未婚の男女が多くなって
さらに彼らが年を取ると
暮らしづらくなってくる。
社会は知らず知らずのうちに
お金や体力がないと一人では
生活しづらい空間を生み出す。
からだが不自由になるが
孤独と付き合いながら
いつまで生きるかわからず
目的もなく余生を過ごす。
おそらく結果的にものすごく
経費が私的にも公的にもかかる。
それぞれの自由を尊重すると
こじれていく年齢にもなるだろう。
ますます難しくなる時代になる。
いっそのこと、この立場の人が
自らの人生のためにも、互いに
協力しながら共に生活しながら
助け合いながら、暮らし生きる。
恥ずかしいことに
思うかもしれないが
そういうマッチングをする
時代が来そうな気が。
むしろ生きる目的や喜びが薄れ
中途半端にバラバラになるよりは
同じような人が集まれる地域を
過疎化地域を利用してでもつくる。
仕事は、一般にはなかなか
手の行き届かないような
仕事にならない仕事をする。
行政が仕方なく担当してるような。
たとえだけどね。
人がやりたがらない
商売にならない、けど
人がやるとみんなが助かる
そういう大事なパーツのね。
各地域にもあるし、そこを担う人が
稼げないから避けてはいるけど
社会にとって大事なんだという
認識は共通してできるはず。
みんなが誰もやらないことは
もっと評価する賃金など報酬を
高くしてあげたらいいと思う。
逆手に取ればできることは多い。
世の中には引き受けたがらない
めんどくさい仕事がなんとなくある。
それらはヤミに流れていくイメージ
あるいは放置されたままになって
行政に任せるかたちで集まってる。
そこをお互いに協力していく。
仕事として十分な報酬を支払い
商売にならない仕事につく人と
手伝ってほしい人材がいる行政と
目的を見失っている世代同士で
マッチングできれば希望は広がる。
なんだかんだで孤独に1人で
都会や地域に紛れて生きるより。
野良猫のように人知れず死ぬより。
単純に張り合いが生まれる。
いざこざもあるだろう、そりゃ。
人間そこまでにいろいろあったら
こじれるのも無理もないけれど。
でもそこで止めて、何になるだろう。
進むしか道はないのではないか。
慎重に決めるには時間がない。
ただね、ある程度そこまでに
自由も不自由も制限も経験した。
思い描く人生ではなかった人たち。
年を取って1人では気持ちも楽しくない。
かといって、単純に発想しがちな
老人のシェアハウス的に捉えると
絶対に失敗するだろうなぁ笑
簡単に説明するにはそのイメージが
ラクかもしれないが、それで集まると
誰も協力しあう姿勢や意識が生まれない。
そこは互いに真剣な気持ちになり
最後の人生の転機を、マジメに考え
逃げないで支え合う覚悟みたいなね。
そこ必要になってくる世代が
増えてるはずなんですよ、もうね。
これまでも、それぞれ地域のなかに
混在しているんですよ、きっと。
紛れていれば、気も紛れるけど。
声を上げても助けてもらえないから。
逆に人が住まなくなってきた場所を
有効に利用して、助け合いながら
生きていくイメージでやれることが
あるんじゃないかなぁと思う。
お互い恥ずかしくて乗り気にならない
そんな側面もあるでしょうけど
孤独で1人居るよりは何倍もいい。
お金があれば各自バラバラに
そんな悠長なこともできるけど
天変地異や世界情勢を考えると
そんな時代じゃ無くなる気が。
いまの流れだと各自が個人で
文句を垂れながら協力もせず
手間がかかる人だけが増える。
当然、手間がかかるはず。
今まで自由にやっているから
急にそこから協力しあえと
言われてもね。なかなかで。
その年齡までヘタに自由にしてると
もう耐えられないくらいだろう。
この自由は制限された中の自由だが。
でも、そこでもうあきらめるのも
経験したことだろうから、あえて
別の道、その次を、ガマンしてやる。
それくらいしないと道は拓かない。
手遅れになる前から、しがらみのない
地域に移り住むなりして集まった
人たちが協力しあいながら生きる。
全部行政に任せると人は活きない。
残念ながら100パー失敗する笑
かといってビジネスっ気を出しても
これまた欲が出すぎてうまくいかない。
お互いにいい距離感と責任感をもつ。
人間同士の電流イライラ棒(懐かし)
これをクリアするくらいの難しさ。
自主性のなかった世代だけど
自主性を出すマインドセットできたら。
難しいでしょうけど、のびしろはある笑
話してもわからない年齡じゃない。
むしろヘンにこじらせた年齡ゆえに。
そこをうまく紐解いて協力しあう。
人と人も。行政ともそうだし。
なんか最後は点となってバラバラ。
そこが見えてるし、誰でも想像つく。
だったら少しでも目的のある生活
誰かのために何かできる生活、仕事。
ポジティブな感情からのサイクル。
やるべきではあるよねと思う。
大きなしくみをつくってから
その箱に詰める通常の方式では
人は活きないよ、行政はそこ注意。
こういうことが、法律に縛られて
できないんですよ、で進まないのは
もうアホらしくないか?って思うが。
彼らは法律に縛られ、法律に守られ
法律のなかで仕事をするのだと。
法律に定められた安定した報酬を得る。
彼らは自主的に歩む人たちの
サポートだけで十分なんです。
そのほうが絶対に効率的にできる。
平時は行政主体のそれで
いいけどね。平時は。
ただそのバイアスが強くなり
変えていくべき瞬間に動けない。
日本はこれでスタートで遅れをとる
常習犯だと自分でも気づいていない。
行政も私たちはいまできることを
できる範囲内でやった、大義名分。
ずるいよな、いつの時代もそれで。
おそらく、うまくやろうとして
行政が主導権を握ろうとすれば
するほどうまくいかない気がする笑
日本の社会ってリードする側
=行政って、しちゃってから
大衆が積極性を失った気がする。
ヘタに任せて考えなくなった
日本人の致命的な欠点だ。
やりゃあできるんだという気持ち
もう一度、浮揚させてみるのも
アイデアなんじゃないかな?
扶養でもなくなり、不要にされ
不用になっていき、腐葉にもならない。
自分でもう一度、人生をデザインする
チャンスを得ることによって浮上する。
こうなったらこうする、こうしとく。
なったらなったで用意された行政プラン。
こうならないようにいまからこうする。
どっちが、人が活かされてるか。
人が目的なく生かされてるのと
活かされてるのはだいぶ違う。
アイデアと協力、自主性で。
全体のしなくてもいい負担も減るよ。
いままでもそういう社会の隅っこで
そういう堕ち方をしてる人は
たくさん、いるはずですけどね。
おそらく、行政もしくみの中で
強制できないから粛々とやる。
矯正もできず、共生もせずに。
積極的にやれない国民性を利用し
最低限のことしかしてこなかった。
できそうだとか、やれそうだとか
そういうことだけじゃなくて
そうなったら面白い、楽しい。
ワクワクするってことが大事で。
特に孤独だったり
うまくできなかった
そんな人生を過ごしてきた人には
一番大事なことかもしれない。
これを明るくポジティブに
やれたら少しは生きやすくなる。
そして活かされやすくもなる。
なんてな笑