防災の日になんとなく思う。

人間は地球を間借りしている

存在であって。

アルジでも所有者でもない。



ここは勝手に入ってはいけないとか

勝手にリフォームしてはいけない

って契約が結ばれていたのだと思う。



その領域を無視して、なあなあになって

境界線をいつしか、あいまいにした。



取り決めたのは、口約束。

いつのことかも定かではないほど

どこか真実味のない話。



人間の側でどの世代かはわからないが

伝えるのがめんどくさいとか

信じないとかでやめた世代があった。



文字が生まれ、紙が生まれた。

文書にまことしやかに残っていたものも

自然災害によって流されてしまった。



自然は、警告したのだろう。

モノとして残すのではなく

自分たちのクチで次の世代の

心に直接、刻み込ませないと

意味などないのだと。



人間は勝手に自分の部屋だからと

アレコレと手を加え、原状回復できない

物質を生み出してしまった。



そりゃ自然も怒ります。はい。

約束と違うよな、言い訳無用だと。



自然は強烈な仕返しによって

姿、形を変えて何度も促してきた。



別の視点で全体を見れない人間。

反省どころか、欲で目を輝かせる。

ギラギラと、破壊的に進み続ける。



私たちは考え方を変えるいい機会。

偉そうにしてたけど、こんなにも弱い。



誰かに何かに守ってもらえているから

こそ、強気になれていただけなのに。



何十年もかけて整えた人間の環境など

屁でもないかのように一掃してしまう。



雨風、ウイルス。いくらカネがあっても

死ぬときは死ぬようにできている。



そう考えていく感覚も頭のどこかに

片隅にでも置いておかなければならない。



すぐには回復できない自然環境。

それを考えるとしばらくのあいだ

私たち人間は、極端な天候による

自然災害を継続的に受け続ける。



これを機に考え方を変えなければ

グレードダウンさせなければ

ならない局面なんでしょう。



元には戻らない、戻さないほうがいい。

戻したところで、また流され、壊される。



あえて意図的にグレードダウンを

受け入れるほうがいい予感がする。



その都度、お金をかけてつくり替えても

また同じように積み木を崩されてしまう。

それも昔より早いサイクルで。



いまを生きている、利便性を享受した

私たちはそう簡単に納得しないだろう。



しかしコロナがなくても

環境破壊のしっぺ返しとして

自然は私たちの快適を

絶え間なく壊し続けたのだろう。



人間は悲劇のヒーロー、ヒロイン的に

なんでこんなに、というけれど。



そもそも契約違反してたのは

人間だった、みたいな

ことなんじゃないのかな。



いくらガイドラインをつくって

なんとかして、かいくぐっても

いつも通りやろうとしてばかりで。



しかし、粗相する人間。

いつも通りやろうとすればするほど

悪いほうへ流れが向かう。

だって契約違反なんだから。



対策ってなんだろうね。

あらがうことが難しいものに対して

対策ってあるんですか?



こりゃしょうがないでしょ。

やれるんじゃないか?

やれたらいいのに。



そうやって中途半端にやっても

結果的に感染は拡大してしまう。



世界中もロックダウンしても

結果的にまた感染拡大。

ワクチンも感染しないのではない。

重症化しないだけで。



問題はさまざまな制限をして

経済的に回復できないダメージを

受けてしまって立ち上がれない人が

数多くなってしまったとき。



医療崩壊どころではないでしょう。

食べられない、暮らせない。

暴動が起こってもおかしくはない。



ステイフーリッシュ。

常識を捨てろ。



簡単なようで簡単ではないが

それしか方法はない気がしますね。



防災とはおそらく現状維持を願う

人間の立場で人間の環境を守ることを

優先して考えるのではない。



人間よりも自然の立場に立って

どうすれば良いかを考えること。

人間の快適は二の次なのだと思う。



簡単なようで簡単ではないが

そうしないと人間は滅びるほうへ

歩み続けるだけなのかもしれない。



こりゃあ、ウソのようで

ホントの話かもしれん(笑)