こういう決まったことを無心でやるという作業、
昭和時代から良しとされてきたことですね。
ただ時代とともに変わらない部分として守るべきこと、
時代とともに変えていくべき部分として破るべきこと。
両方に目を配る努力をしなきゃならない時期なんです。
「人が働くこと」の価値をどう見直せるのか。
単なる人件費扱いだけではないレベルで、
これまでと違う価値観で組み立てる部分がないと、
おそらく打開できないまま。
どうやらうまく回らなくなる予感は皆、感じてるでしょう。
いまの常識を踏襲し続けると必ずおかしくなる。
そして真っ先に不安定な状況にさらされるのは
非正規に列をなすしか術がない人財たち。
その最たる例が、ロスジェネ世代です。
ワタクシはロスジェネ世代ですから、身に染みてます(笑)
社会状況の変化によって、辛酸なめ子的な憂き目にあった世代。
高度成長期パターンの踏襲の影響が色濃くあり、
流れをくんで小中高と過ごし、受験戦争過渡期を過ごす。
レールに乗っていれば安心だった上の世代のあと、
我々も乗りますか・・・ってところで、はしご外された世代。
自分のチカラを発揮できずに歳をとってしまった人も多く、
同じチャンスを「与えられたら」自分だって、という思いが強い。
実際、ぶっちゃけいうと、そんなに能力は変わらない(笑)
そのときチケットをとれた人ととれなかった人。
ただ、とれなかった人がとれていたとしても、
あなたもわたしも勝ち組でいられた保証はどこにもない。
どこかで受け入れて前に進まないと。
セケンは同じチャンス再び、ではなくなってしまった。
上の世代も切り捨てられてもいるし、企業も生き抜くために
人を育てることを捨てた時代があった。
大事なのは勝ち組になり損ねたエネルギーみたいなものを
「別の方向付け」でコントロールしていくことではないか。
枠に自分を入れていくのではなく、自分でつくる。
プライドもあるでしょう、後悔も消えずにあるでしょう。
何より、しみついた考え方に固執してしまいがちです。
しかし、昨年の公務員の氷河期世代の正社員採用の
恐ろしい倍率をみるかぎり、やはりなと。
勝ち組の路線に入りたいのだ、戻りたいのだという気持ち。
この受け身体質では、たぶん結局変わらないところに戻る。
発想を変えてみてほしいのは、そこです。
20年の予定のズレが生じてるのに、
同じ路線に、20年前の自分であるかのように
戻る必要はないんですよ。
厳しいようですが、ライフプランは戻りません。
思うような描き方ができなかった人が、現実として
20年前の若い時分の自分から、リスタートはできない。
でもおそらく、要求されるのは「若い立ち位置」
そして「若い立ち位置」で見られて扱われていく。
体力は、精神力は、スキルは・・・まだついていけるだろうか?
想像してみればわかりますが、採用された人のキャラによっては
勝ち組の自尊心をも、ビュルビュルっと刺激してしまいます。
すると、かなりやりづらい状況が「両者に」生まれる。
「負け組が面倒かけやがって」的な気持ちのヤカラも必ずいる。
そこをやり抜くメンタル的なタフさ、体力的、機能的な低下の中・・・
要求されるレベルと自分との乖離に苦しむと思います。
そして、レールに戻れた満足があっても
なんだかんだで周囲の評価にはバイアスがかかります。
椅子が空いたときも、みえないアドバンテージをかざすような
勝ち組の人たちは自分に優先意識をもってますよ、きっと。
ホワイトカラーがどんどん必要なくなってくる時代に
いま、まさに差し掛かっている時代に、
まだ細々と小間使いの駒扱いを競い合う。
その手入れされてるかのような雑木林を抜けた先に、
年老いたあなたに、何が待ってるか。
ロスジェネの世代には、
自分の生活だけで精一杯だったって人も多くいるでしょう。
結婚も子供も、子育てもしたかった、アレコレしたかった。
でもレールに戻ったところで、すべて叶うわけでもない。
一部のチカラあるロスジェネが立ち向かい成功するような
そんなヒストリーもいいんですが、ちょっと違う。
もっとふつうの予定20年遅れの人が、
これから、自分のライフプランを考えて携われる仕事を。
そういう場がつくれそうで、つくれていないことが大きい。
自分も同世代であり、うしろの世代の迷惑にもなりたくない。
よりよく次の世代にバトンを渡すのは勝ち組だけではない。
勝ち組以外の人がチカラを発揮しやすい場づくりが必要で、
失敗したとしても、そのトライアンドエラーが次の世代に
つながっていけばいい。
