日本の為政者たちは相変わらず
同じことを繰り返すのが好き。
パターン化、ルーティン化が好き。
典型的と言われてもリズムできて
同じことをしててもシンドイと
思わなくなってしまう人たち。
周りが勝手に言って盛り上がる
悪いパターンの作り方を
どうしてもやめられない。
周りが勝手につくってしまうのは
もう日本の中枢の特徴的な性格。
良かれと思ってやってるが
いつも効果的でない結果を招く。
当事者とかなり乖離したものを
すんげーいいものつくったよ的な
顔して、これでどうぞ。ってする。
ひきこもり支援のマニュアル策定や
いわゆるLGBT法案についても
全部、同じでしょうね。
そんなんじゃねぇのにそんなので
良しとしてしまう権力者のセンス。
ルールつくらなきゃと決めたがる。
そんなズレたことを示されても。
決めてしまうこと自体が多様さに
対応できる思考を無くしてしまう。
そしてそのズレたことを法制化すると
ズレたことが、正当化されてしまう。
示す通りにやるほうがうまくいかない。
当事者はそういう側面も感じるだろう。
なぞりたい快感を求める公務員登場。
手足となる者が、黙っててもなぞる。
仕事とプライドでなぞり倒すだけ。
人の気持ちより法の気持ちに寄り添う。
人を扱うのでなく物を扱う作業にする。
なんでもこうやって作業手順を重視。
間違っていても、ヘタこいていても
彼らは決められた手順を間違えなければ
責められることはない、それだけ。
違うんだよ、ってあらゆる当事者が
思っていても当事者以外がこれがいいと
決めて、やりましたよと(したり顔)
全然ダメでしょ笑、意気込んで
やってるのはこれまでと同じ思考で。
法律をつくっては失敗してきた
パターンと思考が同じだから。
効果は必ず薄くなり、逆効果にも。
決める人たちが疑いもせずに
これまで正しいと判断してきた
基準の中に間違いがあったのなら?
ここから逆算して想像してみよう。
正当性があり間違っていないからと
別の視点を採用も考えもしないで
無意識にまず排除してしまうから。
直せるはずがない。最初が間違って
そこから入ると全部、間違うだけだ。
実は最初に捨てたものに
答えに近づくヒントが隠されている。
そういう話、よくあるでしょ?
原因は過信であり、慢心でもある。
いつも失敗するパターンになる。
その結果になるには、どこでどう
間違っているのかが見えていない。
見ようともしていないだけで。
同じミスをミスと認識せずに
当たり前のように繰り返す。
決めて動かしてきたことを
反故にできない気持ちが上回る。
もう動かしてるから、ここで止めたら
全部否定になり失敗と烙印されると。
為政者たちは多様な異性者たちを
本当に理解しようとしているのか。
同じような欠陥があるものをつくり
同じように失敗すると思いますよ。
毎年、道路工事繰り返すようなもんで。
当事者の人生は繰り返しできませんよ。
公務員は繰り返してりゃいいかもですが。
ひきこもりの人にもしてみたら
ひきこもり以外の人に合わせにいく
そのほうがシンドイから離脱する。
そう考えてみたらいいんですよ。
彼らが社会問題と考えていることを
なんでもいいから意見提出させる。
それを自分たち自身で解決するために
当事者同士でみんなで参加して考える。
これだけで扉は開くと思いますよ。
相手視点からスタートすることです。
おそらく彼らはただひきこもって
いるわけではないでしょう。
自分たちなりの意見も当然ある。
足りない部分もあるし、それをただ
補って不足分を現行の社会の基準まで
埋めるだけが彼らを救う方法
ではないんですよ。
先ほど書いた同じパターンってのは
ここでいう、勝ち組たちの基準に
合わせてこいとする姿勢、その一歩目。
彼らひきこもり当事者のペースでなく
相手のペースで進められてしまうこと。
ここが間違いの始まりであるなら。
この厳しさを乗り越えないと社会では
活躍できないよ?みたいなハードル。
いつもこのパターンで効果なくても
後悔ひとつしない、反省もしない。
おそらくひきこもっている人には
これこそが、逆効果でしかない。
彼らが少しでもやる気を出せるような
前に向いて自然と一歩が出る環境に
視点を置かないと一生、進まない。
この最初の一歩目でやる気をくじく。
くじかれているのだと思えたら
別の入口からアプローチすべきでしょ。
極端に言えば、ひきこもりが
会社をつくって当事者同士で
起業して、当事者を積極採用して
そういう方向性を目指すといい。
餅は餅屋。当事者に指示する側との
立場が違いすぎるし、考え方や
成功してきた基準やルールも
同じようにすべきではないのだが。
これまで国が成功していないことを
反省すれば、やり方を変えるのが
自然なはずなのに、できない。
法律などで決まってしまうと
そのやり方以外は排除されてしまう。
沿っていない行為の責任は自分にくる。
それだと誰も救えないけど
自分だけは救えるよね?って
ことしか公務員はしなくなる。
まぁ公務員だけじゃないけども。
自分の思うようにやりたい気持ち
そこをうまくみんなが発揮できる場。
これはすべての人に共通すること。
自分の気持ちを同じように
理解できる人が協力し合う雰囲気に
入口を変えてみることが大事。
狭い入口を同じようにくぐっていけ。
そんなことをしても彼らは出てこない。
彼らに自分たちで出口をつくらせて
自分たちで課題をみつけて
解決していく方向性で試そう。
それが本当の自立の第一歩になる。
同じ入口に彼らを無意識に立たせ
すべて準備していってもそれは無駄だ。
彼らが出てこなければ意味のない話。
たとえ正しいことでも、出なければ。
厳しさを学ぶことでも、続かなければ。
同じことをホドコシして出来ないなら
それは個人の責任、と追い込む。
その発想が間違いの始まり。
当事者たちとは明らかに過程も
経験も違うからうまく行かないのに
同じレールに乗せようとしてる。
成功のイメージをして乗せるのは
それで成功してきた人たちの視点。
当事者たちの視点ではないんです。
この最初の間違い、先入観を
為政者たちは捨てられないから
いつも失敗してるんだと思います。
言われると腹立つでしょうか?
でも当事者である人たちも
同じように為政者のやり方に
腹立ってると思いますよ。
それに気づいて考えを改めること
これこそが為政者たちにとっても
第一歩なのかもしれませんね。