コロナ5類移行をきっかけに。

たとえ時機を大きく逸したスタートで

大きく出遅れた最後方であっても。



ゴールデンウィーク明けの8日から。

日本のマスクメーンたちよ。

それはきっかけだけ、なはずで。



どの程度の人がいまもなお

外したいけど外せないのか。



あるいは、外したい気持ちにも

気づけなくなってしまうほど

自分に馴染ませすぎた弊害なのか。



顔を微妙に隠せていて

人目につかずに少しだけ

安心感が得られている事実。



化粧や顔のコンプレックスなど

気にしなくてもよい気楽さを

私たちは知ってしまった。



外すとわかる。



私たちの生活上、存在してる

さまざまなニオイが確実にあり

それでもある程度、慣れていたこと。



そのニオイが一瞬でも不快に感じて

マスク姿に戻したくなるのも。



もちろん着け続けることによる

確実に目に見えない健康被害

あろうとなかろうと関係ないと。



これから始まるのはコロナ前に

表面上、体裁上で戻す「作業」で。



ムダなもの、理解しがたいもの

誇り高き日本には、たくさんある笑

ルールに則り何かを守ってるテイを

他人に見せる、示すことが目的だ。



これだけでしかないと

みんな十分にわかっていても。

みんなパフォーマンス中心でも

責められたくなかった、それだけ。



背景にある同調圧力は

こうも日本に住む人を苦しめる。



ポイントは「日本人」じゃない

日本に住む人であれば

国籍も性別も問わないから。



定着させてしまったのは

日本の社会の慎重さゆえの。

外国人も日本では日本人然と

振る舞うようになってしまう。



マスクで安心する心理が不便を

上回ってしまって、少しガマンすると

逆に慣れてくる、だから不思議で。



あれだけみんなマスクは嫌だと

2020年みんな言ってたはずなのに。

2023年、違和感なくなったのは

日本がマスクを外すタイミングを

間違えてしまったから。



いつも日本の課題がそこでね。

タイミングがいつも遅い。



だからここと思うタイミングが

0からカウントして10だとすれば

5くらいで動くのが結果的に

日本はちょうどよくなる。

それでも世界的に遅いだろうけど。



いや、もう少し様子みよう。

まだ早いんじゃないか。

なんか文句つけられても困る。

ずっとそうやってきてますね。



この問題の根幹、決める側の人には

指摘され、リスクで失敗を招くのを

極力おそれて避ける心理があるから。



間違ってると指摘しても彼らは

間違っていない、と思っている。

本気で思い込むしかない追い込み方を

体制のルール上させられてるに等しい。



正しい判断と根拠や法律に基づいて

感情的にでなく合理的に根拠を前提に

判断して自分たちは決めているからと。

間違ってはいない、と思いたいのだ。



本当は正しかった根拠があっても結果、

間違ってたことは、死ぬほどあるのに。

そこに向き合うと、すべて否定されて

自信を失ってしまうからであろう。



だから、指摘されても難しい判断で

簡単ではないんだ、と反対意見から

自分の立場をプロテクトしてしまう。

自分のプライドや立場を守るために。



当初の予測通り、花粉や黄砂など

埃にまみれた春先をようやく脱して

暑くなり始める頃、みんなちょうど

外すだろうと踏んでいる国の見立て。



出かける人が多い時期までは一応

気持ちの拠りどころにさせておこう

という心理をうまく狙っている。

丸めこめ、国民性を完全に熟知してる笑



想像できそうな範囲で想像の上をいく

そうでもしないと、事態は変わらない。



10で動くのを5で動かないと

事態は打開できないのも気づいている。



それでもミスすると失脚させられる。

そのリスクを冒せないから10で動く。

するとどんどん後ろが遅れ、詰まる。

渋滞する。緩和も希望もない地獄。



現状の日本はそうであろうなと。

本当はここまで待つ時点で致命的だ。



日本という国のメンタリティーでは

強めに動かさないと効果がないことが

十分わかっているはずなんですが

嫌われたくない親子関係みたいで。



他の国なら最悪それでもいいんです。

むしろ他の国の人間は、国に遠慮なし。

何言ってるんだ?お前ら(ごとき)に

何を言われようが自分で決めると。



ホントの対等なメンタルに

お互い立って遠慮もなにもない感じ。

