山忠能→忠光→忠英となり、大日本皇道立教会に繋がります。

そして創価学会にも。

これを知った時、いかに世の中の情報が操作されているか痛感した記憶があります。

 

また、李氏朝鮮に嫁がれた梨本宮方子様と横田早紀江さんがそっくりなのも、横田めぐみが今どうであるか、ということも上記の忠光の渡鮮の話と繋がってくるのだ、とわかります。

 

近江屋井口新助の井口氏は、落合氏の井口家と同様にウバイド系の血筋と思われますが、その近江屋で龍馬暗殺が起きること自体、計画的であったことが窺えると思います。

中岡慎太郎だけ数日生きた後絶命、というのも、本当に腕利きの暗殺者のやることでもないでしょう。

近江屋と土佐藩邸は目と鼻の先で、龍馬暗殺の時事件直後に田中光顕が近江屋に飛んできたとされます。

落合シリーズを読めば、その理由も見えてきそうに思えます。

結局は、中岡慎太郎もグルで彼は偽装死したのでは、と思えてなりません。

 

ちなみに、龍馬は舞い上がって武力倒幕をしたがったので処理された、とのことです。

これもシリーズのどこかに書いてあったと思いますが。

 

ところで、落合莞爾氏が田布施共産党の一派とする鬼塚英昭氏の著作が、ものの見事に落合シリーズで國體秘事に関わる人物を描いていることがわかります。

鬼塚英昭氏のバックには、国際金融連合や三笠宮や立花大亀などの誰かがいたのだろうと思います。

 

なお、注意頂きたいのですが、田布施は國體派の人物も共産党にいってしまう人物も両方出てきます。

「田布施システム」として安倍さん一家を悪く言う説がネットを中心に流布しています。

安倍さんが國體側の人間だと知ると、やはり悪意ある人々が流しているのだと気づきます。

 

 

 

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■ 日本のウバイド皇統の変遷の整理

 

「落合シリーズ」は、巻を重ねるごとに深化しているため、ウバイド皇統の変遷で頭がこんがらがることがあると思います。

 

ウバイド皇統の流れは、現在の整理では以下のようになると思われます。

 

ーーーー

● BC8000-

修験サエキ(ウバイド系)の日本到来から、断続的にウバイドが日本に渡来。

ウバイド皇統もどうかのタイミングで、海人ウバイドたちと共に日本に渡来。

精神が共通する縄文人とウバイド人は、共振共鳴して同化。

 

★以前はBC1400頃ウバイド皇統が到来となっていましたが、現在はこの辺りはボヤかされています。

 

● BC100-0の間

ウバイド海人(安曇族)の神武が、大陸の騎馬民族の動きに対応し、陣地の縦深化を企図してヤマトに東遷。

ウバイド九州分国を「倭」として表に出し、本体としてのウバイドヤマトは隠蔽(聖徳太子の遣隋あたりまで)。

 

■ AD180頃

ウバイド皇統の一派を、後々百済となる騎馬民族のワイ族に存在したウバイド騎馬民と混血させ、その後裔が崇神天皇として日本にやってくる。

開化天皇の息子として疑似接続。

崇神の血統は、父系はウバイド海人。

崇神は、日本に既存の罌粟とはまた別の罌粟を携えて日本へ。

 

★魏志倭人伝に記される倭国大乱は、この崇神渡来に関係するのでは、となっています。

 

騎馬民族にとって、農耕民族は略奪と支配対象であり、対等ではないので、皇統も騎馬民族でなければ大陸の騎馬民族と同等として扱われないため、皇統を擬似騎馬民族化。

 

★後々の聖徳太子の隋への国書が対等なのも、隋も騎馬民族の鮮卑が建てた王朝であるので、不自然ではありません。

 

