別に好んでまで戦いたくはない。
人と戦うとか争うとか。イヤ。
その感じが、もうカッコ悪い。
そういう流れになってきてる。
でもなんか違うよ、それだけじゃ。
それだけじゃダメな気がする。
戦うのって、いまの自分を
ちょっと引き上げてくれる。
自分の視野に入らない高さに
上にヒョイッとしてくれる。
限界だと思っていたのに
やってみたら出来るんだな。
必要だと思っていたのに
無くても大丈夫なんだな。
と言葉で表現するには難しい
なにかが拓く瞬間というか
そんなのがね、あります。
自分が知ってる自分、というのは
自分でこれくらい(だろうな)
と決めてかかる。
これ以上は、自分にはできないと
ストップかけることができる。
そう言い訳してやらないこともできる。
でもこれくらいだからと思っても
いざ、やってみると超えることって
あるはずですよ、なんでもそうで。
そのチャレンジをしなくなる環境が
整えられすぎているからなのか。
やってみないとわからないことに
挑戦する人が、少なくなっている。
詳しい情報を知ってしまうと
もうあきらめてしまったり
無理だとかツライとかが
勝つようになる。
だったら、知らないほうが
まだマシでしょ?
ワタクシが情報を入れ過ぎない
他人と同じにしすぎないテイを
自分にあえてつくるのはこの理由。
そこにヒントが隠されていて
見つけられる人はそこで見つかる。
こっちのほうが、まだチャンスがある。
情報を知りすぎて事前にもう
勝負決着がついてしまった感。
それで、もう戦うとか争うとかの
モチベーションが上がらない。
でも、かといって
戦わない争わないという割に
他人とも協力はあまりしない。
そうなんですよ。
社会的にマナーを守ってふるまい
当たらず障らず、さらに触らず。
守りに入る心境はわかるんですけど
みんなで協力して守るのではなく
個人個人が自己責任のもとで自分を守る。
そうするしかないという風潮が強い。
何かをどんどん削られながらも
必死でプロテクトしながら進めと
言われていると感じてしまうという。
気づけば、あ、独りだ。
そういう人が世の中には
増えているのかもしれない。
結局は孤立化、縮小化していき
長く乗り切るためだけの人生を
その勝ち負けだけで争うように
なっていくのって、順調なのか?
ホントに答えがない世界は難しい。
私たちはもう少し頑張らなければ
ならないこともわかってる。
かといって、頑張りすぎても
ダメなこともわかってる。
しかも同じ頑張り方ではもう
どうやっても追いつかない
そういう人が増えたのだ。
挙げ句に情報を入れすぎて
左右されてしまい動けなくなる。
アレもコレも守ろうとして
結果、孤立化してまでも
守るものってなんなんだろう?
実はフィクションなんじゃないの?
一生懸命守ってやってるけど
実は、フタを開けてみれば
そんな事実はなかったとか
ウソだったとか。
何かを実現させるために
アレを捨てたり止めたりしなきゃ
でも日々を生きていけなくなる。
たぶん、どちらかじゃなくて
どちらも視野に入れながら動く。
正解はコロコロ変わるもの。
変わってもいいものと捉える。
どちらか一方に傾いてしまうから
ちょっとバランスがおかしくなる。
戦うことや争うことが
不要なときは
戦うことや争うことが、
必要で。
必要だと思っているときは、
逆に不要なんだと思う。
欲しい時はみんなが欲しがるから
手に入らず、混乱ばかり生まれる。
そのバランスを取り続けることで
物事は長く続いていくんだろうな。
あるいはバランスを壊して崩れ去って
新たに気づき、築き直すのだろう。
気が付いたら自分がおかしくなって
どうしようもなくなっていることに
気づけないまま暴走してしまう人もいる。
その果ての「ジョーカー」ですか?
その気持ちに寄り添う必要がある
たとえそうだとしても。
やっぱり周りに、
うるさい人とか迷惑な人。
あえて置いておく大事さ。
甘いものに、しょっぱいもの。
昔の人もいまの人もわかってる。
どちらか一方では煮詰まり、飽きる。
一方通行にシャットアウトせず
ちょっと通り道をつくっておくことって
重要なのかもしれない。
詰まるのは良くないでしょう。
詰まらないのがいいんです。
ちゃんと流れてくれていれば。
また流れて、巡りめぐって戻ってくる。
つまらないかもしれない。
面白くないほうのね。
でも、面白くないつまらないことが
(物事が)詰まらないことであるなら
つまらないことにも意味がある。
もうワケわからんでしょ?(笑)
この文章も。
でもハッキリしないほうが
また、いいのかもしれない。
なんだか私たちの社会は
煮詰まりすぎてしまっていても
煮詰まっていない部分を
我先にと争い、得ようとしている。
争って得ることで安心して
今度は守りに入っていく。
つまらないことと知りながら。
詰まることはないと
欠陥に目を逸らしつつ
どこか理不尽に振る舞いながら。
煮詰まっていない部分を
枯渇するまで争うのだろう。
そして互いに分け与えることなく
気づけば孤立化してしまい
自分自身の責任だと感じる。
うまくやってこれなかったのは
自分の責任だからと。
このルールのループの果てに
これから私たちは
どんな景色を見るのだろう。
なぜもっとうまくやれる方法を
考えつかなかったのだろうかと
後悔しても自己責任で逃げられて
片付けられてしまう。
次第に何がしたいのかも
わからなくなり
何をすべきかも判断ができず。
すべてを誰かや何かに
委ねて淘汰されるまで
待つしかないのだろうか。
老いてしまう前に。
置いていかれてしまう前に。
もっとやれる何かを
協力し合う何かを
試してみる必要は、
あると感じる。