相手が主張するのも当然と認めてる。



日本はどこか相手が偉いと遠慮する

偉い相手も自分が偉いとその立場を

堂々とずる賢く利用する。



心理的な主従をつくりやすいメンタル

日本の場合、形成しやすく逆転しにくい。



当たり前に自分の意思で主張し行動。

頻繁なストやデモを見ても明らかで。

日本より遥かに早く動き出したのは

民衆レベルでのメンタリティーの差だ。



でも日本だと過去を遡ってもわかる

結果的に少しキツく強めにいかないと

国民の不安のほうが上回ってしまい

効果に即効性がなくなる。これ事実で。



ずっと過去を反省して早めに

動き出すことを絶対に学習しない。

学習してても自分のリスク不安に

負け、無難な選択をしていれば

自分が安泰だと理解しているからだ。



世界一遅くコロナを脱するとしても

彼らは自分たちに恥じる気持ちもない。

しょうがないよねと上に従うのみで。

現実そうなるのは国民性のたまもの。



誰も国民性に自らメスを入れず

自らミスを認めることもしない。

誰も主張せず受け止めず従うのみ。

自浄作用も期待ゼロ、回避、回避。



先日まで東京に住む母方のイトコ

観光がてらにウチにも来てました。

ずっと、マスクしてましたね笑



家の中に居たからというものの

食事の時は黙食でもないのに

終わったらすぐマスク着けて。

厳密ではないが、ポーズをとる。



いいよ、取ってもと言われても

ガンとして譲らず着けたまま。



公務員夫婦の家庭で、勝ち組笑

イトコは夫婦の嫁さんのほうで。



でももう慣れてるのかな?本人は。

そのイトコの両親、ワタクスの

母の妹、老夫婦も常に着けさせられて。

ホンネはイヤだが、怒られるからと。



徹底ぶりが普段からも凄いらしいが

母の妹、老夫婦が気の毒に映った。

旅費も全部出してるから逆らえないと笑



自分の意思と共に、責任や同調。

イトコはいろんな意味で日本人の

マジメな人間たちの典型なのかな。



全然嫌いじゃないし、明るくてね。

決して悪い人間じゃないんですが。

こういうところが日本のヤミなんで。



いろんな気遣いの果ての制限を

自分をオシコロシテでも完遂する

公務員然とした姿なんだろう。



もしも、というイフが蓄積する。

イフと畏怖が区別つかなくなる。

あの時が原因だったと後悔する。

その懸念が、より強い懸念を招く。



いざ外してみて大丈夫だった

そうであっても逆に自分の意思で

着け続けるみたいな思考になる。

だってそう発表してるでしょ?って。



なんか表現はいいかわからないが

宗教にのめりこむ人を傍から見てる

そんな感じもしないでもない。



お互い悪くはないが、理解し合えない。

溝は埋まることもなく妥協点が近づく

そういうこともないような雰囲気で。



インフルと同等にイメージすると

それまでは感染や死者を意識せずに

生活できていた自分をも忘れる。



ファクトや研究結果がすべてで従う。

決断が未だに正しかったかどうか

数十年経ってみないとわからない

そんなこともたくさんあるはずで。



結局、完璧なものは存在しえない。

それでも完璧を目指してしまう。

その姿勢が全体を苦しくしても。



知識として植え付けてしまった

その知識や研究発表などに

無意識に支配されていっても

自分視点の判断を信用しなくなる。



どんどん不安が増幅していく。

慎重に無難に、謙虚に自分だけ

列を乱すのを徹底的に避けていく。



おそらく彼女自身はそれでも

その制限の中で楽しむことに

慣れてしまったのだろう。



もう誰が何と言っても譲らない。

家族のホンネはいろいろだが笑



日本の秀才たちの頭脳は明晰だ。

けどね、明晰な事ゆえに進めない。



中心にいる人材がこういう思考で

固まって大きく出遅れても責任すら

感じない、守っている正義があると。



一歩踏み出す責任からも遠ざける。

自分から判断する大事さを失っても。

ペーペーの公務員ですらこうだから

上にいくともっとそうなんだろう。



彼らにできるはずもないのに

私たちは彼らに任せて当然と。

これも実は間違っているんだろう。



彼女はその失った判断力を

誰かに言われ指摘されたとて。

まず肯定しないだろう。



おそらく自分で自覚して初めて

そして公務員である限りはその

自覚を封印し続けて退職してから

ようやくやめる判断をするのだ。