目立とうとする人が出てくると
腹が立つ人が社会には必ずいて
そういう人を引きずり下ろす。
想定外の危険も含まれているよと
自分でもわかっているはずなのに
チヤホヤされたくて、あるいは
一旗揚げたくて、入っていく。
昔は芸能界という狭い入り口から
入れた者だけの特権、みたいなね。
そういう自分アピール、主張。
許された者だけにできたイメージ。
その入り口がツールによって
自由に開放されて人が多く
入り始めたのだから。
でも現実は出口が変わらず狭い。
少ない取り分を奪い合いながら
残った枠を高いレベルで争う。
とんでもない能力がないと
既存の枠では勝ち残れない。
他の人はとにかく応援して
ついていくしかないような。
それしか許されず、夢をあきらめ
それなりに暮らす選択をしてきた。
いや、させられるように
仕向けられてきたのかもな。
それが私たち日本人の真の姿か。
ここは難しい判断がつきまとう。
動かす人、従う人、バランス良く。
上にいる人はそうしたくなる。
だが限界が来ている。
みんながいろんなことについて
わかるようになってくると
下が不満を隠さなくなり
不遇な立場に納得いかなくなる。
意見を表明する、それに共感して
拡散してコトを大きくする、あえて。
そうやってこれまで動かない部分が
ようやく動くようになってきた。
これは既存を壊すヒントに見えた。
言って大きくしたことで相手に
動かざるを得ない立場に追い込んだ。
だが功績は良いことばかりでもない。
おかしなことを正すだけならいいが
手を汚さず相手を引きずり下ろす
その手の快感に酔いしれるのか
リアルに対するストレス発散なのか。
そちらの副作用も当然生まれてきた。
変えるべきことを叶えるスピードも
焦らされすぎて、辟易してくる。
みんながそのカラクリに気づいた。
取り分をキープし大丈夫と判断して
そこから狭い出口を開放させる。
これじゃいくら頑張ってもムリだと。
国民性を利用しつつ抑えてなだめて
いい暮らしをさせときゃ文句言わない。
おおまかにはそんな感じで私たちを
手懐ける戦略だったんだろう。
かつて社会問題に意識高く
立ち向かった世代も取り込まれ
自然に歯向かう力を無くしていった。
一部の人間は既存スタンダードを
守れる経済的土台を持ち、継続的に
安定するよう磐石を敷いてきた。
逆にそれ以外の者には我慢を強いる。
残念ながらその戦略も人口が大きく
なりすぎたために、もう通用しない。
手懐けるには人数が多くなりすぎた。
おそらくはその戦略をやる当時でも
この結末はわかってて始めたはずで。
他に有効な選択肢として国が
生き残るためには、国民性も配慮して
それしかなかったんだろうと思う。
あとは次の世代の者たちに任せる。
そういう感じにならざるを得なくて。
でも下の世代にはいつも難題が
想像以上に降りかかるだけで。
時の為政者も難題を解決できず
また次の世代に先送りを続ける。
テクノロジーの発達や進化とともに
いい暮らしを叶え、利便性を高めた。
だがその中で育った人間も分断された。
経済の低迷、停滞、世界的紛争。
次々と行く手を阻まれてゆく。
やはり自分が生き残りたい
その本能的欲求に逆らえない。
自分で自分を守るだけで
社会の成熟は進まず腐敗してきた。
テクノロジーの発達と進歩
既存の枠での限界超えを迎えた。
ツールを得た一般市民、分断、嫉妬
平等、魂胆、いろいろと渦巻く。
有利に動く者は、危害が自分たちに
及ばないように手を回しておく。
気概を持つ者たちの気持ちを挫く。
法律というシールドは強力である。
なんなら反射するスキルを持つのか
そのまんまダメージが
自分に返ってくるから
みんな表立っては言わなくなる。
姿をみな文字に変えて忍びながら。
でもやっぱり自己顕示欲が出る。
自分をアピール、姿をさらして
リスクを負う。結果、頑張って
地位や稼ぎを得て成功する。
その人を羨みつつ、恨めしがる。
登録してね。利用してねと促す。
自分でも動きたいが、動けない。
自由にやれと言いながら不自由に。
両極端の感情を抱えてストレスに。
そのうちストレスに耐えられなくなる。
いつ何時でも気に入らないことが
あれば、すぐにビッタビタに叩く。
この悪循環を解決するには
叶える出口を大きくすべきで。
そのためには既存の枠での取り分を
一度壊さないとムリなのかもしれない。
過激派ではないが笑、極端な話は。
いまはツールが充実したけど
成功への出口が古い体質に取り分を
支配されて、狭められたままだ。
つまりは成功の出口から出られる
その人数が以前と変わっていない。
出口までにうまく手を回されてる。
入る人数が増えても出る人数が
限られていればどうなるか。
言うまでもない話ですね。
ネット民と揶揄されながらも
居場所を失って彷徨う人の滞留。
彼らの不満がネット上に渦巻き
断末魔の叫びとともに四六時中
かき消されては、また生まれる。
社会をデザインするアイデアは
私たちにも豊富にあるんだけれど
入り口と出口の数の格差があるし
刷り込まれた他力本願な意識と
慣れた手順や常識を重視してしまう。
やはり渋滞は解消されていかない。
ここですね、積年の課題は。
コロナ禍がひとつのチャンスで。
でもいま聞こえてくる声は
コロナ禍前に戻したいという欲求。
ほらな笑、どんなに窮屈でも
ほとんどの人は狭い出口を求め
みんなで分けあって出ようと
それしか考えていない。
やはり日本人だけではこの難題
変えることは難しいのだろうか。