■ AD390頃

第8代孝元天皇の皇子彦太忍信命(ヒコフトオシ)が、朝鮮半島の羅津に渡り八幡殿となっていたが、その後裔の応神を奉迎。

応神は、羅津から莫大な國體黄金を持参。

この黄金持参を誤魔化すために、神功皇后の新羅征討と財宝持ち帰り譚が作られる。

 

日本での國體黄金秘匿地選定をヤマトタケルが行い、それが彼の東征譚となる。

偽装死して、同じく偽装死した仲哀と共に羅津に向かい、応神と仲哀を入れ替え。

応神と戦う、忍熊王と香坂王も偽装死して羅津へ。

 

つまり、ここでも応神の血統は「欠史八代」の後裔。

 

■ AD500頃

継体を八幡殿から奉迎。

応神の持参した國體黄金を元手に日本の富国強兵を進めた後、大陸や朝鮮に対して国際化を行うために、継体が登場。

 

継体の奉迎に当たり、武烈は極悪非道の天皇という話が作られたが、当然そのようなこともなく、実際は偽装死して佐渡へ。

 

■ AD540頃

欽明を八幡殿から奉迎。

継体朝よりさらに本格的な国際化を進めるために、欽明が登場。

また、今後の日本国民の在り方を規定するものとして、マニ思想が入った大乗仏教を日本に招来。

 

継体朝の頃から、大伴金村が朝鮮政策で失策をとり、欽明朝すぐ任那の新羅併合で失脚するのは、八百長。

朝鮮半島から日本は手を引き、高句麗、百済、新羅での抗争状態としつつ、親百済政策をとって百済を緩衝地帯として利用。

 

■ 以降

実際は推古天皇の息子の竹田皇子が聖徳太子であったが、彼がさらにマニ思想の普及を進める。

八幡殿との連絡をとる係でもあった蘇我氏に権力を集中させることで、一気に日本の中央集権体制を進める。

 

蘇我氏が打倒される乙巳の変も当然八百長。

 

新羅が勃興するなかで、663の白村江の戦いで、日本の朝鮮干渉の芽を断った後、壬申の乱勃発。

 

大海人皇子と名乗った天武天皇は、これまでの擬似騎馬民族皇統ではなく、別のウバイド皇統の海人系。

天武系は、淡路廃帝の淳仁天皇と次に重祚した称徳女帝まで続き、改めて擬似騎馬系皇統の光仁(桓武の父)にバトンタッチ。

 

以上を関係だけ抽出すると・・・

 

① ウバイド海人皇統(開化天皇まで)

② 擬似騎馬民族ウバイド海人皇統(崇神~天智)

  ★男系はウバイド海人皇統ながらも、習俗は騎馬系

  ・崇神:任那天孫(日本皇統の擬似騎馬民族化)

  ・応神:八幡天孫(日本の富国強兵)

  ・継体:八幡天孫(日本の国際化)

  ・欽明:八幡天孫(日本の本格的国際化)

③ ウバイド海人皇統(天武~淳仁)

④ 擬似騎馬民族ウバイド海人皇統(光仁以降)

 

ーーーー

崇神辺りがこんがらがりますが、これまでのシリーズを総合したりあれこれ情報を整理すると、崇神朝の男系はウバイド海人のようです。

もし、違っていたらご指摘をお願いします。

 

皇室の菩提寺とされる泉涌寺に天智天皇以降の位牌で、天武朝の位牌だけがないのも、上記のことを適用すれば理解できるように思います。

 

そして、「満鮮経略」と不可分な皇統の「深化」を知ると、國體を守るために皇統やその他ウバイドが腐心して活動してきたのが実感できるように思えます。

すでに古代から「地政学」はあったわけで、その地政学に基づいて日本やアジアの國體を護ろうとされてきた國體勢力に、改めて感謝したいと思います。

 

 

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■ 落合史観重要ワードについて

 

ーーーー

・「潜入」:

潜入には、大きくは2つあります。

組織への潜入と血統への潜入です。

 

