いろんな事件があります。
首相官邸でハメ外す息子を
叱責しても切らないバカ親。
その理不尽さがヒキガネになったか
触発されたかどうかは知らないが
市議会議長の息子の立てこもり殺人。
育て方うんぬんを言う声もあるが
その括りでどちらも固めたがるけど
これもう、本人の問題ってのもある。
ただ、本人の問題という後ろには
うまく立ち回れずに孤立してしまった
社会的な問題が隠れずに立っている。
誰もが見ないふりをしてる社会問題が。
これから逃げてきたのではないのか。
人間そんなにうまくはいかない。
ただ孤立してしまうとやっぱり
自制が効かなくなる可能性が高まる。
自分のイエスだけがありノーがない。
その状態にいる人は他人のノーを
どうしても受け入れられなくなる。
その状態にいる自分のことすら
わからなくなってしまう。
果ての強行に出たのだとしたら。
当人たちの細かいことは知らない。
ただ全体として孤立社会のヤミの問題を
なんとなくイメージしてしまう。
事件になる手前で踏みとどまる人たち
そんな人も数知れないほどいるだろう。
この事件に限らず、社会問題としてね。
首相官邸のほうはその前にも
おみやげ問題があったし、根本的に
どこか違う意味の自制が効かないのが
問題となっているんでしょう。
前者の秘書息子と後者の息子は
ちょっと質が違う気がしますけどね。
秘書息子はやっぱりどこかナメてる。
どんな有能な才能があろうとも、人間って
ナメてる姿勢って出ちゃうんですよね。
ナメてる姿勢って彼の境遇にいると
想像するに、治らない病なんじゃないか。
二世という境遇の辛さと逆に甘さ。
取り巻く周囲の人は表立って言うと
排除されかねない、損得がはたらく。
言ってくれる人がいないんでしょう。
そして言ったとて、幼少から聞かないまま
大人になって、当たり前にしてきた。
一方、社会問題となる孤立の課題は
私たちも避けない意識が第一歩で。
うまくやろうとすると
うまくやるために
自分の立場を守ろうとしますよね。
それは自然な気持ちではあるけれど
ビジネスや流行、生存競争で常に
急かされ、追い立てられている感覚で
乗り遅れたら終わりだ、みたいな。
私たちは年々、急かされ続ける。
他人のことは構ってられない。
手間のかかること、厄介なこと
避けて避けてかいくぐろうとする。
それが王道となって、我関せず空気。
乗り遅れた者たちは孤立していく。
腫れ物に触らない、近づかない。
彼らもどんどん自分に都合の良い
イエスを溜め込んでいく。根は同じだ。
内なる正解だけが正しいと思い
わかってくれない他人を排除する。
その前に私たちが小さなスケールで
いいので助け合うことが必要でね。
社会全体は人口増加もあって
小さなスケールでのしくみを
どんどん排除しながら統一して
ひとまとめに効率化をはかった。
土地は狭いのに人が多くなり
一部に集中しすぎて混乱する国。
うまく人を活かしきれない国。
効率化の中でひとりひとりは
細かいニュアンスを捨てさせられ
ルールを守らないと助けてもらえぬと
思わされるようになっていく。
10人のコミュニティを意識的に
残したり、つくることが大事なのに
100人、1000人と人間の管理を
作業化、膨大化していき、効率化を始めた。
ルールを守っていくなかでも競争があり
勝ち負けがあって、勝った者は
次の助けがあるのだろうけれど。
負けた者たちにはどうだっただろう。
気持ちの面でもダメージが大きいから
容易に立ち直れない人も当然出てくる。
勝った者は同じように頑張れば?という。
しかし勝って望むステージと
負けてもう一度挑むステージでは
まるで見え方や考え方、気分まで違う。
そしてその勝ち負けを繰り返してきた
その結果、避けられ孤立する者が
必ず出てくる。そこに誰も関与しなくなる。
その際に、小さなスケールのコミュニティや
コミュニケーションは重要になってくる。
当然、公のものではない。逆に公的なものは
距離を遠くするし、プライドも傷つくだけ。
私的で小さくても、自分の行動範囲内にある
コミュニティであることが重要なのだから。
しかし孤立すると、その道は少しずつ
狭くなり、自然に獣道になっていき
ついには誰も通らない道に変貌してしまう。
彼らは独り、道に佇む、膝を抱える。
後者の息子の境遇や環境の詳細を
知らないが、昨今こういう事件が
各地で頻発している。
経済的枯渇だけが問題ではなくて
社会的孤立など複雑に絡んでいて
若い人だけでなく、勝ち組負け組の
過程で脱落してしまった者たちが
イエスを溜め込んで表面化してきている。
そんな気もしますね。
ただ殺人をしてはいけない。
でも、そうなる前にどうするかを
各自の責任として放置してきた結果
数十年ののち、自暴自棄で表面化。
各自が自分のこと、家族のことで
精一杯であり、そうしなきゃいけない
ほつれて穴が開いても重宝しまくる
社会のしくみにぶら下がり続けた。
他人を蹴落とし、
自分がその細い糸を
必死に自らの腕に絡め、
何重にも巻き付ける。
他にまだ何人かは助かるかもしれないのに
その糸を全部、自分に巻きつけてしまう。
みんな勝ち組が必要以上に巻きつけて
その積み重ねだったとしたら。
それがすべてだろう、おそらくは。
自分の安心安全のために必要以上に
取り分を多くして支配してきたことが
助けられなかった者を苦しくさせた。
自分が食べきれない量でも
冷凍してストックしておこうと。
取れる分は、取れるだけ取る。
他人のことはあまり考えないで。
社会に還元すべくお金を回すでもなく
貯め込み、安心を担保しながら立ち回り
各自の責任だと決め込んでいく。
社会に還元すべく意識的に回すこと
機会を広げること、増やすこと
制限をかけすぎないことなど
本当は上にいる者たちに課された
やるべき責任だったのではないか?
その責任から都合よく逃げて
自分の安心安全を担保しながら
必要以上に確保し、知らんぷり。
彼らが有能であるならば
有能な才覚を間違った使い方で
社会を改善できなくしたことに
責任はないのだろうか。
起こるべくして起きたこと。
何十年も前から懸念されたこと。
放置して見ないふりしてきたこと。
顕在化しても自分を守るのに
必死だったと言えば仕方ないねと
許されてしまうこと。
日本はそういう国なんですかね。
そう、なってしまったんですかね。
もう一度見つめ直すいい機会では?
孤立させず、誇らしく立てるよう
差し伸べる手があれば犯罪の手前で
どれだけ人を救えたのかなと
思ってしまいますね。