財務次官のバラマキ批判に
端を発した問題について。
いろいろと議論されるためにも
悪いことではないと思いますね。
アソーの置き土産ですかね(笑)
ただ、専門的な小難しいことを
空中戦で議論しても国民はさっぱり。
まるで関心を持とうとはしませんよ。
政治家や官僚の悪いクセだけ出る。
問題はお金をばらまいたとして
お金をつかう側の国民の意識が
追いついていないということ。
配られても使う側が回す意図がないと
何も変わらないで貯めてしまったのが
最初の定額給付金の効果だった。
ざっくりと言うと「お金を回す一員だ」
という意識がなかった分だけ
思ったほど効果が出なかった。
あとはリスクがあるときには
人はやっぱりネガティブになる。
昨年はコロナ禍1年目です。
まだ得体の知れないコロナという敵。
守りに意識が向かうのが当然で
ワタクシは以前2回目の給付を
すぐに打ち出さなかったから
つかわない人が多かったのだと
書いたことがある。
2回目があるとわかれば、安心して
つかう気持ちにも傾くんですよ。
せっかくもらったものを大事に
有意義に使おうと慎重になるのは
想像がつくはずなんです。
何が起こるかわからないからって。
ずっと経済政策などでも
共通した課題だと思うんですが
「つかってもらうことでお金が回る
その波を起こすことが重要」なのに
波が起こらないやり方ばかりなんです。
それは協力していこうという意識を
高めるやり方をしてこなかったから。
要望があるから、やった。それだけ。
お役所仕事で使い道は個人の裁量で。
それ以上は無理強いもできないからと。
まぁそのとおりなんですけど
それではまるで協力を得られないまま。
極端に言えば、便利だからと全員に
家電製品を配ったが、説明書なしですと。
それで使うかといったら?
いま「自分が」必要な家電なら使う。
説明書がなくても使いたいから使う。
でも特に説明もなく、家電を送られても。
使い方がわからないし、いますぐ使う
そういうものでもなければ使わないでしょ?
イメージはそれと似てるんですよ。
つかうとみんなに循環していって
お金が回って助かる人が増える。
つかうことで助かる人がいるんですよ!
つかうことで回りまわって自分にも
かえってくることになるんです!
と言わないとみんなそのお金を
動かそうとしないんです。
おそらくそれでも慎重な人は
つかおうとはしないでしょうけど
つかう人が増えていくとじゃあ
私もつかおうかなと思うんですよ。
そこには絶対にタイムラグが生まれる。
すぐに期待する結果は出ないんです。
つまり政府としてはつかうことでの
経済的な循環を促す意味を説明して
実際につかってもらう意識を高める
アイデアに欠けていたのだといえる。
すぐに2度目、3度目も予定していますと
アナウンスして循環させるために
つかってくださいという意図が
国民全体に浸透すれば
また違った結果になったと思うんです。
さらに輪をかけた問題は体質です。
給付自体がいかにも、お役所仕事で
必要以上のことはしない、という姿勢。
つかう人が自由につかう権利を尊重して
必要以上に余計なことを言わないという
お役所スタイルだったから。
これは政治家と公務員が
やることなので仕方がない
っていう逃げ方も終わりにすべき。
政治家たちの自由度や裁量を許す風潮に
してこれなくして、どんどん狭くしていった
社会の風潮とも関係している。
もちろんつかうにつかえない
つかいたいけど場所が限られる
という矛盾もあったからでしょう。
とにかくお役所仕事は国、政府など
法律的な根拠があって(つくって)
その要請ありきでスタートするので。
ほぼ間違いなく、欲しいときと
タイミングはズレてしまう。
もう必要なくなったときに整う。
さぁどうぞと冷めきった味噌汁を
渡すことで、私たちはやりましたよ?
って言うんですよ(笑)
マスクを配った人もいましたよね?(笑)
このタイムラグは間違ったことを
しないとか、できないからとか
慎重に事を重ね続けてきた
うまいことスパイスを加えられない
杓子定規な日本の制度の弊害だ
とも思うんです。
打撃を多少食らっても
前に進むタイミングってある。
一度も打撃を食らわずに
勝とうとするけど勝てますか?
議論するならこの点をもっと
腹割って議論してくださいな。
法律に逃げないでくださいな。
フリーハンドで解決することって
たくさんあると思うのでね。
ぜひ、ご一考を。