<組織への潜入>

「國體」、「政体」、「寄生体」いずれもが行っていることです。

それぞれが、それぞれに関係者を潜り込ませます。

 

これまで出て来たような話としては、以下があります。

・バスク人を装ったロヨラとザビエルがイエズス会に潜入。

 バスク人は國體ワンワールドには不可欠な存在で、國體秘事に活動にも従事していたようですが、それに偽装した2人がイエズス会を通じてバチカンに入り込んで、悪さを始めたようです。

 これにより、イエズス会が寄生体の組織になってしまったようです。

・トランプ陣営への寄生体側の潜入。

 すでに解任されていますが、トランプ陣営の主要メンバーであった人物も潜入でした。

 トランプ陣営も、寄生体である国際金融連合の影響下にある民主党に潜入していると思いますが、詳しくは誰かわかりません。

・黒田孝高、大友宗麟、有馬晴信、大村純忠など、國體系武将がキリスト教徒になったのも、イエズス会への潜入と思われます。

・國體側重鎮の伊達政宗が支倉常長を派遣したのは、イエズス会のメンバーを買収するためであったとのことで、これも支倉常長のカトリック(イエズス会)への潜入と言えると思います。

・落合莞爾氏とも血縁関係にある、國體側の重要人物である堺利彦が日本社会党と日本共産党を作ったのは、日本の左に流れやすい人々を吸着する役割を果たすためだったということで、これも潜入と言えるかもしれません。

 

<血統への潜入>

血統にすっと潜りんでいく「潜入」とは別に、その血統を偽称する「仮冒」とがあるので、区別が必要です。

・族種タチバナ氏(海人ウバイド)は、藤原北家に潜入しています。

★藤原北家を称する藤原秀郷は、大伴系の偽称のようです。

・源氏に潜入して土岐氏を名乗ったのもタチバナです。

・橘氏である小笠原氏は、源氏に潜入しました。

・穂積氏は、物部氏に潜入した國體側の氏族です。

・逆に、ユダヤ系が尾張氏に潜入したようです。

★坂東平氏、伊勢平氏、源氏などは、もともと皇別ではなく、各地に散っていたタチバナ、「欠史八代」後裔他皇別氏族を、臣籍降下した賜姓皇族に血統を疑似接続したもののようです。

 

潜入や仮冒とも違い、血統ロンダリングの人々もいます。

広義には潜入かもしれません。

・徳川光圀:岡山池田家から極秘で

・徳川吉宗:伏見殿か欧州大塔宮系から(おそらく)

・光格天皇:父親が欧州大塔宮系から(おそらく)

・伊藤博文:複雑な血統ロンダリングでおそらく高貴な血筋

・木戸孝允:欧州大塔系から

・陸奥宗光:祖父か曾祖父の頃にハプスブルク系から

 

ーーーー

サスペンスというか、アクションというか、推理小説というか、そういうフィクションの世界で語られているようなことが日本では多々行われていたことになります。

 

こういうことを知って、歴史を眺めてみると、新たな発見や気づきや疑問の解消など、様々なことがあると思います。

 

個人的な感想で恐縮ですが、こういう極秘操作をして、日本や世界を支えてきた「國體」や「國體側の人々」には感謝の気持ちが湧いてしまいます。

 

 

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◾️日本と朝鮮半島の古代史を考えるにあたり。

 

<落合シリーズなどの要約>ーーーー

 

・縄文人とウバイドは共振共鳴して同化。

・ウバイドの渡来はBC8000から断続的。

・古代の朝鮮半島は生産性が低く、シナからの亡命貴族や逃避民が住む場所であった。

・江南倭人は移住して、日本と半島それぞれに住んでいた。

・任那は日本側の軍事的実効支配地域。

・実効支配に当たったのが、紀氏や大伴氏など軍事氏族。

・高句麗(狛族)も百済(ワイ族)も同族で、ここに海人系である「欠史八代」のウバイド皇統をこれらの部族に送り込み、疑似騎馬民族にして任那から戻ってきた任那天孫が崇神天皇。

