世の中あらゆる声を取り上げると

うまく進まないだろうなぁと

感じてしまうが誰も止めやしない謎



日本は気にしないで前に進めることを

自分たちでやれずに何故かいつも遅れる

気にしなきゃいけないことが微妙に

他国のソレとはズレている気がします



コロナも何もかも根拠やデータで誘惑

さらに慎重にデリケートに声を聴き

他の国がどうでも、頑固に譲らない

結果的に世界一、遅れることになろうとも



すべてに正しくコントロール

できると思っているのか?無理

理想だけを掲げて進む、無理

その瑕疵はないと胸を張る、はて?



その声の実物大とは異なる

巨大になる声を取り上げては

それに振り回されて、さらに

チェーンでガンジガラメにされて

全体が遅延する、これが日本



通信とはなんだろう?

なんだったんだ?実は



信とは手紙のようなもので

思いや状況を伝える、動く人の

口頭以外の唯一の手段であった



技術が発達して通信が瞬時に叶う

徐々に人間の手を離れて想像以上の力

持ち始めていったのは、ここ最近



それまでの通信の速度や広まり具合

考えてもみないほど影響が出てきた



人間は大きな混乱を次々と生み

策略の渦に巻き込まれカオスを生む

もはや自虐的に進んで破壊の道を楽しむ



伝わる情報によってコトが動いていく

決して自分が良かれと思う方とは限らない

人の気持ちを知り、状況を知る、刹那

様々な感情が生まれては混ざり発熱する



国会などで答弁中に聴こえてくる

あの無責任な声「そうだそうだ」

ガヤのカオナシなヤジ、あの感じに近い



アレに真摯にすべて向き合う人

いますか?笑、そういうことです

ネットの声のほとんどはそうでね



誰も顔がないまま、後ろからドンと

押して押して人の量だけ重みが増す

押す側は押される側を微塵にも考えない



なにゆえそこまで知る必要があるのか

底まで掘り下げて知る必要があるのか

言われてみたとて、答えはわからない



アクセスしてしまうと知ってしまう

知らなきゃ知らないで済んだことに 

感化され看過できず揉め事に加勢する



早く伝わるとはいえ距離が近すぎた関係

そう勘違いをさせて、自分事かのように

近づきすぎたがゆえに、余計なお世話



知ってしまうからこそ、気になり

気になれば追いかけ最後まで追い詰め

知ろうとして躍起になり騒ぎを見物する



自分の意見は正しい、正しいことしろ

何故そこまで、底まで追い詰めるのだろう

知ってしまうがゆえの感情の変化であろう



自分の不遇やストレス、何か得体のしれない

鬱憤をぶつけウラヤミ、サゲスミ繰り返し

思うとおりにならなければ、残念、失望

見損なったと叩き、貶め、執拗に続ける

文字で腕力容姿関係なく、歪曲容赦なし



ネットで文字にするということは皆

知らず知らず気が大きくなっていく

気が大きくなる現象を見て、他人も

気を大きく大げさにして楽しみ出す



文字はいつだって美男美女、容姿端麗

無自覚のふざけた言葉も受け取り自由

文字の外形だけで伝わってしまう現実



しかも前後の意図を汲み取ることもなく

国語力のない現代人は字面に踊る舞踊家

勝手に切り取られ、曲解を招く表現や写真

いつもミスリードをそそのかすメディア



結局、知らず知らずのうちに

どんどん全部の味付けが濃くなる

薄い味では満足できなくなって

満足を求め続け高く高く設定してゆく



結局のところ、自分の基準に

落とし込めないことが起こると

なんか気に食わない気持ちを

どこかにぶつけたくなるんです

そうやって自分から逃がしてる



松本人志の復帰に反対するとかもね

反対してもいいけど復帰するのも

自由だし、観たい人だけ観ればいい

観たくない人は観なくてよい権利がある



それで十分でしょう、自分のストレス

そもそもぶつける相手ではないんでね

そのページ、そっと閉じましょうよ

見たくないと見ない、同じ意味ではない



何故、子供や家族がいる人が擁護するか?

