「日本の老人は優しくない」と
ネット記事のタイトルで見かけた。
敬老の日ということでね。
おおよその想像はついたが
なぜこうなるのかを相手のせいに
ばかりしていては変わらない。
自分の側の態度や仕草、ヤリクチ。
相手が警戒感を高めている可能性も。
そのことを棚に上げて、相手が悪い。
そこだけでは無理があるかなと。
好き放題、言える発信できる
そうなった分だけ、考えてみる
時間自体が削られてしまう。
さらには一度発言したものが
間違うことは、ままあるものの
痕跡を消しても消しきれない。
揚げ足の取り合いに終始する。
前に進まず、足を引っ張り合う。
日本の場合は、外国の老人と違って
若い人がすることに対して
それなに?どんな感じ?楽しいの?
そんなことしちゃいけないよ。
なんてふうに若い人に対して
老人の側から心を開いて、
降りてくることが少ないから。
外国人はそれが自然でさり気なく
身についている、うまい印象がある。
日本人は国民性もあるだろう
ほとんどがうまくないまま年取った。
ワタクスも中年だがうまくない笑
たとえば老人に対して、こちらが
上手に話しかけて相手が警戒心を
解いてくれてコミュニケーションを
取ることができたら、また対応が変わる。
ということは逆も、そうでしょうね。
だから、お互い老人もだが
若者も同じではないか。
我がふりに落ち度はなかったか。
あるいは見えていないことが。
歩み寄りをしようともしないで
ただ主張し合うだけになる状態に。
まさに、いまの日本がそうで。
自分はコレコレをちゃんとしてる。
だから非はない、主張して当然だ。
当然というのもわかるが、それで
物事がうまく進まないのであれば
私たちは考え直さなければ進めない。
ここでいう上手にというのは
スキルや知識ではなく、言う時の
雰囲気や表情、態度、しぐさ。
たとえ見た目がアレな相手であっても
外国人はうまいイメージあるでしょ?
頼もしく落ち着いて温かみのある対応。
主に欧米のイメージですけども笑
日本の老人の場合は、先入観が強い。
だから一度感じ取った印象によって
対応の警戒レベルが上がってしまう。
服装や態度、言葉遣い、あらゆるもの。
でもそんな人や相手であっても
話せばわかる、印象が変わる。
ほとんどの人間はそういうもんです。
ただいきなり話すのは迷惑をかける
失礼にあたる、そっちもあるだろうし
急に怒り出し、何されるかわからない。
先入観から無意識に自分を守り沈黙する。
さらに近年の強盗や詐欺被害、果ては
わけのわからない団体、得体のしれない
そういう存在への警戒感は増している。
そうすると相手が声をかけても
準備ができていないし、マイナス印象で
対応できず「つっけんどん」な態度や
言葉で相手を遠ざけてしまうことも多い。
犯罪等何もなく普通の相手とすれば
本当は一歩、勇気を出していければ。
こういうのは真面目な人に多い対応。
いかにも民意を形成しやすい立場にいる
真面目で社会的ステータスの高い人たち。
むしろヤンチャな性格が残ってる人は
気さくで話しかけ方や、対応がうまい。
迷惑そうに見せるだけでは相手も反発。
日本の老人には、こういう心の奥底の
相手への迷惑、失礼、警戒、先入観
それらの蓄積によって動けないのもある。
対応力やアドリブ力が欠如したまま。
失敗になるくらいなら回避、不干渉。
遠ざけすぎた弊害が出ていますね。
外国のように、見知らぬ相手でも
タイミング良く、落ち着いた佇まいで
説得力のある包み込むような対処が
できないんですよね。
おそらく日本の老人が優しくない
っていうのは、そういう理由も含む。
恥ずかしいのもあるし、経験がね。
できなかったんですよ、そういう
対処ができるようには。日本自体が。
さらに、加えていくと自分の経験上
こうしてきたことで、成功したとか
間違いではなかったということに
老人はかなりの信頼と軸を置いている。
いわゆる経験知というところだが
単なる経験値になっているだけで。
相手に寛容になれず、主張を通す。
自分が経験していないことは億劫に。
それによって新しい物や技術に対する
嫌悪感や不信感が先に立って不機嫌に。
自分には納得してるコレがあるからと
新しいものにも、手を出したがらない。
やはり少し、怖いんだと思いますね。
町おこし協力隊だとか移住者。
入ってくるそういう若い世代と
地元の老人世代がうまくいかない
みたいなのも番組か何かでみたが
根はこの手のことが原因でしょう。
若い人は良いことだからと思って
最新のデータや用語を使って説得する。
だがこうなんですと説明したところで
そのアプローチ自体が間違っていて
相手から笑顔を奪ってしまうだけに。
若者は自分の基準で正しいことを
しているのに何故わかってくれない?
って思ってしまうだけで、相手を
相手立場の方向から視野に入れない。
最新の機器を使うこと、わかりづらい
用語やカタカナを当たり前に使うこと
それを早口でまくしたてて説明したとて。
相手の老人の立場になって想像すると。
わからないものを使われて自分たちが
わからないまま搾取され、騙される。
その恐怖感、警戒感が強くなるだけ。
何が間違いだったか、わかるはず。
自分の当たり前を、前提に置きすぎ。
私たちにもそういう過失がある。
だからこそ、知識やスキルを並べても
相手の年寄りの心は開くことはないんです。
相手が解釈しやすいことが重要でしょ?
これは難しいんで、考える必要がある。
単に知識やスキルでは補えないから。
わかりやすい言葉で伝えて
相手が理解するのを感覚で
自ら感じ取れていなくても
話を進めようとしてしまう笑
そのわかりづらいことが
ネガティブな反応を年寄りに
引き起こしてしまう。
もういい、なんにもわかってないと。
それに対して若い世代は、なんで?
ちゃんと説明してるのに、というが。
そこの工夫が足りないんですよ。
感覚も間隔もテンポを急ぎすぎてる。
これを変な輩がセミナーでやるとか
それもまた違うんですよね。
理論や知識だけで武装しがちに
どうしてもなってしまいがちですが。
うまくやろうとしすぎると
その辺の大事な視点が死角となる。
資格があればできるものでもない。
持っている人間性みたいなところ。
いつの時代も若者は最先端を
苦もなく扱い当たり前にこなすが
実はその外形が、不安な年寄りには
マイナスのイメージを植え付ける。
お互いが相手の立場に配慮し合う
そんなイメージで、自分のこんな所が
良くなかったなとスタンスを変える。
そうすれば互いに少し歩み寄れる。
人が多いうちに協力しあえるところは
協力しないと、単なる妥協では
感情はお互いにスッキリしないまま
しこりが残るだけなのではないか。
若い世代はいまの年寄りには
あまりいいイメージはないでしょう。
これから先細るなかでジャマな
存在と思う気持ちも否定できない。
敬老というが、単に敬っても
相手が昔の常識のままで進歩せず
考え方を変えないのも悪手ですし。
若い世代が自分のわかるテンポで
なんでも進めてしまおうとすると
相手はすべての足腰が弱ってることを
忘れてすれ違いを生んでしまう。
年寄りは速くなることはないが
若い世代はあえて遅くして合わせて
理解を互いに深めることはできる。
年寄りも若い世代が合わせてくれた
そのことに感謝する気持ちを表す。
そういう流れができたらもう少し
このイビツな社会は変わるのでは?
敬うとは双方に必要なものです。
年寄りばかりでも、若者ばかりでもなく
互いの立場を考えてアプローチする
それがいま大事なことかと思いますね。
今回も長い笑