・一方、高句麗はウバイドの要地羅津を守護する役割も負っており、羅津に別途「欠史八代」のヒコフトオシが行って「八幡殿」となり、この八幡殿に応神がいて奉迎されて日本に帰還。

(高句麗エリアとの関係は切っても切れないので、高麗神社に陛下が行かれるということだと思います)

・日本の皇統は騎馬民族ではないものの、騎馬民族の風習には触れていたことになり、江上波夫の説も全否定されるものではなく、エッセンスはある。

・北九州にあった九州王朝も、神武と同族のウバイド皇統であるものの、大和のヤマトの存在を秘匿する目的として表に立たされたものであり、シナの勢力がヤマトの存在に勘づいたのは聖徳太子頃。

・倭の五王はヤマトが倭王を偽装してシナ南朝に派遣した事績が宋書に残っているだけで、偽装しつつ年代を微妙にずらして誤魔化しているので、倭の五王を皇統系譜にあれこれ当てはめようとしても年代が合わないのは当然。

・新羅エリアからは、スキタイの遺物が多数出土していて、新羅エリアにローマ文化があったことが実証されている。スキタイの上層部はウバイドなので、新羅も必然的にそうなる。(スキタイはローマの傭兵として活躍しています。)

・新羅も百済も騎馬民族の軍事キャンプ地のようなもので、国家としての体をなすのは5ー6世紀頃。

 

ーーーー

 

結論として、高句麗、百済、新羅共に、ウバイドと関係したことがわかります。

武寧王など日本人とされる人々が百済に登場したり、新羅にも瓠公(瓢公)が登場したり、昔氏が日本人という話があるのは、それなりに理由があることが見えてきます。

 

新羅の花郎が新羅が滅んで以降姿が見えなくなる900-950頃は、まさに日本では源氏が勃興する時期です。

 

八幡太郎義家、高麗次郎義綱、新羅三郎義光は、父とされる源頼義とは親子ではないようで、清和源氏の源流である源満仲は大伴氏で、賜姓皇族源経基の養子とのこと。

そして、3人はそれぞれの出身地を示しているようです。

 

ということで、ウバイドと縁がある高句麗、百済、新羅が、日本で中央集権が完成に向かう文武の頃には新羅で統一され、日本で荘園制が発達して武士が伸長を始める頃に新羅が滅んで花郎が姿を消すことは、繋がってくるように思います。

ウバイド要地の羅津は渤海が守護します。

 

平将門の乱も、新羅移民が日本で独立の動きを見せたので、それを防ぐためのものだったことも、落合シリーズでは書かれていますが、それとも繋がってくると思います。

 

高句麗、百済、新羅も、ある目的のもとに存在していた、と見ることもできそうに思います。

 

 

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■ 落合史観重要ワードについて

 

ーーーー

・「偽装死」:

「八百長」同様に、落合史観に欠かせないワードです。

落合史観が作り出したというより、本来「八百長」と共にウバイド國體ワンワールドの秘事であり、物事の進め方だったのだと思います。

 

偽装死にも様々な理由があるようですが、やはり皇室関係者に多い印象があります。

近親結婚が多かったにせよ、多くの皇子や皇女を残した天皇や長寿の天皇とその逆の天皇が近い尊属(卑属)で現れるのは怪しいと思います。

 

詳しい理由はわかりませんが、國體ファンドに絡んだり、有間皇子のように海外に移動する、何か秘事を裏で行うために姿を消す、など様々あるようです。

 

<著書などで偽装死がわかっている人々>

・神八井耳命

・彦太忍信命

・ヤマトタケル

・仲哀天皇

・忍熊王

・香坂王

・武烈天皇

・広姫(偽装死した後、炊屋姫(推古天皇)として登場)

