「なんのためにしつけをするの?」第三弾です。
ここまで「マナーのため」「健康のため」ということをお伝えしてきました。
次は「お互いが楽に、楽しく生活するため」です。
・お互いが楽に、楽しく生活するためのしつけ
ここまでお伝えしてきたことを、ちょっと別の角度から見ると、この「お互いが楽に、楽しく生活するため」というものが見えてきます。
「マナーのため」のところ
で、「トイレのしつけ」を例に出しましたが、あのように「犬には犬の文化やルール」があります。
でも、私たち人間にだって「文化やルール」があります。
だからといって、こちらの都合を犬に押し付けるのは、ちょっとかわいそうな気もしますね。
いやいや、中には「何を甘っちょろいことを言ってるんだ。ご主人様は誰なのか?それをしっかりわからせなきゃダメだ」という方もいらっしゃるかもしれません。
お気持ちはわからないこともないですが、ここはちょっとこらえて、考えてみてください。
「犬を飼う」ということは、イコール「犬と一緒に生きていく」ということです。
誰かと一緒に、新生活を始める。
そんなときに、「自分の都合ばかり押し通す人」って、どうでしょう?
学校に入学した、新学期を迎えた、新入社員として入社した、会社で新しいチームを組んだ…色々な「誰かと一緒に新生活を始める」タイミングってありますよね。
結婚も同じですね。
でもその相手が、あるいは仲間の中に「おれはこういうやり方でやってきたんだ!文句言うな!」って言う人がいたら、嫌ですよね。
かといって、そういう人に対して「うるせー!お前のやり方なんかに従ってやるもんか!」とやってしまったら、これはもう「喧嘩」になってしまいます。
実は、犬が相手でも同じことが起こるんです。
人間の場合の「喧嘩」は、「口喧嘩」が多いと思いますが、犬の場合の「口喧嘩」は別のものです。
そう「口で噛む喧嘩」です。
犬に対して、人間側の都合ばかりを押し付けると、最終的には「本気で噛んでくる犬」になってしまったりします。
実際に、そうなってしまった例はいくらでもあります。
時々、「しつけとは戦いである」と考えている方がいらっしゃいます。
あなたはどうでしょうか?
「ここで犬に勝たないと、一生なめられる」みたいな。
しかし、「犬のしつけ」は戦いでもなければ、勝ち負けでもありません。
「しつけは戦いではない」ということは、強く強くお伝えしたいところです。
戦う必要なんかどこにもありません。
それはあなたが、あなたの家族や同僚、友人との間で「戦い」や「勝ち負け」を基準にしないのと同じだと思います(中にはそういう方もいらっしゃるかもしれませんが…)。
そもそも、なんのために犬を飼ったんでしょう?
「人間の方が偉いんだ」ということを教えるため?
「犬と戦って勝つ」ため?
違いますよね。
しかし、もう一方ではこんな意見もあるかもしれません。
「じゃあ、犬のすることを全部受け入れろというのか?」
ですが、ここでももうちょっと考えてみてください。
「犬と戦わない」「犬に人間の都合を押し付けない」
これは、イコール「犬のすることを全部受け入れる」ということになるでしょうか?違いますよね。
そこで、「しつけ」が出てくるわけです。
誰かとともに新生活を始めるときに必要なのは、「コミュニケーション」であり「相互理解」です。
「あなたはそれをしたいの?でもね、私はこうして欲しいわけ。
じゃあ、どうしよっか?」
これです。
それはたとえばこんな感じ…
「あなたはその靴を噛んで遊びたいの?
でもね、私はそれは困るわけよ。
じゃあさ、これ、このオモチャ、これでちょっと手を打たない?」
「あちこちでオシッコされたら困るんだなー。
まあ、お宅はそれでもいいんだろうけどさ。
一つ提案があるんだけど、あのシーツの上でやってくれたら、
このクッキーあげるから。どうよ?悪い話じゃないっしょ?」
「ちょーっと待って!走るな走るなって。腕が痛いんだって。
わかってる。行きたいのはわかってる。
せめてもうちょっとさ、ゆっくり行ってくんない?
ゆっくり行ってくれたらこっちは嬉しいわけ。
でさ、もうちょっとゆっくり行ってくれたら、
ちゃんと行きたいとこに連れてくから。どう?」
「ブラッシングが嫌なのはわかるけど、噛まなくてもいいじゃん。
もうちょっと我慢して。もうちょっと我慢してくれたら終わるから。
ほら終わったー」
「もう、一切吠えるなとは言わん。
何か言いたいことがあるんだろう。
ただせめて、せめてだね、インターホンに出てる間は静かにして。
相手が誰なのかわかんないんだ。
こないだもなんかセールスに捕まったしさ。
インターホンに出てる間だけでいいから」
しつけって、こういう「お互いのやり取り」なんですよね。
お互いの「妥協点」を見出す作業といいますか。
「妥協する」っていうと、なんだかネガティブなイメージを持ってしまうかもしれませんが、「限りなく高い妥協点」だったらどうでしょう?
トレーニングや訓練で、犬を思い通りに動かすというものではありません。
かといって、「犬はこういう生き物だから」と、何もかも受け入れるというものでもありません。
お互いに歩み寄って「どこに落としどころを見つけましょうかね?」という作業を、繰り返しずーっとやっていく。
これが「しつけ」だと思います。
そして、その先にあるのが…
「お互いが楽に、楽しく生活する」
これだと思います。
「こいつらといると楽だわー」っていう場所だったり、仲間はいますか?
そういう場所や仲間って、きっとね「お互いがしんどくない程度に、ちょっとずつ気を遣ってる関係」なんだと思うんですね。
誰か一人が我慢してというわけではなく、お互いにちょっとずつ。
するとみんなが楽で楽しい。
犬との間にも、そういう関係が築けたらいいと思いませんか?
飼い主だけではなく、犬だけでもなく、「犬と飼い主」の双方が、楽で楽しい。
そこを目指すためのもの、それが「しつけ」ではないでしょうか。
ちなみに、このブログのタイトル「わんこも、そして飼い主さんも」は、そんな意味も込められています。
「なんのためのしつけ?」は、ひとまず終了。
次回からは、しつけに関するまた違うお話です。
続きます