最近のスキャンダラスかつ

センセーショナルな話題で

思うのですがね。



「そういう目」で見てしまうと

「そういう目」でしか見なくなる。



人間なのでコレは確実にあります。

単なるじゃれ合いも、あんたもそう?

みたいなね。もしかしての連続、迷宮。



心理的なものなんでしょうけれど。

人間はそれをコントロール

できんのかな。できないでしょ。



一度、ウガッた目で見てしまうと

それを越えるにはホントに

ひと山越える、それくらいのことが

ないとダメですね。



ジャニーや亀治郎など続くとね。

セクシャリティの問題であるが

尊重する姿勢、意図、考え方。

もちろんわかりますよ。



ただ、それぞれの受け手の人が

「対自分」みたいなところを

考えるんだと思います。



対象となる人をそれまでの

自分の生きてきた感覚では

すぐには理解できないとか

そちら方面は経験してないとか。



理解するまでにかかる時間も

人それぞれでしょうから。



常識だよコレみたいな流れで

理解できない人をすぐに

一斉攻撃するのも違う気がする。



あるいは、私の嗜好とは違うので

距離を置きたい、という気持ち。

関わりたくないわぁ。って感情。


自分と異なる嗜好があったとして

巻き込まれたくない、怖いという

感情もあるだろうし。



自分がまだ知らないだけであって

未知なる部分であるとしても

自分の意思以外からのきっかけで

侵害されたくないとかね。



だから昔は嗜好の違う人を

強引に巻き込むようなことも

実際に多くあったはずでね。



そういう人同士だけで成立する?

そんな人間はスマートじゃない。



そうなった人は自分はもとから

そうだったと肯定的に捉えるのか

それはわかりませんけれどね。



ただ未知の領域に踏み入れるのは

現代人はおそらく自分の意思で

進んでいくことを決断しないと

納得しないし、動かないこと確実。



証拠残しもいまはできるでしょうし

警察や訴訟という判断の選択肢も

昔の人以上に理解しているでしょう。



だからもうムリヤリという状況で

発展していくのはかなり厳しい時代。



ただ、うまいこと誘い込む人が

たくさんいるんでしょうけれどね。



結局、そういう輩を、自分にとっての

得体のしれない怖い人カテゴリーに

入れてしまうことが多いんですよ。



前者の故人の件と命をとりとめた

後者とはまた違うんでしょうけど。

前者は悪質過ぎてもう理解超える。



ファンもうわさを聞きつけゼロでない

その可能性もなくはないと知りつつ

自分から見ないようにしてたり

するのだろうか。わからんけれど。



この手の問題はデリケート。

でもデリケートなのは受け手も

そうであるかと思いますね。



いろんな多様性を認めることも

大事なんだけど受け手の

理解のスピードは周りが思うほど

速くはないのも理解してあげないと。



そうであったとして、すぐに

理解を示せと言われても

かなり難易度高めで時間が必要。



マイノリティの押しが強いと

逆にマジョリティの反発力も

高まってしまうから。



一度固まった価値観ってのは

時間がかかることを互いに

理解していかないとこの手の問題は

距離が縮まらないのではないか。



多様性を互いに認める速度にも

多様性は必要な気はしますね。