相変わらず、穏やかな日常のはずなのにごうごうと鳴る竜巻の中で呆然としているような不思議なあわただしさです。

別にやらなきゃいけないことは家事と育児くらいで、よくよく考えると忙しいわけじゃないのに、いつも慌てている。

そして、その日常を送るなかで自分のなかに湧いて流れる思いや変化があまりに膨大でまとまらない。新幹線の中から見える景色が速過ぎてスケッチできない感じに似ています。

 

 

そして今更気付いたのですが、今までの記事にあんまり意味がなかった。

いや、無意味じゃないんですけど。

たくさんの不安や試行錯誤やその時点での気付きをしたためて来たんですが、それが全部「マインド」の世界で起きていたことなのがやっと自覚できたところです。

 

先日、レイキをいつも教わる素敵な先生のところでオーラやチャクラなどのことを改めて時間をかけて教わりにいってきました。

スピリチュアルの道を勉強するわりに、サイキックな能力を発揮したことは全然ないよな~とずっと思っていたので、習ってみたら何か分かるかな?という興味で。結果、当たり前ながらすぐに何かが変わるってわけじゃなかったけれど、自分という存在の仕組みが色々分かった感じ~…

 

私、オーラがヘナヘナのペッタンコらしいのです。「いつも疲れてるね?」って先生に言われてしまいました。うーんそうかも。

 

一番大事な情報は、「見える」「聞こえる」「感じる」の分野の中では比較的「感じる」傾向が強い…と分かった後の気付きの流れ。

 

以前この先生と歩きながら話していたら、「マインドがうるさいでしょう?」と尋ねられたことがあったんです。

その時はよく分かっていなかったけど、この「感じる」感覚を練習し始めたあたりで今回やっとマインドがどんな風に自分の中で作用しているかを自覚できたんです。

 

ここからが今日の本題ですね!!(いつも前置きが長い!!!)

 

驚いたことに自分が見て聞いて体験しているこの世界のほとんどがまるで体験型ゲームのようにマインドによる操作だった。

だって、例えばすれ違った人とぶつかったとするじゃないですか。

 

そこに生じる想いがある。(例:「前見て歩けや!」)

そこに生じる感覚がある。(例:「肩のあたりに感じる僅かな違和感と温度の変化」)

 

ところがこの時点で既にマインドによってそう「感じた」「体験した」と、瞬時に思い込まされているんですよ。

 

ただただ、そこに「人とぶつかった」という現象があっただけなのに。

 

例題にすると何だかやっぱりパッとしませんでしたが、まあ見事なまでに体の五感、感情といった「当たり前の人間の機能」はみ~~~~~んなアタマ(マインド)が書いた漫画のようなものに感じられてしまったんです。

 

アハ体験みたい…地味なショックだな…

 

気付くまでに行った実験はただひとつ。

「考えるな、感じろ」これだけ。

チャクラのことについて教わったので、ハートのチャクラである胸の中心あたりに意識を集中してそれ以外を極力遮断する。そして思考停止。それだけで、ただの事実や現象に色んなものが一瞬でワッと絡みついていたのが俯瞰できる。

 

思い込みによるレッテル、自信のなさから来る自己防衛的な諦め、希望的観測、知っている限りの常識??テンプレートに当てはめようとする真面目さ、不安、比較による優劣付け。

まるで磁石にザザーーーッとむらがる砂鉄みたいに。それはただの現象にしがみつき絡みつく。

 

ずっとずっと、「自分でもよく分からないけど現状からとにかく脱出したい」「このままじゃいけないから変わりたい」「もっと違うものに生まれ変わりたい」という気持ちで焦りっぱなしだった。ブログなんて全然得意じゃないものに日記を始めたのもそれが一番の理由。

 

でもそれは、今までみたいにただしゃかりきに知識を集めても

一生懸命頭をこねくり回して考えても

素晴らしい意見を持つ人と自分を比べて反省し続けても

 

はっきり言うと、「無意味」に近い。

 

それは全て三次元的な見方で三次元的な問題を解決しようとすることだ。

つまり、いくら部屋の中の段ボールの位置を変えても部屋の中に段ボールがある事実は変わらない。

 

段ボールをどかしたいなら、部屋の外の世界を広く俯瞰しなければいけないんだ。

それが、マインドから抜け出すということ。ハートで感じること。魂の声にしたがって生きること。

そのレベルで出した「答え」でなければ、本当の解決にはなっていない。部屋の外の状況まで分かれば、後は自由だ。段ボールを邪魔にならない部屋に移動してもいい。荷解きして中の物を有効活用してもいい。他の必要な人に渡してもいい。売ってもいい(笑)その時、その人に必要な答えが出る。

 

本当の自分の声を掻き消して、砂嵐に埋もれさせて生きていたことに気付く。

ぞっとしてしまった。そういう意味では、やかましくいつも考え過ぎってくらい考えて生きてきたつもりが実は「思考停止」していたんだと。バカな!なんだってーーーΩΩΩ

 

今なら、何で「瞑想が大事」ってこのご時世みなさん仰るのかよく分かる。

駄目なんだよ!マインドに「だまらっしゃい」定期的にかまさないと自分が在るのか無いのかも~~わかんなくなっちゃうんだ!黙って自分のオールを他人に任せてると勝手に黒板の落書きみたいに消されちゃうんだよ!本心の声が!!怖すぎ!!!

 

レイキの先生はいつも言うんですよ。「余計なエゴを入れずにエネルギーのパイプ役に徹するだけでいい」って。余計なアレンジやひねりを加えてエゴまみれのエネルギーにわざわざ改変しなくていい、それこそがレイキだって。

今なら一応自分の中にパイプが通ってることは分かります。使えるかどうかは配管掃除の捗り方に寄りますけど。

 

最近、感情的になりやすかったり疲れやすかったり常にエネルギー不足です。まあ放射能のヤキが回ってたり、潜在意識が閉じ込められて酸欠になってたり、何かしらの理由があってこの状態なんでしょう。

 

でも自然体で色んな風にやってみます。EMX-GOLD飲んでみたりとか!最近なぜか筋トレとラジオ体操始めてみたりとか!マインドのスイッチオフをしょっちゅう試してみたり。

 

一番は、とにかく「感じる」訓練を。

取り返します。魂の手触り。