日本の人口問題を

どう舵取りをすべきか。

ちょっと感じること。



社会的、経済的なしくみと

深く関係している

現在のデザインを

どう変えると好転するか。



いまは1億3000万人くらい。

平野などの暮らしやすい

都市部に人口が集中。



過密状態で多くの人が

暮らしを維持しようとしている。



うまく分散して暮らすことも

ホントは可能なはずである。



問題は山間地域や過疎地などでは

仕事が簡単にはみつからないこと。



暮らすには暮らせるが生活に不便。

収入もままならない。



だから都市部に人が集まる。

その人流に合わせるように

都市部にビジネスが展開して

魅力が都市部に集まる構図。



この構図を崩すには都市部と

同じレベルの生活利便性を

山間地域や過疎地にも持ってくる?



としても、何かメリットがない限り

移住は難しい話になってくるだろう。



都市部の過密モデルは、

極端にいえば、欲を満たし

実現し続けエスカレートさせた。



そしてもう維持できないくらいに

金属疲労を起こしているからだ。



実はその高度成長からの流れも

アナログ環境を高度化させて

各自コンパクトに叶えただけだ。

これじゃわかりづらいかな(笑)



アナログ時代の延長上にあり

生活や暮らしの豊かさを、

自身の社会的成功と並行して

実現したモデルである。



足して、足していく。

壊して捨てて、つくっていく。

より細かに、整えていく。



そこに仕事が生まれ

そのサイクルを頼りに

人が集まり

賃金を得て生活を回している。



いま現在はネット環境が

整い出してデジタル的な側面が

整備されている途中だ。



日本全国、何処にいてもそれほど

変わらないライフスタイルが。

その実現は近いとは思う。



そう考えると別に都市部で

無理にこだわって生活を

しなくてもよい環境が

可能には、なってくる。



ネットやデジタル環境が整えば

田舎にいても、都会にいても

変わらない暮らしが見えてくる。

理屈ではそうなってきますね。



ただ都会と同じモデルを

安易に持ってくるとなると

都会や猿真似した地方のように

自然と共存できない。



息苦しい社会に、

失敗したそっちのほうに

傾いていく可能性がある。



デジタルすぎると私たち自身も

人間でなくなるような恐怖を

ちょっとだけ、リアルに感じている。



もしかしたらみんなデジタル環境に

いろいろとすり減らされ過ぎて

飽きてしまって自然に戻りたくなる。

そうなっていくのかなとも思う。



ポイントは、まさにココなんです。

自然を残しつつデジタル環境を

適度にブレンドさせながら

つくることが重要になってくる。



もしかしたら自然な環境が

残っている過疎地等のほうが

これまでのカタチと違うやり方で

新しくデザインしやすいのかも。



都市部の負の遺産的な

コンクリートジャングルも

回避できるのではないか。



そう考えると田舎を

程よく自然残しでデザインして

田舎と都市部のハイブリッド的な

環境を整えていくことも見えてくる。



便利にしすぎない環境を

そのなかで人間も自然と共存し

欲を満たしすぎない生き方を。



あえてグレードダウンした

程よい環境を受け入れる人間が

住み暮らしながらマチを

つくっていくことが重要になる。



都会に準じた生活インフラを

安易に待ちこまないことも重要。



車を使わない生活モデルを導入する。

電車を使わない生活モデルを導入する。

いろいろグレードダウンは可能だ。



もし、アレがなければというモデルを

いま一度考えてみることが重要だ。



少し不便を受け入れられる人間なら

「個人に一つ」を叶えすぎなくても

よいデザインは可能になる。



都市部と同じモデルを

安易に追従した結果、

昭和、平成と便利にはなった。



だがなんだかもう、昔ながらの

良さを戻せない代償をさせられた。

それが現在の地方の閑散な雰囲気だ。



これでは人間が欲を

叶えようとすればするほど

自然と共存できない

仲違いの方向に向かうのだと

学習したはずです。



同じことを繰り返さないために

欲を満たそうと考えた同じ手段は

安易に採用すべきじゃないんです。



都会のデザインは

これまでの蓄積で考えて

検証しやすい。

その利点と欠点を洗い出しできる。



欠点を解決するにはそれぞれが

こうであっても良いはずだ、を

考えてアイデアを出して採用する。



すると都会とは、ちょっと違う

デザインのまちづくりに進める。



CMなどで見聞きするが

トヨタのまちづくり。

どんなものかは詳しく知らない。



しかし人間がより良い

便利な暮らしを

テクノロジーをもとに展開する。



いま現在の人間の生活を

グレードダウンさせることなく

「不便にさせない前提」で

つくろうとしているのだとしたら。



それは長い目では維持できず

失敗に終わるだろうし

何も学習してなかったことになる。



意図的なグレードダウンをしても

人間はテクノロジーで補い

生活していけるかどうか。



そこが人類共通の課題であり

検証すべきポイントだと思う。

今以上を常に目指す必要はない。



むしろできない、無理だと

思っててもやってみるくらいに、

欲の制限をしないと

自然との共存は実現できない。



想像よりもちょっと厳しく。

その生活モデルが実現すれば。



狭い国土と言われるが

うまくつくればもっと

共存できそうな

気はしないだろうか?



何でも満たしていく社会。

そこから脱却して

環境を守りながら

自然と人間が共存する社会に

シフトしていけるかもしれない。



ただ欲望の制限は自分たちに

第三者的視点を監視的に入れない限り

難しい課題だと思います。



人間が欲を自らコントロール。

これができないと未来はない。



そのためには私たちがいま

無意識にみんなが乗ってるから

乗り続ける破滅行きの列車から

降りなければ。



降りられないのではなくて

降りる人が目に入らないと

動いていかないものだから。



非正規などキャリアをうまく

築けなかった人がたくさんいる。



彼らの生活の保証をしつつ、

まちづくりに参加してもらい

どうやったら生活者視点で

変えていけるかを検証する。



移住しても構わない人などを

集めて新しくまちづくりを

一人一人が参加していく。

そんなプランがあったっていい。



ヒト中心のまちづくりだけでは

おそらく、たち行かなくなる。



自然中心のまちづくりくらいで

ちょうどいいのではないか。