18歳が候補生、訓練生とはいえ
人間相手に、ぶっ放すってことは
相当なことがあったんだろう。
彼にとっては、相当なことが。
教官にとっては当たり前でも。
いくら候補生でも世間一般の
いまの若者とほぼ変わらないし
意識は簡単に切り替えできず、
心の奥底にまだ、若者が残ってる。
昔の若者と違って育ち方の
環境や常識が世間では変わってる。
でも社会の動き方は、必ず遅れる。
会社や政治家がこうすべきと言って
新卒を採用したとて。現場はまだ古い。
上はあとは任せると、逃げるだけ。
現場には現場の思考があって譲らない。
現場は現場の意識や思考で動くから。
築き上げた過去に基づく正義に捧ぐ。
合わないものは、去ればいいとさえ。
彼らでさえ、そうすることでしか
うまく収めることができなかった。
かくして、理想と現実は離れ続ける。
過去の世代は家庭や近所などには
この正義と同じ成分で構成された
欠片が残っていた。僅かながら。
社会に出てギャップがあっても
文法が似てるから習得しやすい
言語のように、フィットする人も
大まかにいうと多かったのだろう。
厳しく育てたベースのしつけがあり
似ている文法が、次の現場にあって
自分も順応しやすいし、上の世代も
同じ文法で育ってて対処しやすい。
指導している意味、厳しさ。
互いの意図、その読み取りが
ズレはあっても、可能だった。
しつけや家庭環境、経済的事情
技術の進歩によるツールの発展
時代はいろいろと変わってしまった。
やらなくてよくなったものの中に
若者と教官の理解に苦しむ隔たりの
理由が隠れているのではないか。
ギャップがあって辞めていく新人。
折れてしまう新人はどうだろうか。
彼らは初めから厳しさを欠いたまま
理屈をまとい、不合理を排除して
徹底的に完璧な環境を好むように
育てられ、そう仕向けられてきた。
スマートにこなし、泥臭くなく生きて
楽しいことを中心に置いて生活してた。
忘れてはならないのは、この環境を
与えて、許してきたのは過去の世代だ。
現場はやり方こっちに合わせるのが
当然、社会人として常識だ、が強い。
だが合わない常識を許したのも
実は同じ過去の世代、社会人を演じ
解決できないギャップを感じても
家庭では許してしまった「会社人」だ。
これはどっちかが折れるしかない。
上が期待して採用した新人が潰れる。
それは現場との認識と意識の違いが
絶対に埋まらないからで。
いやなら自分でやめればいいとしか。
理解に苦しむ若者をどう育てるか。
ベースがないまま、放り込まれる。
すべてを教育するのも仕事なのか。
一度固まった常識や意識を変えて
若者を理解し、彼らに気づかせるよう
過去の正義を自分たちで改訂版をつくり
現代版として落とし込んで対処する。
マニュアルなどない、つくれない。
あってもどちらかの都合を示すだけで
あとは現場で各自、うまくやれと。
そんな感じなのではないのか。
新卒採用でうまくいかないで
辞めるのは理想と現場とのギャップ。
体力的にも精神的にも
つらさの種類が学生や家庭とは
まるで変わる。
若い人の考え方が理解できない
って解釈に着地してくるだけで
解決法もなく、強引に自分たち側に
合わせるよう染めるしかなかった。
染まらなかったものは仕方ない。
いやなら、やめればいいと。
あきらめるしかないのだろう。
その若者の比率が昔より高くなっても
解決する手立てが一向にみつからない。
自分たちのほうが間違った解釈を
続けてきたからなのでは?
