ん~、基本的に考えはいまと同じ。

 

考えが同じというのは、安心なのか、

 

それとも伸びていない慢心なのか。

 

評価は分かれますけど。

 

 

デジタルの行く先は、たぶん人間なにもしなくてよくなる。

 

これはおそらくは、ただ生きてる状態になるんですよ。

 

若いときはそれでもまだ助かるし、楽になる。

 

しかし、歳をとると今度はラクだが、楽しくなくなるのではないか。

 

 

お年寄りのためにアナログを残しておくことも必要。

 

でもこれはなにも、いまのお年寄りのためだけでない。

 

 

デジタルになれた世代も手作りや手間といった、

 

緩やかな時間の流れ方と、自分の身体が同調するときがくる。

 

 

歳をとることによって、さまざまな機能の衰えに合わせて

 

元の高い位置をキープするためではなく、

 

下降に沿って、相手であるデジタル志向をダウンさせていく。

 

これが大事だと思いますよ。

 

 

ずっと100点とってたから、100点をキープするため

 

って感覚のまま老いてゆくと、危険な香りが漂う。

 

80点しかとれなくなってきたなぁ、時間もかかるようになったし

 

ちょっときつくなってきたな・・・。

 

 

ずっと100点とってても、もういまはそんな楽しくないし。

 

100点とるまでの過程をもっと、ゆっくり楽しんでみたいな。

 

それが身体機能の衰えを遅らせ、やりがいや生きがいに・・・。

 

って感情をどこかでもつ日が、かならず来る。

 

 

身近な年老いた夫婦も、できなくなってきた自分を

 

どうにも受け止めきれず、闘っている最中だ。

 

どこかで折り合いをつけて、80点にシフトしていくように

 

支えていかなきゃならないなと思う。

 

 

死にたくないのではなく、死に向かっていく恐怖が迫ってくる。

 

できなくなる自分、迷惑をかける自分、やりきれない自分。

 

周囲の子供も大人も、昨今は面倒を避ける傾向にあるが、

 

こればっかりは受け止めなければならない。

 

 

受け止めて、受け入れて。

 

その思いを老いてゆく親に感じ取ってもらえるまで

 

私たちのほうも「面倒」を自分自身で、面倒みなければいけない。

 

 

老いてゆく親を、置いてゆけるわけがない。

 

自分たちの世代だけが苦労してるのではなくて、

 

誰しもどの世代もたどる道。

 

 

長寿と「なってしまった」ことが、様々なひずみを生むのも

 

私たちはどこかで折り合いをつけて、受け止めて

 

受け入れる時期なのではないか。