昨今の物価の価格高騰の時代に

外食と自炊を全体で考えた場合



自炊してきたことの懸命さが

まだ上回ってしまうんですよね

本当にこれからも賢明なのかな?



自炊のほうが安くあがる、コスパが良い

と思い込みのような常識がこれから

食糧難になってくる時代に入って

変わる可能性があるんじゃないか



海外のどこかでは朝食は外で毎日

食べるだとか見聞きしたこともある

食品ロスも日本は大きな問題だ



どうも食の流通が商品を陳列する

そこで止まって終わってる気がして



本当は商品を食べるところまで考え

全体が意識して消費するまで含めた

需要と供給のバランスに取り組む時期



仮に、一食に必要なグラム数や

必要な調理器具、調理過程など

トータルのコスパを想像してみる



もしかしたら外食オンリーのほうが

食糧難や価格とコスパ、お金の流通、循環

外食等によるコミュニケーションの機会



なんか全体的に人の動きが変わって

活発化しそうな雰囲気が生まれそうだ



どこかで実験的にこの地域はすべて

家庭の中で食事を取らず3食外食する

少なくとも、朝と夜の2食は必ず

ってやってみたっていいと思うんです



なんなら、飲食業に従事していた

非正規の労働者を集めて、開業させて

小さなコミュニティの中で経済を

循環させて成り立つのかどうかを



まず食糧難や食品ロスの面からは

必要な食材をコントロールしやすい

必要以上に消費されずバランス向上



実は、各家庭が食材を取り合う側面がね

多く買うし、買ってもダメにしちゃう

我が家でも野菜室の奥で寝たきりになり

溶けかけたすさまじいニラがよく眠ってる



ただでさえ、高齢者の世代などは

高度成長前から自炊が基本で節約志向

貧乏もして、そこから生活が少しずつ

良くなっていっても基本は身につけた



自炊するマインド、好みの味つけ

調理の仕方があって優先していくから



でも次第に食べきれないとか

使い切れないとかで無駄なロスを

生んでしまうことも多々あるし



多くを無駄にしてることに対して

我が家の老人たちも気づいている

全国的にそうだろうと思うのでね



この矛盾と食糧難、価格高騰を

総合的に考えた場合には、まずは

少ないものを取り合う構図をやめる

少なくともたべるものに関しては

すべての国民が必要としてる分野



高まった調理技術、サービス意識

外食はたまにでいい、コンビニや

スーパーの惣菜もこちらのさじ加減

この意識が空回りしているのであれば?



キチンとした食生活と価格高騰や

生産量などあらゆるバランスが

バラバラになってるところには

長年、誰も改善を試みないのでは?



原材料費が上がれば上がるほど

コスト面で圧迫されていく流れ

調理する楽しさ、発散、自分でつくる

必要な面もたくさんありますよ当然



ただし、これらと食糧事情がうまく

噛み合わない事態が起きている現状

これいま否定できないわけでしょ?



自炊が贅沢、外食で全体のコストを

抑えないと生活が圧迫されるみたいな

社会になっていくかもしれない



限られた食材を効率よく経済を回し

流通のロスを減らしていく工夫に

向き合って話し合い、全体が意識して

一緒になって回していく時が来るはず



日本人は、そして日本という国は

昔から自分で畑をつくり、米をつくり

自然の恵みを収穫し、食してきたし

自然のものを食べる喜びを受け継いで

今に至るという感覚は残っている



でも、現代になってわかるのは

食料自給率が低い国であり、それでも

食材を買って自炊する喜びと価格高騰

この戦いに節約という手法で対抗する



詳しいデータはないし、知らんので笑

イメージと勘だけで書いてますけども

この意識と食品ロスの意識が噛み合わない



もしかしたら外食のみで済ますほうが

お金がかからず、食糧難になったとき

必要な分だけを無駄なく、必要な人たちに

行き渡るような、夢を描けたらどうか?



広い意味での節約によって、助かる人も

たくさん出てくるし、コミュニティが

近くで多く存在し始めて、活発化する



現代のような個別、個別の社会の悪影響

その方面でも改善されていくようなね

こういうバランス意識を国民全体が

持たなければ、あらゆるロスは減らない



もう少しこういう議論は活溌にして

自分事として参加意識を強めていくと

社会の仕組みを変えるくらいの意識が

浸透していくのではないかなと



なーんてね、なんとなくイメージで

書いてみましたけど、実際あり得る話

これからの時代、うまくやらないと

いけないのかなと感じますね