夢の入口、果たしていまも

形は変わっても意思が尊重されて

本当の狙いはブレていないのか



誰かが思いをもって始めたものを

どこかで商業化しつつ、当初との

意識のズレが確実に生じ始めても

それでも進むしかないと、意味不明



よくありますよね、良かれと思って

変えて進んできて、なんか最初に

思った方向と違うようになってきた

それもわかってるけど、止められない



ズレてるのを認識しつつも足が動き続ける

それでも進むしかないと思い込んでいく

このパターン、あるんですよ確実に



M1は当初は、島田紳助の言う通りで

漫才を通して若手がチャンスを掴んで

羽ばたいていく夢の入口にしていこう

そういう狙いがあったんでしょう



でも何年も続いていくと良かれと思い

スポンサーやテレビ局に迎合していくと

どんどん最初の意図からズレていく

いまのM1はズレて競技化していった果て



はて?こんなんだったっけ?

出場資格の拡大解釈気味の変更や

売れるためのキッカケの前提のはずが

卒業したのに出入り続ける王者の先輩?



そしてそんなマジメくさって100パー

審査してる姿見せないといけないっけ?

周りが必要以上に締めつけていく



肩の力抜かずに笑おうとする雰囲気

審査員も見えない相手に応えずに

自分が感じた答えを出せばそれでいい



観客も審査員も突如あらわれた

バカなキャラクターに解放された

あの瞬間でしょ?肩の力抜いたのは

視聴者だってそうかもしれない



あの感覚、嬉しくなかった?笑

忘れていた楽しみ笑うことを

思い出しませんでしたか?



あそこにM1の本当のおいしさがあり

その新鮮な美味しさに触れられる瞬間

視聴者もいつの間にか審査員然として

本来の味を忘れて味覚バカに成り下がる



いいけど、いいけども他人の判断に

口出ししてもいいけど、肯定されなくても

不満を叶えようとしすぎたのでは?



こう思う、ってところでそのあとは

線路が続いても続かなくても仕方ないと

諦めるべきなのに、せっかくつくった

これに答える義務があるのでは?と迫る



なぜ他人の邪魔をしてまでリクエストし

要求を完遂しようと、させようとする?

視聴者を咎めることが誰もできない流れ

恐ろしく危険であると思いますけどね



いろんな意見が飛び交うのはいいこと

必ず混沌とした状況は生まれるけれど

避けるべきでもない、問題はその応え方



答え方ばかり気にしている恥ずかしさ

堂々としていればいい、遠慮もいらない



社会全体がおかしな流れに気づきながら

誰も修正せず流れを変えられぬまま

細い糸を張り巡らし、ワナを仕掛けては

毒蜘蛛のように利益をムサボリ続ける



競技化して高度化していく流れは

必ずしも発展を生まない場合がある

勝手に途中からスポンサーが自分の

欲を出してくると本来の目的がズレる



変えること、変えないことのセンス

ここは任せられた人に重大な責任がある

だが後に引けない責任の重さだけでは

ないということ、戻すことも重要だ



令和ロマンが結果的に連覇の偉業

だが夢の入口に昨年の勝者が立つ

これは本来の目的とだいぶズレてる



いつしか若手の夢の入口から

漫才の頂点と言い出して商業路線

漫才の頂点は別のすべての漫才師が

参加資格があって成立するべき

させるべきもので、M1でなくていい



これをブランド力を利用して勝手に

漫才の頂点と銘打った、欲張った判断

オゴリもあるのではないだろうか



なぜ20回大会と銘打って冒頭に

島田紳助の言葉であろうメッセージを

出したのだろうか?その意図は?



本来の夢の入口に立ってこじ開けたい

まだ売れない若手のための大会だろう

本来の目的に、原点回帰すべきでは?



そういう若手のための大会から

漫才の頂点と勝手に書き換えられた

M1というハクと利を得る有象無象



参加できるんだから令和ロマンは

連続優勝を目指した、結果的に

実力を示して連覇達成、素晴らしい

文句のつけようのない王者の闘い



そりゃそうだ、王者ですもん笑

そういうルールに変更したんだから

令和ロマンは悪びれもせず誇っていい



問題はルールを変更した連中と

M1の認知度から既に稼いでいる

芸人が何度でも出てしまうこと



M1の大きくなりすぎた肩書に対し

既に名がある者たちも欲しがって争う

それが利につながるからである



勝手にレベルを上げようとすれば

するほどに売れていない若手は

チャンスの芽をどんどん摘まれていく



それが厳しい勝負の世界ということと

ちょっと意味が違う、ズレた解釈だと

気づいていないようだから



バッテリィズのような新鮮で若い

まだ十分に知られていない芸人が

程よいスポットライトを浴びた

あの感覚が本来のM1な気がする



そういう理想的な駆け上がり方をした

霜降り明星や令和ロマンが清々しい

でも令和ロマンは連続で出られる

そして勝ってしまった、この流れ



もう一度、原点に戻っていいのでは?

一度優勝したら出られないでもいい

漫才の頂点ではない大会に戻って



若手が勢いそのままに駆け抜けてゆく

あの感じをもう一度目指すべきと思う



奇しくも冒頭に出た紳助の言葉や

後を継いだ松本さえいない大会となり

改めて若手が夢の入口に立ち

扉をこじ開けていく大会に戻しても

良いのではないかと素直に感じましたね