日曜の深夜、98年ワールドカップ

サッカーフランス大会、初出場の日本

アルゼンチン戦、放送を観た



ジョン・カビラは相変わらず

バティストゥータ言いたくて

たまらんらしい、懐かしいなぁ

ヴァリストゥーラァ!ぐらい誇張



懐かしかったし、初々しいのは

選手だけでなくサポーターもだった

あぁ、昔からこうなんだなぁって



やっぱり何度も言うが、日本は

観戦せず応援を演じてるんですよ

プログラムされたロボット感強めで



もうEUROとかコパアメリカとかね

最近の外国の試合を見ていても

日本語以外のなにゆうてるかわからん

実況や解説が逆にいいんだよなぁ



スタジアムの雰囲気を外国語の動画で

観てるほうが、熱狂度合いが強く

意外と面白く感じるようになった



日本人の応援するスタジアムの

あの雰囲気がだんだん嫌になってきた



日本語で解説されても

邪魔に感じるように

なってしまっているんです笑



これは最近の新たな発見でしたね

やはりダイジェスト動画の影響もある

それも外国語のほうが好きだなぁ



日本のプロ野球も楽器や歌、音に

合わせてコール連発だとやっぱり

音声オフにしちゃいますよ笑



選手は過度な邪魔さえしなければ

どっちでもいいんでしょうけどね

観てるほうはわりと雰囲気って大事



だから98年のこの頃はあまり気に

ならなかったのだが、現代のいまの

ワタクスは逆に日本の音声や応援が

邪魔で邪魔で仕方ないくらいに



何言ってるかハッキリと

理解して外国の音声や雰囲気を

好むってことではない



むしろ別に内容は必ずしも

知りたくもない感覚



あの応援の仕方になってから

変えないのって、実はどうよ?

って意見も絶対あるはず



最初に参考にしたもの

未来永劫続いていく日本の

伝統芸能的な踏襲は国民性だ



誰かが決めたやり方だろうけど

Jリーグの発足も関係してるが

あれをやると決めたときから



ずっと続けていくべきだなんて

最初の人たちだって思っていない

と、ワタクスは推測するのだが



意外とね、長く続いた最初の人って

軽い気持ちで始めてる事も多くて

しかもこれまでと違うことをする

言ってみれば、真逆をしたりね



っていうことは本人は変化させた

張本人なわけで、それをずっと

以降の人が守る姿勢ってどうよ?と



変化させた人とその後も頑なに守る人

性質も逆で、なんかおかしいでしょ?



結果的に最初の人らの思いを

少し履き違えてしまう傾向もある



そういうことしたくて

始めたんじゃないだけどな

思ってた展開と違うんだよなぁと


最初の人は自分のあとの世代が

単に考えずになぞり続け、踏襲し

重んじられることへの違和感



そんなん変えてもいいよ別にって

思っているかもしれませんから



変更してはいけない雰囲気の醸成

なんで日本人ってこういう流れ

つくるのか昔から疑問ではある



試合の流れにあまり関係なく

練習してきた歌、発表の場で

自分の応援をやりきろうとして



これとこれと、次はこれを歌う

考えてたんだろうなぁ、健気に

ホントになんか試合の流れとか

まるで関係なく歌う、コールする



それをやらなきゃと思いこんで

練習してきたことをやろうとする

もう画面に如実にあらわれてた



四半世紀前の日本人にはまだまだ

個性重視の世界は程遠い時代

自己判断で変えるなんてとんでもない



いまもその伝統みたいなニュアンスで

応援の仕方の根本は変わってない

歌えばいいのか、応援してればいいのか

そもそも応援ってなんですのん?笑

もっとカタチなくても良いのでは?



いまならワタクスはおかしな話だと

自信持って言えます、でも当時は

難しいでしょうね、当事者なら尚更



人間は時間が経てば、冷静に振り返る

その考えを現実にフィードバックが理想

できたらいいが、当事者はなかなかね



外からはなんでも言える世の中だし

いま思うとなんとでも言えるが笑



ポイントは当事者が変える決断が

できるような雰囲気にしなきゃならん

ってことだと思うんですよね



変えていいんだよっていう気楽さ?

日本人の社会が忘れてしまってる

何事もそう当てはまる気がしますね



気楽さ=サボり、不まじめな感じが

前例踏襲によって拭いきれないまま

生きてきたのがいまの40代以上は

特に多いんじゃないのかな〜



やっぱりこう、学校教育の延長かな

学校で習ったことを出そうとするし

学校で習った成果は変更しがたい心理



そのための練習と発表の場で出すため

一生懸命にやり遂げることに全力を

注いでいくあの姿が、THE日本人



そうだよなぁ、こういう感じに

教育されてきたんだなぁと実感した

これは良くも悪くも納得しましたね



言われたことやってる、練習したこと

シチュエーション考えずやりきろうと

してる感じがすごく出てた98年夏



オリンピックに対する考え方もまた

学校教育の延長にあるイズムみたいな

こうしなきゃとか、こうすべきみたいな

流れを脈々と継承してきていますね



日本だとアマチュア=学校教育

この影響って相当大きいんだなって



もう一段、上にあがろうとするなら

学校教育の延長や、参考書的ガイド

その踏襲からの脱却がないとムリ



それもみんなわかってるんだけど

新しいものや考え方はその場で

ネガティブ思考にまとわりつかれ

誰も変更の一歩を踏み出せずに

誰かの一歩を待っている



そしてまた灼熱の夏の五輪

サッカーは一足早く開幕する

仕方ない、音声オフにするかな笑