っていう疑問を持たないように
植え付けた意識もあるだろう。
教えるこっちが間違っていることも
実は多いという真実もあるだろう。
でも、古い基準は伝統の熱を帯びて
重厚感が増して常に正しく見えてくる。
だから無意識に正しいのだと
疑いもしなくなる。
これはもう、しつけ以前の
もっと大きな問題で
簡単に解決できるものでないと
実感しているとしても。
やっぱり解決方法は見つからずに
下に投げて任せっきり、
根本から解決する気はない。
こっちに合わせてこいよ。
そういうやり方をしても、
もうついて来ない。
似た言語がみつからないのだ。
若者にとって何も考えないで
ただ従うことがどれだけ苦痛なのか
想像もしていないのだろう。
理由なき従順に抵抗があるか
それを考えてもいないのだから。
若者と教官の常識は違う。
時代が変わっても
教官側に合わせて育てるのを
変えることはないと思う。
そこを変えて若者に合わせると
今度は上の世代、古い価値観を
植え付けられた世代は
無性に腹が立つでしょう。
なんで、できてないこいつらが
責められないんだ、自分たちは
必死で従って成長し認められた。
その常識が変わってしまうのは
絶望、落胆、モチベ低下で。
むしろ逆にムカついて嫌う。
わからないようにオトシメる。
我慢の限度も範囲も耐性もすべて。
理不尽なことに対する従順さも
歯向かう意識すら違う時代の差。
いまの若者だけでなく生きてる人
すべてが理不尽なことに対して
声を上げやすい時代になっている。
自分が虐げられたと感じるセンサーは
確実に性能が高くなり、細かいところを
拾って集めて丁寧に不快感を数値化する。
こんな迷惑な話ないはずです、
古い常識で育ちその延長で指導してきた
教官世代たちにとってはね。
個性を大事に叱られずに育つ。
急に理不尽に対処され追い詰められる。
それはたとえ窮地の自分のメンタルを
支えるため、鍛えるためだとしても。
ツラく耐えられないことばかりでも
昔はどんなことも従ってしまうのが
当たり前で常識みたいだったこと。
若者は向けてはいけないほうへ
意識も向けてしまったのだろう。
そのトリガーは教官たちとは
共感できない価値観の違いにより
放たれてしまったのだろうか。
もっと大きな問題であると
認識しないといけないのかも。
単純にそうすることが
起こらないようにするだけ
最善の注意を払うだけでは無理。
問題が起こらなくても心はズタズタ。
解決を先送りしてる日本の常套手段の
典型のようなことに思える。
組織って立場にいるとなんでかな。
今後、こういうことがないようにする
みたいにしか言わないけれどもね。
いろんなアプローチ間違いを
していることを自分たちでは
認めづらい考え方にしてしまい
自分からそこには手をつけない。
たとえ第三者に裁かれようが
何言われようが意識は変わらない。
この種の組織の性質上そうなる。
叩き込まれたことが正義であって
その初版本=正義を代々、繰り返す。
これに心酔していくと第三者的な視点も
プロの視点じゃないからと一蹴する。
完全に世間を下に見てるだろうし
自分たちの使命感に毒されてしまう。
たとえ現代版に訳され改訂されたり
したとしても、組織は初版こそ正義だと。
国を守る最前線であり
生命線となる組織ですから。
かなり意識高めに設定させられる。
甘っちょろいと認識されることを
克服してすべてを身につけ
いつでも国難のためにと
そういうスタンスを
崩さないことが正義。
っていうイメージはあるかな。
これについては隊員になる以上は
絶対に間違っていないことだから
これを新人に対してわかってもらう
それしかない、譲れないラインだと。
理解し、身につくようにさせるのが
大前提の厳しさなんでしょうね。
相手に対して自分たちのやり方をまず
理解してもらおうとするスタンスをとる。
あとは国を守りたいのは同じでも
戦いたくはないだろう、普通に考えて。
そこにまるで落ち度はないと
思い込んでる。いや、違うな。
落ち度を持ってはいけないくらい
自分たちの行為の正当性を
保ち主張するためなんだろうな。
この隔たりに対して誰が声を上げ
解決するかが重要ではないか。