それはひとえに、人志が好きだからで

正しいとか正しくないとかを超えて



彼ら擁護する芸人が松本をシンプルに

好きだからであって、一緒にまた仕事で

絡みたいし、恩のある人に少しでも

恩返しをしたいからではないのか



家族を守るように彼らにとっては

松本は恩人であり自分を形成した憧れ

家族と同じ熱量で救いたい人だから



一般の私たちがマジメに仕事をするように

芸人はふざけることが仕事なんですよね

なかなかみんな腹落ちしないですけど



仕事は人それぞれ、同じ視点で見ないこと

もう笑えないとか言うのは自分の基準で

相手に求めてはいけない最たる例



笑えないという意見を見て自分が

笑えるのは、自分が間違ってると

思わなくてもいいことなんですから

コレに自信を持てず引っ張られる



ダウンタウンを見て憧れ芸に身を捧げ

引き上げてもらった才能と活躍の原点



悪いことをしたから無下に切り捨てるなど

するはずもないし、必死で守る姿勢は

各家族とも同じことだと思いますけどね



結局は批判が殺到と言うが、それも

一部の意見に押し流されて大きく見える

常に従い寄り添うばかりが正解ではない



昨今は何でもかんでも批判に過剰反応し

全部組み込んで背負い込んで立てと言う

違うでしょ?私たち全体も全部背負って

神妙な顔して生きてなんか行けない



でも面白がる感覚に近い勢いで相手に

対しては高い要求してしまうんですよね



こういう意見がありますがそれについて

どうですか?発言してくださいと言うが

発言を求める側はなんにもリスクがない

だからどんどん気が大きくなっていく



メディアは自分のところに広告収入が

入ればどんなことだっていいと思ってる

わざわざその思惑に乗って記者会見を

することも当然、当人以外はリスクはない



勝手に記事にして、使いたい意見を

意図的に取り上げアクセス数を稼げれば

みんな、どんなことでもする容赦なく



その土俵に誘い込むわかりきった手法に

どうして乗る必要があるのだろうか



実際にもう笑えない雰囲気を浸透させて

ボケても笑ったら自分が不謹慎だと

責められ白い目で見られる雰囲気が

できてるように持っていくんですから

そこにあえて乗る必要はないんですよ



彼の持っていた世間や社会のおかしなこと

ソレに対する不満のエネルギーで笑わせてた

その理不尽さと主張の面白さに引き込まれた



考えもできなかった発想で笑わせるのは

そんな簡単なことではないでしょう

誰でもできると思うのは私たちが既に



一度見たからそう感じてしまうのであって

実際、何もない状態から生む作業とは

ハナから次元の違う話である事も忘れる



やはり松本が自分でキバを抜いたから

噛みついて敵意むき出しの頃に戻るほうが

若返るような気もしますね、あえて、逆に

この権化でしょ?笑



この状況からお笑いでポジティブに

今までのすべてを背負って表現して

持っていくのって相当ですよ、おそらく



批判する側はそこまで考えないし

考えることでないから自分の主張だけ

ぶつけてくるんですよね、ずっと



みんな謝らせたくて、低姿勢でヘコヘコ

そういう状況を無意識に望んでいる世間

世間といっても一部の人間だけですけど



メディアが報じると大きくなるだけのね

彼らが喜ぶことをしない方法で自分の色で

自分のやり方で表現すればいいんです



その意図を感じ取るのも私たちには

この情報社会で惑わされない大事なこと



相手をラクにさせても自分たちが

ラクにならないから同じ目にあわせ

引きずり込もうとするのは違うよ



私たちの社会がいびつにならないよう

やるべき主体は、私たち全体の責任であり

個別や小さなコミュニティで実現すべき



それをやらず他人の世界に口出しして

自分好みの色を要求してくるのは違う



意見が正義に見えると正しいと感じて

遠慮してるサイレントマジョリティー

潜在的には出てくれるなら観たいと

素直に思う人は多いのではないか



それを表立って言わないだけでね

人間、ズルイ根性もひっくるめて

人間ですからね笑