・山背大兄皇子

・有間皇子(ピピン2世に背乗り)

・大友皇子

・大津皇子

・蘇我赤兄

・菅原道真

・安徳天皇

・平家の公達

・源義経

・弁慶

・護良親王

・楠木正成

・足利直義

・伏見宮治仁王(エルンスト鉄公に背乗り)

・明智光秀

・真田信繁(幸村)

・大久保長安

・徳川吉宗の兄たち

・緒方洪庵

・月照

・徳川斉昭

・徳川家茂

・小栗忠順

・島津斉彬

・木戸孝允

・西郷隆盛

・孝明天皇

・睦仁親王

・寿萬宮

・理宮

・山下奉文

・甘粕正彦

・石原莞爾

・辻政信

 

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取り急ぎ思いつくものを挙げました。

「あの人足りないよ」という人物がいればご指摘をお願いします。

 

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<おそらく偽装死と思われる人々>

・弟橘媛

・蘇我入鹿

・源頼朝

・源頼家

・源実朝

・新田義貞

・足利茶々丸

・長尾政景

・宇佐美定満

・今川義元

・織田信長

・織田信勝(信長弟)

・武田義信

・飯富虎昌

・武田勝頼+信勝

・徳川信康

・穴山信君

・柴田勝家+市

・北条氏政+氏照

・千利休

・豊臣秀次

・豊臣秀頼

・浅野長矩(内匠頭)

・吉良義央(上野介)

・赤穂浪士

・井伊直弼

ーーーー

偽装死は想像の幅を広げてくれますが、無意味に多用すると当てずっぽうになるので、それぞれしかるべき理由をもつことが必要になります。

 

「偽装死」で見えてくる歴史の裏はとても面白いと思います。

 

 

 

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■ 落合史観重要ワードについて

 

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・「八百長」:

落合史観に不可欠な重要ワードです。

古来からの戦のやり方の1つとして紹介されています。

 

古代であれば、双方から勇者を1人ずつ出し決闘させる。

決闘で負ける方は死ぬことになるが、これが一番犠牲が少なく、公開決着のため立ち会う人々も多く関係者への伝達コストが低減し速やかに部族の意識変革を行うことが可能です。

亡くなる側の勇者は、八百長を理解していれば「侠」・「任侠」の精神をもった犠牲ということになります。

 

これが社会集団が肥大化していくと、八百長の戦いも大きくなっていく必要があり、亡くなる人の数も増えていかざるを得なくなります。

そして、それは近現代でも同じことと・・・。

 

日本史に関していうと、以下のものが書籍などで八百長の戦いとして述べられています。

 

・乙巳の変(いわゆる「大化の改新」)

・壬申の乱

・将門の乱

・保元・平治の乱

・壇ノ浦の戦い(つまり、源平合戦全体)

・南北朝の戦い

・関ヶ原の戦い

・戊辰戦争

 

日本史で学ぶ日本史上の大きな戦いは、大概八百長となります。

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初めて聞くと、「そんなバカな!」「ありえない!」「なんで?!」と思われると思います。

当たり前のリアクションだと思います。

 

しかし、國體ワンワールド史観を下敷きにして考えていくと、「八百長であった」ということがわかってきます。

また、上記以外にも日本史では様々な戦いを学ぶと思います。

では、それはどうだったのか。

それについて道筋が見えた時、日本史が全く違って見えてくると思います。

 

何のための八百長か。

ある集団が、均質的で同じ思考ができ、利害関係も同じであれば、八百長ということはなくなるかもしれません。

同じではなく、思考や視野が違う人々が社会の上層部と低層部を構成した場合、低層部の人々に向けては八百長で煙幕を張り、歴史が自然と流れているように見せるしかない、ということだと思います。

 

「日本の事績でそうなのだから、では世界は?」と、対象とする時間と空間を広げて考えてみるのも、落合史観で考える醍醐味の1つであると思います。

 

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