先日、たまたま目にした
国会中継で野田元首相と
ダーキシの対峙した場面。
別に党の支持者ではないが
野田のいまの声は、テンポ含め
スッと耳に入ってきやすい声。
これは人として才能のひとつ。
ナチュラルさに年季が加わる。
明らかにまわりくどくて
自信のないダーキシとも違う。
キャンキャン吠えるのが仕事
典型的な野党議員とも一線を画す。
落ち着き払っている風格と
伝わるような言葉をつかい
ちょうどよい発声とテンポで
安心を与える物言いをしてた。
こういう印象を国民が持てるか否か。
実は、大事なポイントなんですよね。
逆にいえばそういう人がなるべき。
岸田はただの「こなし」従事者。
リーダーになれる人じゃない。
ワタクスはずっと、国民の気持ちを
上げてくれる人をリーダーにと叫ぶ。
それに必要なのは伝わりやすい
言葉とテンポ、落ち着き、気持ち。
その人が醸し出す雰囲気です。
その人を見て、感じて周囲の人が
やる気に満ちて自分から動くこと。
それが双方にとって一番いいこと。
ギャンギャン言われて鼓舞され
疲れるような人は時代に合わない。
逆に反感から足を引っ張られる。
マイスターやトップが必ずしも
リーダーにふさわしいわけではない。
必要な才能が異なる場合が多いから。
名選手は名監督にあらず、でしょ?
ダーキシの籠もったムニャムニャ口調
それをさらに逆撫でするテンポ悪い
まわりくどい抽象的な話し方。
アレを聴くとゲンナリします。
そのくせあのしゃべりの風格のなさ。
それを補えていない逆効果の
感情のこもっていない人工的物言い。
逆に得意げにしゃべってるときの
ニヤついた顔や態度が気に入らない笑
いらねぇカッコつけんなよ。
なんかすべてにおいて風格が違う。
ダチョウ上島と同系ながら。
声、話し方、テンポ、トーンがいい。
あれだとダーキシと同じことを
話すにしても、野田本人を通すと
おそらく相手への伝わり方は違う。
国民は感情で動く。
いまも昔もそうだ。
現実は至ってシンプル。
下に見て馬鹿にしないほうがいいし
もう嘘も建前も通用しなくなった。
味方につけつつ、一緒に動いてもらう。
それが一番効率的で全体が動く。
感じたことが言葉として瞬時に
可視化され多くの人に
波及してしまう時代。
別の意味で逆利用することも
発想としてはアリなのではないか。
誰かの発する言葉を一字一句
読んで聞いて理解して間違いを
探して私たちは前に進むのだろうか。
いちいち止めては戻しを繰り返す。
そこ直すために戻って意味はあるか?
時間が来たらあとは任せると逃げる。
シゴトはできてましたか?笑
いろいろと経験してきたことを
自分のフィルター通してしゃべってる
しっかりとした重みを感じさせる。
それこそが相手に安心や落ち着きを
与えてくれる源になっている気がする。
首相経験者の一度経験した落ち着き。
何でも一度目はダメでも二度目から。
ネット記事を見るとSNS利用層には
岸田は不人気だという。当然だろう笑
初めてですもんね。アラもよく見える。
だからこそ野田にも、もう一度
首相としてやる機会があれば
当時とは違った視点、反省を活かし
やってくれそうな期待もしてしまう。
もしかしたら野党側からだと
一番の適任者かもしれない。
失敗を経験してるからこそのね。
ただね、官僚の手にかかるとやっぱり
外から攻めるのとは違うんでしょう。
外にいると官僚のスパイスは入らないが
中や内に入るとどうしてもスパイシーに。
本来の持ち味すら消されてしまう。
官僚らも自分の仕事をやりやすいよう
力学をはたらかせて都合の良いほうへ
引っ張るでしょうし、そのムダな摩擦が
いつも政治家をブレさせるのだろう。
でも、いまこそ出番なのでは?
今度はヤリクチもわかるし仲間に
うまく引き入れて協力させられる
雰囲気をつくれば必ず味方にできる。
政策とかも大事なんだけど
分担義務責任型の構図でいくと
全体のパフォーマンスが向上しない。
せっかくの協力する意識を
相手の厚意をムダにしてしまう。
手伝ってあげたいと思う気持ちを
手伝ってもらう側がうまく捌けてない。
やろうものなら、勝手にやるなと。
こっちの指示どおり動いてくれないと。
これが日本の欠点に見えませんか?
結局、大事なのはこの人ならという
パーソナルな感情の部分だと。
仕事を本人ができるかできないか
ソコじゃないと思うんですよ。
本人ができなくても、周囲の人間が
その人と一緒にやりながら全体で動く
その気にさせてくれる人こそ
本当に必要なーダーだと思う。
過去の偉人たちはみんな本人が
理解して、できていたわけがない。
現代人は全分野をインプットした
スパコンゼネラルトップ公務員として
総理大臣を見ているのではないか?
いまだになんでもできて、理解して
ゼネラリスト的なものをリーダーに
要求しているようだが、それだけで
通用するほど少ない量でしょうか?
国会でも総理は知らないんですか?
っていう追及の仕方をよく見るが。
逆に総理に全部の情報を詰め込んでも
重荷になるだけなのではないか。
時代に必要な局面打開のポイントは
日本人が信じてきた常識の真逆にある。
リーダーはすべてをできなくていい。
リーダーについて行ってリーダーが
ほとんどの重責を担うスタイルでは
周囲も実はポテンシャルを発揮できず
フルに機能できていないはずです。
ワタクスはSNSで発するものは
人の本当のリアルな感情の声だと思う。
ただそこしかぶつける場所がない
哀しさをもう少し理解すべきだろう。
待たされ黙らされ並ばされ従わされ。
こうもくくりつけられてると苦しい。
みんなそう感じているからこそ
誰かや何かに当たって解消している。
いままでは、心の内で留めていた
心の声がつい瞬間的に漏れてしまい
それが可視化されてしまう時代。
これはほんとに開けてはいけない
そういう箱だったんだろうと。
こんな言われてしまうの?と言うが
それは普遍的な人間の感情の発露。
むかしは見えなかっただけだよと。
現代の日本はその声とうまく
付き合えていない気もしますね。
ヘンな寄り添い方をしすぎたりして
手間を増やし複雑化させてる印象。
受け流すところは受け流しつつ
ちゃんと物事を進める流れができず
重箱の隅を突いては吊し上げ
どうです?みなさん!と煽る。
感情ツールのSNSには絶好のエサ。
この声をうまく反映させるには
国民の感情を「いい意味で」
誘導するリーダーがいなくては。
そして一緒に動かしていく。
単に頭のいいやつ選ぶだけでは
やっぱり不適格なんですよね。
昔の人も表で言わなかっただけで
可視化されなかっただけで
同じように発散する気持ちを
抱えていたことは多かったはず。
絶対そうだろう、同じ人間だから。
国民が興味を持って自分事として
考えて協力するところを協力する
マインドを自然に持てるような工夫
そういうリーダーが真ん中にいて
実務は分担しながら協力すればいい。
それこそ、日本の組織力の強みを
さらにポテンシャル開放して活かす。
一度すべての常識をあえて
逆側から眺めるといい。
人はルールやしくみを整えれば
従うだけでうまく行くはずだと
勘違いしていることに気づく。
そして求めるリーダー像を
変えながら、互いに力を
発揮できる流れをつくっていく。
やってやれないことではない
そんな気がしますね。