12/19にNHKのBSプレミアムで「歴史の選択・頼朝か義経か」が放送しており、
その番組を録画して見ていました。
平氏を壇ノ浦の戦いで滅ぼした頼朝。
頼朝に黙って後白河法皇から官位を得た弟・義経との対立。
源氏が鎌倉に政権を樹立する際に壁となっていたのが
奥州藤原氏でした。
奥州藤原氏は、初代の清衡、二代の基衡、三代の秀衡の約90年間
平泉を本拠とし、京が戦乱の中繁栄して半ば独立国となっていました。
三代の秀衡の時代が栄華の絶頂期とも言われています。
秀衡は義経を匿います。
頼朝は奥州側に対して京に納める産物についても鎌倉を通すように
圧力をかけてきてもいました。秀衡は義経とともに頼朝と対峙しようした矢先・・・
突然病に倒れ亡くなります。息子たちに義経を立てて頼朝と戦うようにと遺言を
残しました。
四代の泰衡となり、頼朝は義経を差し出す要求をしてきます。
難しい選択を迫られた泰衡。
1.頼朝の要求に従う。
2.義経とともに戦う。
泰衡は義経を攻め自害に追い込みます。
泰衡は頼朝の要求通りに動いたことで和平を模索しましたが
頼朝は鎌倉の背後に奥州藤原氏がいることを恐れ、奥州征伐を決行。
泰衡は家臣の裏切りに遭い討たれて奥州藤原氏は滅びます。
もし泰衡の立場ならどちらを選びます?
1を選ぶと鎌倉側の要求通りにすることで所領が安堵されるが、秀衡の遺言に反するし、
家臣の中にも頼朝と戦うべしと意気巻く者もおり混乱を招くのでは・・・。
2を選ぶと奥州には十七万騎がいる。これを活用すれば鎌倉側に勝てるかも知れない。
しかし、実践経験豊富な鎌倉側に実践が少ない我々の兵力が勝てるのか・・・。
自分ならば、義経を立てて戦うことを選びます。
父(秀衡)が大きくしたこの地。力でねじ伏せる鎌倉側には屈するわけにはいかない。
たとえ適わないとも歴史に名を刻もうと。
奥州は守れなかったのか?
番組では秀衡の時に義経が頼朝と対立しており平泉を頼ってくるだろうと先読みし、
秀衡が健在の時に対応を決めていたらまだ状況が変わったかも知れないが、遅かった。
泰衡が後白河法皇や頼朝に対して対峙する能力(政治能力等)がなかった。(若さゆえ)
泰衡は決断することができないというより追い込まれた。と不利であったことを言っていました。
鎌倉側に勝てるのか?
かなり難しいと思うが、あえて仮説するならということで、
義経が藤原氏の女たちとの間に子をもうけ、義経の血が入った武将を複数立てる。
義経の指揮の下、攻め込ませて、引きつけて奇襲戦法をする。
反鎌倉勢力を呼応させて奥州に兵をつぎ込めないようにするしかないとのこと。
もし、戦経験豊富な軍師がいたら状況はかわっていたのかなと個人的には思います。
頼朝の強かさ、義経の天才的戦略さ。どちらに共感しますか?









