今クールのドラマのお気に入り

「日曜の夜ぐらいは・・・」だが

やっぱりいいね。



何がいいかってことを

簡単にいえないのがいい。



大笑いも、事件もなくていい。

ただ慈しむような笑顔を

自然につくってしまうような

雰囲気が、確実にある。



それだけでいいんだ、と思う。

たぶんそれを狙ってるかと。



近年はとにかくマニアが

喜ぶような内容を意識しすぎ。

客の要望に答えよう、応えようと

逆にせせこましくて肩がこる。



難しいことあんまり考えて

観たくないときだってあるさ。



盛り上がりに欠けると感じて

面白くないという人もいるだろう。

でも、それでもいいんだよ。



ワタクスはこのテイストが好き。

堂々と言ってやろう笑



日曜の夜ぐらいは。

意識して観ようとしなくていい

考えなくていいドラマが。



究極に澄んだスープみたいな

味わいで、それが逆にいい。



逆にスパイス入れすぎて

複雑な味に酔わなくていい。



難しいことをやってるとか

エッセンス詰め込んでるとか

そんなん要らんのですよ笑



ミステリーやサスペンスも

好きですけども。全然好き。

恋愛ものはもうキツイが笑



今回はそうじゃない視界が

スッと開けた。ジワッと広がった。

だからスッとヨドミが消えた。



ネット記事も、せわしない。

考察で盛り上がりたくもない。

そんな人だっているはずだから。



そういう人にとってはね

異常なほどの評論家気取りマニアの

盛り上がりは、逆に嫌悪感しかない。



日曜の夜に、あんまり細かい

分析やら伏線回収やら考察やら。

そんなん必要ないでしょ。



ゆっくりしてーんだよ。

横なってダラッとみてーんだよ。

それでもいい。



本来もっとラクに観ていいんだ。

そうじゃないのも観ていいんだよ。

日曜の夜ぐらいは、という解釈



勝手に解釈してしまいますね。

これも考察なのだろうか?笑

つくり手側の世論に対する

アンチテーゼみたいな?笑



これも細かいこと

どーだっていいか笑



観て少し口角が上がる。

少しうなずく。

少しうつむく。

そして少し、前を向く。

これでいいのだ。



本来、そういうドラマも

あっていい。いいんだよ。



オリジナル作品だし

そういう視点って

大事なのかなと。



結末はどうなるかは

わからないが。

それぞれには、それぞれの

事情があって。



それぞれの責任だけにせずに

ちょっとだけ手を添えてあげる。

そのやさしさがあふれている。



むしろ意図的にありがちな

エッジを効かせないことを

あえて意識してやってる

ようにも感じる。



いつのまにか私たち世間の視聴者も

盛り上がりたい人の扇動によって

乗せられる形で動いてないか?



本来、そんなに望んでもない

複雑怪奇なドラマを

刺激あるものをどんどん

求めていく風潮が強くなった。



こういうとこですよ。

気づかないうちに

大衆が後戻りできないほど

エスカレートしてしまうのはね。



別に詳しい解説なんかいらない。

事細かに言ってくれなくていい。

いちいち知らせてくれなくてもいい。



余韻を自分で味わうために

味わい方を学ぼうとしなくていい。

事前にも事後にも必要ない。



いつからか丁寧な完成品の完成度を

上げすぎたがために、自分の理解を

ある程度、超えてしまうともう



誰かに正解を教えてもらわないと

不安で不安で、仕方ないみたいに

日本人は変化してきたように思う。



誰かのシワザを絶賛すること

あんまり意味がない。



でもあれかな、絶賛することで

自分の承認欲求も満たすのかも。

他人を介して、叶えていこうとする

現代人の予備知識からの予防知識。



視聴者にも媚びない。

違った視点、失ってた視点に

そっと気づかせてくれる作品も

私たちにとって必要な

無色透明で味わいあるスパイス。



いろんな立場で苦しむ人が

互いにそっと差し伸べ助け合う。

その心の動かし方が心地よいからだ。



もっと評価されていいドラマ。

世間の喧騒に立ち向かうでもなく

ただそっと手を添えてくれる。



それが私たちにも必要なのだろう。

日曜の夜ぐらいはね。